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一、黄泉−4



   2



「――痛ッ!」

 額に紙飛行機がヒットした客人は、まだ十にも満たない少年だった。

「わっ!?」

 願い紙があげたささやかな炎に驚き、かばった頭にはつむじがふたつ、縦に並んでいる。熱さを感じないことに気づいてあげられた顔は、濃いめの眉が凛々しい、賢そうな面立ちをしていた。

「なにするんだよもう……」

 前髪が焦げていないか確認する手は、青い車模様のパジャマからのびている。その格好にカナデは違和感をおぼえたけど、あえてそこには触れず手をあげた。

「よ、カズオミ」

 ほんの一瞬の口付けは、まるでなにもなかったかのよう。タエは立ち上がり、平然と卓へと戻っていった。

「カナデ兄、久しぶりだね」

 客人――カズオミも、カナデのしぐさを真似る。

 屈託のない笑みを見せる彼は、すでに常連客となり部屋の空気に溶け込んでいた。

 ミネギシカズオミ、九歳。彼は幽体離脱を頻繁に体験しては、さ迷い黄泉にたどりつく、現世の人間だった。

 黄泉の鬼門で行き来するのは鬼ではなく、まだ天寿を全うしていない生きた魂なのだ。

 たいていの魂は、自力で母屋――しかもタエのいる神室(しんしつ)に来ることはできない。広い黄泉内で迷子になっているところを艮の玉梓に拾われるのが常だ。

 けれどカズオミは、鬼門から艮の神室までの道を完璧に覚えてしまっていた。

「タエ姉も久しぶりだね」

「ここに来るんじゃないっていつも言ってるでしょう?」

 もちろんそれは、こちら側としてはあまり良いことではない。

 カズオミの飴色の瞳に見つめられて、タエは呆れたように息を吐いた。何度言ってもやってくるので、すでにその台詞は形だけのものになっている。

 子どもだからこそ許されるの知っていて、きかん坊は意地悪めいた笑みを浮かべる。まだ幼いというのに、彼の思考はカナデよりも深い部分があった。

「ねぇ、タエ姉……」

「アタクシ今日は忙しいから、カナデに遊んでもらってちょうだいな」

 カズオミの澄んだ声をさえぎって、タエは香炉に手をかざす。あわててカナデが立ち上がると、一瞬でソファーとテーブル、カップまでもが消えてしまった。

 見る間に、カズオミの頬がふくれた。

「今日はって、タエ姉はそういっていつもボクを追い出すよね。それでカナデ兄と離れに閉じこめるんだ」

「俺と遊ぶの、嫌か?」

 幾分傷ついた表情を見せるカナデに首をふって、カズオミは何も言わないタエに駄々をこねる。

「ボク、タエ姉と遊びたい」

 さっきの拗ねたものとはまた別の、甘えた口ぶり。カズオミは、子供の魅力最大限に神を見上げていた。

 細いあごがさらに際だたせる大きな目から、タエは居心地悪そうに視線を外す。願い紙を手に取り、眺め、それでもカズオミがあきらめないと知ると再びため息をついた。

「……しょうがないわねぇ」

 観念した様子のタエに、カズオミは嬉々とした表情で彼女を見上げる。

「扉までおくってあげるわよ」

 その一言に、彼は肩を落とした。

 けれどカズオミはそれ以上、ねだることはしなかった。神が許す最高限度がそれならば、従うしかないことぐらい、彼に理解できないわけがない。

 卓からドアノブまでの、わずか数歩ぶんの距離。ゆっくりと立ち上がったタエの隣について、カズオミははにかんだ。

「カナデのそばから離れて、どこかに行くんじゃないわよ?」

「うん」

 二人のために、カナデは扉を開けて先に待つ。カナデ兄とタエ姉。カズオミは自分たちをそう呼んで慕い、黄泉に来ては一緒にいたいと駄々をこねた。

 それでも手を煩わせるほどのわがままも言わない、聞き分けのいい子だからこそ、タエは彼を好いている。

「――タエ姉」

「なに?」

 いざ扉をくぐるとなると、カズオミはタエのスカートをつかんで立ち止まった。

