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第一章 やる気のない学生③


 件のボウリング場は、電気さえもついておらず、まるで心霊スポットのようだ。広い駐車場には車一台なく、等間隔に並ぶ車輪止めが墓標めいて見える。――そんな景色に、一つの変化が生じた。

 白をベースに襟が青いブレザーを来た少年が、徒手空拳のまま正面入り口に向かって直進している。瞬く星々をスポットライトに歩む姿は、白い肌と相まって幻想的と評してもよい。

 ボウリング場は無人。少年が訪れても、耳に痛い静寂が出迎えるだけのはずだった。――だが、ボウリング場は無人ではない。

「へ、へへ。おい、見ろよ」

 ダボダボの服を着た、ガラの悪い連中がすでに先客としてボウリング場を占拠している。数は恐らく五十人ほど。明かりさえロクにない場所で蠢く彼らは、廃墟の不気味さを何倍にも誇張させていた。

「歓迎してやろうぜ」

「ただ捕まえるのもつまらねえ。ちょっとずついたぶって、泣き叫ぶさまを愉しもう」

 下卑た笑い声が、暗く広いボウリング場に木霊する。

 目には嘲りの光がちらつき、闇に溶けるように息をひそめ、彼らは獲物が罠にかかるのを待った。

 一歩一歩、少年はゆっくりとボウリング場に近づいてくる。

 よく見ればその学生は、端正なまるで女にも見える顔をしているではないか。人ならざる者どもは、興奮に荒く息を吐く。

「ほら、あと少しだよ、お嬢さん」

 ギイ、とガラスが割れたドアが開かれた。

 ブレザーの少年は、特に異変に気付いた様子もなく、暗い室内に足を踏み入れた。

「へへ、駄目じゃないか。一人で肝試しかい? 危ないなぁ」

 少年の背後に、入り口を塞ぐ形で三人の男たちが現れる。そして、それに続くようにそこら一帯から次々と荒くれ者が姿を見せ、少年を囲む。

 彼らは人のような見た目でも人外の存在である。人間を圧倒していると自負し、弱者をいたぶるのが何よりも好きだ。

 これから心躍る血の遊戯が始まるのだと、興奮した様子で彼らは笑う。

「どら、顔を見せろ」

 集団の中にいた一人の男が歩を進め、少年の顔を覗き込んだ。

「う! お前……」

 およそ人間離れした美貌だが、男が目を引かれたのはそこではない。殺意を漲らせた羅刹の双眸に戦慄したのだ。

「チィ、汚らしい」

 少年は汚物を踏みつぶしたような声音でそう吐き捨てると、手を鋭く振った。

 ズン、と物凄い音が鳴り、男は目線を下げる。

「あ、何だよこれ。どうなってるんだよぉぉぉ」

 少年の腕が、男の腹部を貫いている。驚愕に男の顔が歪む。銃弾さえ弾く鋼の体を持つ己が、まさかこんな優男の細腕に貫かれるとは思わなかったのだ。

 少年は、腕を引き抜き、男の首根っこを掴んだ。

「あ、ああ」

 呻く声は、恐怖か絶望か。男は少年の目をもう一度見つめ理解する。

 ――ああ、獲物は俺の方だった。

 男はそれ以上の感想を綴ることはできなかった。なぜならば、少年の手が万力のように首に食い込んでいき、ゴキリと音を立てて沈黙させてしまったからだ。

「この力……ま、まさかこいつは、調律者か」

「ようやく気付いたのかい? 間抜けだな」

 少年は優雅に笑い、手を前方にかざす。

 暗かったはずの室内が、幽玄なる輝きによって一瞬だけ照らされた。

 白き手には鞘に収まる刀が一つ。

 少年は、柄を握りスラリと引き抜く。

「に、逃げろ。あ、ああああああああ」

 ――悲鳴が一つ、二つと木霊した。

 ピシャリ、と古びたボウリングボールが血に汚れ、悲鳴が増えるたびに濃厚な血の匂いが辺りを穢していった。――刮目せよ人外の者どもよ。彼らにとって想定外の恐るべき血の遊戯が始まる。

