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第二章 潜入⑤

 ――フゥウウ。

 滑らかに八階へ突き進むエレベーターの中、ゴーンは目を閉じ、集中力を高めていく。

 このビルのすぐ向かいのビルに、境とフヨウがいるはずだ。状況は境とつなぎっぱなしにしているスマホのおかげで把握している。

「や、めろ」

「あ、あああああ」

 イヤホンから届く声に、眉がピクリと動く。

 ――だが、落ち着け。状況は最悪だ。だからこそ、冷静さを手放してはならない。

 老兵は知っている。僅かな動揺が、引き金を曇らせることを。

 ポーン、と味気ない音が、目的の階へ到着したことを報せる。

 エレベーターを降りると、灰色のカーペットが敷かれた廊下に出る。目的の場所は、右手をずっと進んだ先にあるオフィスだ。走りながら、背負ったバッグからスナイパーライフルを取り出し、5.56mm弾を次々と装填する。

「お前さ、馬鹿ってよく言われない?」

 境の声が、己を呼んでいる。錯覚かもしれないが、あの幼い頃から支えてきた息子にも等しい少年が、助けを求めている。

 ならば、応えなければならない。ドアを開けると、もぬけの殻となったオフィスがゴーンを出迎えた。逃げ遅れた人がいないのは好都合だ。

 オフィスを横断し、窓際越しに隣のビルを確認する。超越種と、それに囲まれた境とフヨウがいた。

 銃床でガラスを叩き割り、スコープを覗く。距離は道路を挟んで二百メートルほどで無風だ。一キロ先のコインさえ、正確に撃ち抜くゴーンにとって、その距離は児戯に等しい。

 境がフヨウに足払いをかけ、彼女に覆いかぶさった。後は間抜けに立ち尽くす超越種がいるのみ。

「ワンショットワンキル。地獄へ落ちろ」

 引き金にかけた人差し指に力を込め、発射と同時にボルトを引く。速やかに排莢された空薬莢が、煙を引いて地面へ落ちゆく。何度も何度も、敵の数だけ引き金を引く。焦りもなく気負いもなく、ゴーン・キラーは己が職務を全うする。

 ――怖れよ超越種。これが、銃を極めし者が芸術よ。

 ※

 クロの額に、穴が開く。

 銃声が続けざまに鳴り、クロと同じ末路を超越種は辿る。

「流石、ゴーンだな」

 境が身体を起こし、周囲を見渡すと、超越種は残らず額を穿たれ、屍を晒していた。――だが、

「ば、馬鹿な。ただの銃弾で俺らが」

 クロは額に穴を開けてなお生きていた。

 境は、フヨウから素早く離れ、血に濡れるクロを見下ろした。

「しぶといな。けど、動けないだろう。対妖・対神加工が施された5.56mm弾は、効くぜ?」

「俺を見下すんじゃねえよ、人間」

「……やはりお前ら超越種はゴミと変わらない。いつもいつも、僕の大事な人たちを傷つける」

「だから? 俺らは人間よりも優れた種。その証拠に、世界が崩落しても生き残った。弱いくせに、弱くて情けないくせに。世界の覇者を気取るな。俺らは、これからもずっと生きてくんだ。どうして世界は輪廻する。俺らはただ、生きたいだけだ」

「それを、お前らが語るな。殺された人たちだって、生きたかったんだ。何人がお前らの犠牲になっていると思う。ただでさえ、世の中は理不尽な死が転がっている。俺らはすでにいっぱいいっぱいなんだ。なのに、過去の存在のくせに、未練たらしく生きて、足を引っ張るな。

 僕は、お前らに邪魔されず、誰もが当たり前に今日を生き、明日を夢見ることができる世界が欲しい。過去に今日を殺されるのはうんざりだ」

 境は、刀を出現させると、柄を握る手に力を込めた。刃は深々とクロの心臓を貫き、その生涯の幕を強制的に閉じた。境は、冷えた瞳で最期を見届け、視線を外す。

「さて、今からが正念場だ」

 遠くの空から、救急車と警察車両のサイレン音が響く。このままでは、じきに御三家の戦闘部隊も訪れるだろう。

(まずいな。うちの連中をここらへ近づけないようにするのは簡単だが、どちらにせよフヨウをどうにかしないと)

