四、黄泉−3
14
『あの暴発事故の死者は、タエちゃんじゃなく、カナデ君になるんだ』
鬼門を開いたとき、ナリアキは奏に、蘇りについてのいくつかのきまりを教えてくれた。
『一度死んだ人が生き返ったなんてことあったら、世間は大騒ぎになるだろう? 第一タエちゃんの身体はもう骨になってるんだし、いろいろ不都合が出てくるじゃないか』
現世での混乱をさけるために、そういった措置がとられるのだと彼は言った。
『カズオミ君が死んだ時だってそうだった。カズオミ君のかわりに、タエちゃんが死んだことになった。今回もそうするだけさ、カナデ君は暴発事故で死んだことにするんだ』
奏が生きた事故後のことは、なかったことになる。
『君が事故後、タエちゃんの死を悲しんだことも、長い間意識不明の昏睡状態に陥ったことも、目が覚めて奇跡扱いされたことも。全部、なかったことになる。カナデ君の両親も、病院の関係者も、カナデ君は暴発事故で死んだという記憶に塗り替えられるんだ』
『じゃあ、妙は?』
『タエちゃんは、ずっと生きてたことになるね。彼女の家に仏壇はおかれないだろう。タエちゃんはきっと、カナデ君が死んだことを悲しんだりするんだ』
現世に蘇った瞬間、妙は死んでいた二年間の部分に記憶を植えつけられる。だから妙は、周囲に何の抵抗もなく溶け込むことができる。
『妙は、自分がタエ神であったことを覚えていますか?』
『それは僕にもわからない』
ただね、と、彼は微笑んでみせた。
『カナデ君は、自分がタエちゃんの葬儀に行ったことを、忘れてはいないだろう?』
覚悟を決めたとはいえ、不安を隠せない奏を、彼はそっと勇気付けてくれた。
『その後、タエちゃんの死に疑問を持ったことも、タエ神と契約をして玉梓をやったことも、ホタルのために現世に降りたことも、契約を解消されたことも、忘れてはいないよね』
忘れるものか。妙の死に悲しめなかったことも、なにかにつけてあらわれた五感の異常も、玉梓として和臣と恩田家にかかわったことも、すべて忘れてはいない。
忘れたくない。
『だからきっと、タエちゃんも覚えてるだろうね。生きているうちは忘れているかもしれないけど、また魂だけになったら思い出すかもしれない……ここらへんは、僕にはわからない』
その哀愁ただよう笑みは、一瞬だった。彼がまた、きっと、と話を続けたからだ。
『このことに関わった人も、忘れられないと僕は思うんだ』
関わった人は、ナリアキ自身をさしていた。
『こんなに深く気にかけた死者は、そうそう多くはなかったからね。子供ひとり通すだけで鬼門をあけたり、神の目を盗んで電話をかけるなんて、もうやることもないと思う。大変だったけど、あれはあれで楽しかったよ』
そして、彼は奏をまっすぐに見た。
『君が生きていたという事実は、僕も覚えているよ。だからそんなに、さびしそうな顔そうな顔をしないでくれ』
『さびしくなんかないです』
強がる奏に、ナリアキは笑った。
その笑みを思い出して、奏は赤く腫れた目を細めた。
これからどうしようかと考え、とりあえず神らしく卓にでもつこうかと椅子に座った。そして卓の引き出しに、それが大事に折りたたまれていたのに気がついた。
「なんでこんなもの、大事にとっといてるんだよ……」
あったのは、奏のジャージだ。
祭りの日に、妙に貸したあの黒いジャージ。すっかり彼女の薔薇がしみついて、手に取るだけで甘い香りが鼻孔をくすぐってくる。
それを膝の上に乗せて、奏は卓に山積みになっている願い紙を手に取った。
神だの呪だの、そういうのはまだよくわからない。けれどここには、叶えるべき願いがたくさんある。
タエ神のように、自分も仕事をこなさなければならない。
手に取った紙を、奏は二つに折った。
あの時の彼女のように。
紙飛行機を作ろう。