 ※

「始まったみたいね。相変わらず、仕事だけは真面目なんだから」

 フヨウは、外の配管から伝って二階の窓から中へ侵入した。

 ゲームの筐体は廃棄されておらず、ボウリング場が潰れた時のまま時間を止め、闇に佇んでいる。

 敵がどこに潜んでいるのか分からないため、懐中電灯を使うことはできない。

 フヨウは夜目の利く自らの目と、頭に叩き込んだ地図を頼りに暗闇を進む。

 階下からくぐもった悲鳴と、銃声が聞こえてくる。

 最低なBGMね、と彼女は憂うように吐息を漏らす。

 このボウリング場の二階は、最新ゲーム機が遊べる最高の娯楽施設であった。真ん中を隔てて北側にメダルゲームやUFOキャッチャーが、南側にシューティングゲームや格闘ゲームを遊ぶ筐体が密集している。

 行方不明者がいるとすれば、北側だとフヨウは当たりを付けていた。入口や窓から離れているのが、理由の一つ。もう一つの理由は、超越種どもの悪癖にある。

 周囲を警戒しながら、音を立てずに歩み続けるフヨウ。彼女は、北側のフロアに足を踏み入れ、あるものを見つけた途端、スウと目を細めた。

(ああ、やっぱり。人をいたぶるために、こんな筐体を利用すると思った)

 眼前には、五メートルほどの高さもある巨大なメダルゲームの筐体がある。透明なアクリル板のおかげで中が覗けるようになっており、稼働時はさぞ多くの人々をヤキモキさせたことだろう。――だが、今は吐き気を催す牢獄と化している。

「う、ううう」

「ぬぬ、う」

 うめき声が、寒気の合唱を奏でる。

 アクリル板を隔てた向こう側に、縄できつく縛られた人間が五人、詰め込まれている。服は着ておらず、天井から伸びた管が頭に突き刺さっている様は痛々しい。

「待ってて、すぐに出してあげます」

 フヨウは、大きなウエストポーチから高音波カッターを取り出すと、アクリル板の端に刃を当て、上から下へ板を切る。カッターは軽々と板を切り裂いていくが、小柄な彼女にとってこの大きなアクリル板の切断はイージーとは言い難い。

 時おり「んしょ」と声を発しながら、玉の汗を額から流し、作業に没頭した。

 良識ある人間ならば、彼女の姿を見かければ手伝うこともしただろう。

 ――だが、ここはあいにく敵地だ。

 音もなく彼女の背後に、怪人が忍び寄る。手足が蛇のように長く、レイピアのように鋭く尖った爪、顔は白いピエロのお面で覆われている。

 フヨウは、後ろを振り向かない。無防備な後姿は、小さく儚い。

 怪人は、ゆっくりと構え、鋭い爪を小さな背中へ向かって突き出す。

 ――迸る血が赤い雨となって、地面を濡らした。

「ガ、ガハ」

「残念だけど」

 フヨウの手は、背後に向かって伸びている。手の延長線上には、額に投げナイフが突き刺さったピエロの姿があった。

「気配の消し方がいまいちね。それじゃ、私は殺せないわ」

 そう疲れたように言葉を吐きだして、彼女は懐から投げナイフを四本取り出した。

 見渡せば、闇に無数のピエロのお面が浮かんでいる。

 数はざっと数えて十五ほど。汗に濡れた前髪を払い、フヨウは柔らかく笑う。

「こんばんは。突然の訪問失礼いたします。よくもこの方たちにおぞましい地獄を体験させやがりましたね。私、怒りました。なので、今からあなた方を地獄へ送って差し上げます」