 境は、額の汗を拭い、何度も手を閉じたり開いたりを繰り返した。

 フヨウは、そんな境の様子など知ってか知らずか、ヒョウのような姿勢で境を睨み続けている。

「坊ちゃん、どうしますか?」

 耳に差し込んでいたイヤホンからゴーンの声が届く。

「……このまま放置していたら、民間人の被害が心配だ。それに、超越種の血の影響でああなったとくりゃ、フヨウはうちの連中に殺されちまう。どうにかして、体内に入った血を除去しないといけない」

「そりゃ、無茶ですよ。神の血とフヨウの血は混じっているんですよ? どうやって神の血だけを取り除くんです?」

「無理でも何でも、やらなきゃ僕らのフヨウが死ぬ。それは、許容できない。何か、何かないのか。っと!」

 猛然と、フヨウは境へと襲い掛かる。爪、伏せた姿勢からの蹴り。人体を無視したような動きだ。デタラメの代償は、フヨウの骨が軋む音となって境の耳へ届く。

「クッソ、フヨウ、頼むよ。僕に君を斬らせないでくれ。……あ」

「どうしました、坊ちゃん」

「ゴーン、僕は天才かもしれん。危険だけど、血を除去できる方法を思いついた」

「そ、それは一体?」

「……ゴーン、僕の合図でフヨウの足元を撃て。タイミングを合わせろよ」

 ゴーンは、弾を一発だけリロードし、ボルトを引いた。

「信じますぜ」

「ありがとう。……来るぞ」

 フヨウが全力疾駆で、境に飛びかかる。触れれば頭部を破砕するフヨウの手が、眼前に迫った。しかし、境はあろうことか目を瞑った。

「甘いよ、フヨウ。僕を殺すつもりなら、もっと早く来なきゃ」

 空を裂きながら飛来した弾丸が、フヨウの足元に落ちていた小石を弾く。

「あ……」

 小石はフヨウの額に当たり、呆けたようにそれを眺めた。

 その隙を、境は逃さない。

「幽玄刀よ、頼む」

 フヨウの心臓辺りに手のひらを押し付け、境は叫んだ。

 一か八かの大博打。フヨウの大動脈内に、幽玄刀の刃先数ミリだけを出現させる。刃はフヨウの赤い血を分ち、そして流れる神の血を無残に切り捨て霧散させた。

「あ、ああああ」

 フヨウの体が激しく痙攣し、一際大きく「ああ!」と叫ぶ。

「頑張れ、フヨウ。僕はここにいる。帰ってこい」

「え、境?」

 フヨウは、境と視線を合わせ、ニッコリと微笑んだ。それで緊張の糸が途切れたのか、ぐったりと意識を失う。

 境は、何とか彼女を抱きとめ、首筋に指を当てる。ドクン、ドクンと指先に伝わる命の鼓動。――境は長くゆっくりと息を吐いた。

「たぶん、成功だ」

「何をしたんです?」

「幽玄刀の力を使った。この刀は、未来の刀。ここでいう未来とは、この僕らが生きている世界の未来を指していない。幽玄刀は、この世界が滅び、そして次の世界に再生した時、その世界で生まれいずる筈の刀だ。

 調律者は、固有スキルとして次の世界の技術を一部だけ手にすることができる。僕の場合はこの刀。絶対に刃が欠けず、あらゆるものを切り裂く。また、特に超越種のような超常の存在や現象の場合は、切り裂くだけでなく消滅させることができる。ま、消滅させても大抵の超越種は再生能力が優れているから切っただけでは決定打にならない。けど、血だけならこの通りさ」

「なーるほど。ただの人間であるフヨウの血は切り裂くだけだが、神の血は切り裂き消滅させることができたわけだ。坊ちゃんとの付き合いは長いが、刀について説明してもらったのは初めてですな」

 境は、鼻を鳴らした。

「別に隠していたわけじゃない。ただ説明するのがダルかっただけだ。だって、そうだろ? どこでも現れて何でも切る刀ってだけ分かれば問題なく戦略は組めるって」

「細かい所まで共有してくださいよ、まったくもう。ひとまず一件落着ですな。……ぬう」

「ん? どうした」

「い、いや」

 境は首を傾げ、それからフヨウを抱きしめた。暖かく柔らかな感触。「ああ、生きているんだな」と実感が湧く。

 瞳に浮かんだ涙を指で拭い、フヨウの頭を撫でる。

 ゴーンは、そんな境をスコープ越しに眺め、悲しそうな顔で目を閉じた。

「坊ちゃん、まだ地獄です。下手すりゃフヨウは――処分されますぞ」

 そのセリフはあまりにもか細く、境の耳には届かなかった。


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