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第二章 潜入②

 まどろみの中にありながら、やけに鮮明な感覚……。それは例えるなら、地面のように固い雲を歩むようなもの。

 ――ああ、これは夢だ。

 いつもの感覚に、すぐさま自らの状態を把握する。

 寝ている身体に起きろと命じてみる。が、この不自由な肉体は、主の命令に従う気はないらしい。

 この先の光景は、見たくもない。願うなら、席を立って去ってしまいたいのだ。けれども、夢の中の自分には瞼がなく首が動かないのか、眼前の光景に目を背けることさえできない。

 ――これは罰だから仕方のないことか。

 抵抗はすぐに諦めた。

 しばらく力を抜き、呆けていると、耳障りな笑い声が耳に届く。

それは超越種を信じてしまった愚か者を嘲笑う声。

 それは罪の証。

 優しかった母も厳しくも愛してくれた父も、全ては血の水たまりに沈み、ピクリとも動かない。

 こみあげてくる吐き気をこらえ、張り裂けそうな胸を両手でかきむしる。

 嘲りの声が近づいてくる。ふと、そちらの方へ視線を向けると、血よりもなお赤い深紅の瞳がこちらを覗いていた。

 ――ありがとう。君が信じてくれたおかげで、楽しく殺せたよ。僕は幸せだ。

 ふざけるな、と叫ぶ。否、叫びたかったが、震えた喉は声を発せる状態ではない。代わりに、しょっぱすぎる涙が零れ、頬を濡らした。

 ※

「ぐ、うう」

 目を開けるよりも先に、意識が覚醒する。

 汗が服に纏わりついて気持ち悪い。

 手で額の汗を拭って、ゆっくりと目を開ける。寝ぼけ眼の視界に、見慣れた少女の姿が飛び込んできた。

「う」

「何? 寝ぼけてるわね」

――危ない。境は咄嗟に伸ばしかけた手を制した。

「フフ、変な顔。何の夢見てたの?」

 境は、居心地の悪さゆえにフヨウの瞳から視線を外した。いえるわけがない。悪夢でうなされて絶望にまみれた時に、君を見て安堵のあまり抱きしめようとしたなど。それはまるで、陳腐な恋愛ドラマみたいではないか。

 境は、意地でも認めてなるものかと、口を悪く動かすことにした。

「あ、悪魔降臨。グハア!」

 急速に意識が覚醒する。鳩尾に叩きこまれた拳のおかげだ。

「なんだ、何で部屋にいる」

「あんまりにも遅いから起こしに来た。……フン、境は一緒の家に住んでいるからって、私のような美女に毎度起こされるのを幸運に思うべきよね」

「殴られて喜ぶ趣味はない。あーだりぃ……ん?」

 甘い香水の匂いが境の鼻をくすぐる。

あいにく彼に香水を使う習慣はない。

 匂いの発信源は、目の前にいるフヨウから。彼女は淡い青のフレアワンピースに、黒のタイツ、薄紫色の小さなイヤリングで着飾っている。

 彼女は、ベッドに横たわる境を覗き込むために身体を九の字に折っており、境は思わず顔を背けた。身体のラインがはっきりと分かるワンピースのせいで、彼女の胸が強調されていたからだ。