 言い終わるや否や、ナイフを投擲。

 四本の軌跡が、人外の者共の胸部に深々と突き刺さる。四人は身体を震わせ、胸から鮮血を吹き出し、暗闇を舞う。

 少女は素早く残りの敵に近づき、腰から抜き放った短刀を振るった。

 喉を切り裂き一人目、心の臓に突き刺し二人目。圧巻の早業。しかし、敵の数はまだ九人も残っている。

「あ、人間かこの娘?」

「だが、これで」

 ショックから立ち直ったピエロたちは、腕を鞭のようにしならせ、突き出す。

 超越種は人にあらず。彼らの一撃は、分厚いコンクリートの壁に風穴を開け、速度は銃弾に匹敵する。

 九人から突き出された腕は、四方八方から迫りきた。逃げ場のない攻撃は、死の宣告と何が異なるだろう。――だが、それは力を持たぬ者の話だ。

「当たらないなら鋭いだけ。見掛け倒し……笑っちゃうわね」

 フヨウのゆらりとかざした手と刃が、鋭い爪を受け流す。

 いかにすべてを穿つ爪であっても、水に攻撃しても意味はない。

 水のように流麗な受けが全ての攻撃の軌道を反らし、当人たちが予期せぬ所へ爪が突き刺さる。――具体的には、ピエロの爪は仲間のピエロに突き刺さった。

「が、あああ」

「攻撃を避けるでもなく逸らすだと。人間如きの動体視力でできるはずが」

「馬鹿ね」

「何?」

「攻撃を見切るのに必要なのは、動体視力だけじゃない。大事なのは予測。予備動作を確認して、どこに危険が迫るかを見極め、適切に対処する。それに必要なのは経験と知識。――すなわち武術。

お前ら超越種は、なまじ人よりも優れた身体能力、異能を持つがゆえに人の英知を馬鹿にする。だから、教えてあげるわ。英知は神をも殺す武器になることを」

うめき声をあげて、複数のピエロが絶命する。

 フヨウは、氷の瞳で残る二人の敵を見据え、手招きをした。

「あらゆる攻撃を受け流し、全てを相手に返す私の武術――名を流水劫火と呼ぶ。恐れないなら手を伸ばすが良い。それが死期だと悟るでしょう」

 ピエロの仮面に隠れた二人の顔は歪んだ。人間は、超越種にとって下に見るべき下位の存在。踏みにじることがあっても、逆はありえない。

 プライドによって発火した怒りが、二人のピエロを突き動かす。

 交差する一人と二人。フヨウが、声も上げずに微笑む。

「ば、かな」

 鮮血が噴き出し、二人は倒れ伏す。

 フヨウは、敵が沈黙したことを確認すると、メダルゲームの筐体に近づく。

「アクリル板は切った……わね。んしょ、あとはこの管を外して、ん?」

 行方不明者の頭に突き刺さっている管を引き抜いた瞬間、金と赤が入り混じった液体が管から吹き出した。

(何を人の体内に入れていたの? 気持ち悪)

 フヨウは、ポーチから簡易検査キットを取り出すと、液体を容器に入れ、四角い機器にそれを差し込んだ。

 検査結果は、すぐに機器のディスプレイに表示された。

(これは! どうしてこんなものを)

 驚愕の顔に染まったが、フヨウは頭を振り、筐体から出した人々の治療を行った。

 医療の心得が多少はあるとはいえ、できることはそう多くはない。簡易的に治療を済ませ、北側奥にあるカウンターへと足を踏み入れる。

 散らかっているかとフヨウは思ったが、中は綺麗に整頓されていた。

 フヨウは、棚に収められた真新しいファイルを一つ取り、ページを捲っていく。捲るごとに彼女の顔は険しく嫌悪感に満ちた表情に変化していった。

「こちらゴーン。坊ちゃんと一緒に残党も始末した。無事だろうな」

 耳にはめたインカムから、やけにダンディな声が聞こえた。

 いつもは機械のようにすぐさま返事をするフヨウだが、今回は返事をするのに数秒はかかってしまう。

「おい、怪我をしたのか?」

「い、いいえ、ごめんなさい。怪我もなく、敵のせん滅、行方不明者の発見・保護も済んでいるわ。……ゴーン、私たちの敵は随分はた迷惑なことを計画しているみたい」

「何だと? そいつぁ一体?」

 フヨウは、資料を手に持ったまま、ピエロの一人に歩み寄り、仮面を剥がした。トカゲのような顔と一緒に、額に刻まれた模様が露になる。

 杖を持った老人が雷を降らすその模様を、フヨウはよく知っている。

「最近、最も元気な敵対チーム【ゼウ・リベ】は、人間の兵隊を作る気みたいね」

 な、とゴーンの驚愕に満ちた声が、インカム越しに聞こえた。

「ん? ……ハア、ごめんゴーン。ちょっと後始末するわ」

 先ほど救ったはずの行方不明者たちが立ち上がり、異形へと変貌する。

 雄たけびを上げる異形たちの姿に、人としての名残を見つけるのは難しかった。

 フヨウは悲しげに目を伏せると、静かに小刀を腰から引き抜いた。


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