「次にきたときは、ボク、この部屋にいてもいい?」

 そのまま、身体だけ部屋から出る。返事をしないと手を離さない。はにかむ頬の裏に、そんな意思を隠していた。

 それが伝わっているけど、タエは何も言わない。微笑みを絶やさず、彼女は彼女で沈黙を主張した。

「いいよね?」

 成立しない会話に、カナデは気配を感じてカズオミを呼ぶ。

「カズオミ、行こう」

 カナデが引こうとしたカズオミの腕が、触れる前に動いた。

「タエ姉も一緒に行こう!」

「!」

 乱暴に腕を引かれて、タエの身体が前に傾ぐ。

「ボク、タエ姉も一緒がいい!」

「わがままは言うものじゃないわよ」

 タエが身体を戻そうとすると、彼はなお引く力を強める。どんなに優しい言葉でたしなめても、カズオミは決してあきらめなかった。

 いつもは素直にタエのいうことを聞くはずのカズオミが、今日に限ってわがままを言っている。そんな彼に、カナデもタエも困惑するしかない。

「タエ姉も!」

「いい加減にしなさい」

「今日だけでいいから!」

 その小さな身体のどこから、そんな力が出るのか。タエの身体が半分ほど、部屋から引きずり出される。

「カズオミ!」

 カナデあわてて止めようとしたけど、一歩たりなく。

「無礼にも程があるわ!」

 厳しい叱責とともに、タエはカズオミの手を振りはらっていた。

「神に触れるなど、一端の魂がやっていいことではない。わきまえなさい」

 静かな、けれど重い口調で、艮の神はカズオミを見据える。乱れた髪で表情は隠されていたが、怒りをあらわにしているのは確かだった。

「……ごめんなさい」

 身をすくめ、カズオミはうつむく。腹部をおさえ、今にも嘔吐しそうなほど、顔が蒼くなっていく。ようやく我に返ったようで、身体をがたがたと震わせた。

 着衣を正し、タエは部屋の中へと身体を戻す。髪をかきあげ、なかば睨むようにカナデを見た。

「カナデ、連れていってちょうだい」

「……はい」

 その場にしゃがみこもうとするカズオミを無理やり背中に乗せ、カナデは扉を閉めようとするタエに(こうべ)を垂れる。

「行ってまいります」

 返事は、乱暴に閉められる扉の音。

「カズオミ、行こう」

 肩口が濡れるのを感じながら、カナデは母屋を後にした。


     ○○○


「……ずいぶん落ち込んでるみたいだね」

 ナリアキの視線の先には、ひざを抱えて黙り込むカズオミの姿があった。

 四時の鐘が鳴ったのはもうずいぶん前のこと。小一時間、カズオミはその格好のまま動いていない。片手を腹部にそえてはいるものの顔色はよくなっていて、伏せがちの瞳は何か思案しているように鋭い光を放っていた。

「身体、痛くならないのかな?」

 客用であるはずの玄米茶をすすり、ナリアキはもなかをつまむ。純和風な彼は、純和室の離れによく馴染んでいた。

「すいません、ナリアキさん……」

「いや、いいよ僕は。お客様もまだ来ないみたいだし」

 ふさぎこむカズオミと二人きりを避けたくて、気づくとカナデはナリアキのもとに足を運んでいた。

「久しぶりにカズオミと会えたしね。元気そうでよかったよ」

 中身は元気じゃないですけど。言いかけた言葉をお茶でにごして、カナデも同意の意味で首をふっておいた。

 両腕を伸ばしてもまだ余裕があるほど大きな食卓にうつぶせになり、カナデは猫のようにあくびをする。木目を指でなぞり、視線は畳から襖へとせわしなく動かす。私用で離れに入ることは滅多にないので、少しばかり好奇心があった。

「……それにしても、今日のお客様はどうしたんだろう?」

 疑問を含ませた声のわりに、ナリアキは返事を求めていない。独り言によると、今日は三時過ぎに客が来た予兆があったようだった。


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