「お前、どこか出かけるの?」

「そうよ。これからデート」

「お、え?」

 じんわりと寝汗とは違う汗が、境のこめかみから流れた。

「お前、相手がいたのか。お、おめでとう」

「……あなたと」

「あ?」

「あなたと行くのよ。任務の性質上、恋人っぽい感じで調査したほうが良いから」

「……マジで」

「そうよ。もう、早く準備して、早く早く。このノロマ」

「わ、分かった。殴るなって」

 ――三十分後、彼らは街へ繰り出していた。

 境は落ち着かない様子で、チラリと隣を歩くフヨウを盗み見た。

 狭間家と御三家は、一階~地下五階まである巨大な武家屋敷に共同で生活している。

 老若男女問わず暮らしており、同じ世代の女性は身近にいた。特にフヨウは、当主代行である境の補佐であるため、誰よりも身近な女性だ。見慣れているなんてものではない。

 ――だが、今日はどうしたことだろう。

 やけに、フヨウが気になる。

 ナチュラルメイクが施された横顔は、いつもよりも大人びて見えた。

 触れれば柔らかいであろう瑞々しい唇。

 風を軽やかにかき分けるスラリとした足。

 ほっそりと守ってあげたくなる細く長い指。

彼女の些細な動作が、心を揺さぶった。

(落ち着け、相手はフヨウだぞ。確かにこいつは美人かもしれないが、暴力を振るう恐ろしい女だ。このドキドキは、デートでドキドキしてるんじゃない。いつ殴られるか分からんからドキドキしてる……そのはず)

 自信のない心の声に、境はため息を吐く。

 オシャレな鞄が展示されているショーウインドーに、自らの姿が映り彼は足を止める。

 黒のサーモカーディガンとパンツ、アイボリーのハーフタートルネックニット、それに革靴。

(この服装は変か? いや、たぶん大丈夫……だよな。で、でも、フヨウと歩いて釣り合いが取れてるのか?)

「境、どうしたの?」

「は? いや、何でも。任務のために仕方なくオシャレな服を着たんだから、感謝しろよ」

「唐突なツンデレは何? もう、家を出てからずっと黙ってばっかり。私といるのは嫌?」

「嫌じゃない!」

 自分の口から飛び出たと思えないほどの大声に、境自身が驚いた。

「う、え、そう? なら、良かった」

「お、おう」

 それきり会話が途切れる。

 無言で冬の寒さに満たされた街をしばし歩いた。

 休日だからか、街には沢山のカップルが散見される。

 腕を組み、体を密着させ、緩み切った顔で何事かを語り合っている姿は、今の境にとって我が事のように気恥ずかしかった。

「……フウ、ほら」

 フヨウが境の右腕に腕を絡ませ、ピッタリと体を寄せてきた。

「な!」

「忘れたの? 今回の任務は、超越種らしき不審者を探すことよ。相手に私たちが敵だと悟られては駄目なの。だから、ちゃんと恋人っぽくしなきゃ。こんな若い人たちが多い所で、男女二人黙って歩いていたら浮いちゃうでしょ」

「そういうもんか」

「そうよ。……リードして」

「お、おう」

 そうは言われてもどうしたものか。

 ふと周りを見渡せば、ジロジロと通行人たちの視線を集めていることに気付く。

 ま、まずいカップルっぽくないから変に思われたか、と境は焦りを感じたが、実際のところは「何だあの美男美女カップルは。や、やべえ」としっかりカップル認定されている事実を彼は知らない。

「フ、フヨウ。飯でも食おう。朝から何も食ってないし」

「そうね。ウーン、何が良いかしら?」

「あ! あそこで良いだろ」

 右手に感じる温かな体温にドギマギしながらも、境が足を踏み入れたお店。それは、「背油道」と看板に書かれたラーメン屋だ。

 店内は、豚骨の香りに満たされ、客のほとんどが男性である。

 席はまばらに空いており、境たちは二人掛けの席に腰掛けた。

「普通、デートでここ来る?」

「え、駄目なのか?」

 甘酸っぱさなど、豚骨オンリーワールドにあろうはずもなし。

客席から見える厨房は、長年ラーメンを提供してきたことを伺わせる油汚れにまみれている。

スキンヘッドの店主は、漢くさい厨房からヌウ、とフロアへ飛び出し、無言で水とメニュー表を境たちのテーブルへ提供。あとは筋肉質な背中を見せつけるように、厨房へと戻っていった。

「漢くさい所。オシャレなレストランに連れてくくらいの甲斐性は欲しかったわね」

「う……」

「でも、ま」

 フヨウは、花のように鮮やかに笑った。

「あなたらしくて良いわ。いつも通りって感じね」

「う、うっせぇよ」

 そっぽを向く境の耳は、赤く染まっている。

 それをぼんやりと眺めていた店主は「青春だ」と小さく呟いた。


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