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三、現世−10

『奏、どうしたの?』

 奏の前でひざ立ちになった彼は、そのまま肩を前後に揺さぶらせてくる。力の流れにそのまま従う首がみしりと鳴ったが、奏には和臣を止めることができなかった。

 日ごろの栄養不足や、精神的疲労。抑え、力を抜いたために押し寄せてきた後遺症。それらが重なって、身体の自由がきかなくなってきたのだ。

 それでもなんとか保っているのは、聴覚。和臣の話はまだ終わっていなく、それを聞くまでは意地でも意識を保ちたかった。

『奏、聞いて!』

 和臣はそれを察したのか、それとも伝えたい一心なのか、必死に声を張りあげる。耳はじゅうぶんに聞こえたけど、開いた瞳孔では間近な彼の表情がわからなかった。

『あの時死んだの、本当はボクなんだ!』

 暴発事故で、たしかに和臣は一時心配停止状態にあった。カウンターショックもきかず周囲があきらめかけたとき、奇跡的に息をふきかえしたとされている。

 知っていると告げようにも、口は薄く開いたまま動かない。唾液が漏れそうで、嚥下したのどがやけに大きく鳴った。

『自分の命と引き換えに、ボクをよみがえらせてくれた人がいるんだ!』

 いうことをきかない身体に鞭うって、奏は和臣の腕に触れる。見えないなりに彼の瞳を見て、動かないなりに微笑をつくってみせた。

 涙声の彼を、安心させたかった。

『お姉ちゃんが、ボクのかわりに死んだんだ!』

 身体を和臣にあずけるようにもたれさせ、奏は意識を手放した。



 再び幽体離脱をすると、以前黄泉に来た時の記憶が鮮明によみがえってきた。

 和臣が訪れたというのは、今自分がいるのと同じところ。死後の国、黄泉。どうやって訪れたのかわからない。気づいたらここにいた。

 母屋までの道なんて奏にはわからないけど、自然と足が動く。奏の意志ではなく、誰かが手助けしてくれているような気がしてならないほど、自信をもって進んでいる。

 玉砂利が敷き詰められ、その上に張り巡らされた渡り廊下の上を、奏は歩いている。廊下の間には小さな家があり、そこには死装束をまとった人が、腕に「玉梓」と刺繍された腕章をつけた人になにやら頭を下げていた。

 遠くで響いていた鹿威しの音が近づくにつれ、母屋の姿が見えてくる。それは老舗の日本旅館のようで、神社のように神聖な雰囲気をまとっていた。

 奏はすぐにでもそこにかけこんでいきたいのだが、足がそれをゆるさない。行儀よくしなさいと、やはり誰かにたしなめられているようだ。

 ようやく入れた母屋の中もまた入り組んでいて、先ほど見た腕章の人たちが奏を見ては目を丸くしていた。母屋の外とは違ってくつろいだ様子なのは、ここに彼らの部屋があるからなのだろう。

 夏にここへ来た時は、周囲を見る余裕なんてなかった。妙は今の奏のように何かに導かれるまま、目的地へと急いたのだから。

 あの時彼女が目指したものと、今奏が目指しているもの。それはどちらも同じところで、母屋のずっと奥、神様のいるところだ。

 母屋の外見はいかにも和風なのに、中の調度品類は洋風のものがよく見られる。神のいる部屋もまた、金のノブをつけた重厚な扉だった。

『……艮』

 純金のドアノッカーには、そう彫られている。奏はその金具を無視し、無言で扉を開けた。

『たえ……』

 途端、室内に立ち込めていた煙が鼻をついた。妙の葬儀でかぎなれた線香の数倍もの白檀に、奏は思わずせきこんでしまう。

 口もとをジャージでおさえ、ようやくその香になれると、真っ白だった煙が急に晴れた。室内を、ひと吹きの風が通っていったのだ。

『香が逃げるわ。閉めてちょうだい』

『あ……はい』

 有無を言わさぬ声の調子に、奏はあわてて扉を閉める。部屋の奥には大きな円窓があり、そこから扉へと風が抜けるのを主は嫌ったのだろう。

『香がきついでしょうけど、我慢してちょうだい。これはすべて、現世で死者たちのために焚かれているものなのよ』

 まだうっすらとは煙がかかっているが、部屋の中央に、卓がある。そしてそこで、一人の少女が頬杖をつきながらこちらを見ていた。

 白檀にまぎれて、薔薇の香りがした。

『……妙』

 それは紛れもなく、妙だった。

 夏祭りの日、最後に見た姿のまま。ただしジャージは羽織らずに、彼女はそこにいた。

『妙……』

『神を呼び捨てにするとはいい度胸ね』

 ただし、妙であるのは外見だけだった。

『たしかにアタクシは艮のタエ神であるけど、なぜアナタがそれを知っているのかしら?』

 彼女が一言発するたびに、空気が揺れる。こちらをまっすぐに見てくる瞳には強い光が宿り、浮かべた微笑は威嚇のようにもとれた。

『そもそも、アナタはここに来るべき者ではないわ。まだ何十年も生きられるじゃない。来るのは死んでからにしなさいな』

『妙……』

 奏が一歩歩み寄れば、彼女の表情が険しくなる。今にも柳眉を逆立て、手元にある紙の束を投げつけんとする。警戒心が強く、彼女の放つ威圧感の大半はそれからきているようだった。

 けれど奏は、それに屈さなかった。

 妙が奏を他人として扱うことなど、和臣からの話もあり、とっくに予想していた。ただ会いに行くだけでは、追い返されるだけで終わってしまうだろう。

『帰りなさい。送るぐらいならしてあげるわ』

『けっこうです』

 奏の返事に、神の眉がピクリと動く。

『ここはね、生きている魂が来るところではないの。一生を全うし、それでもなお禍根のある者が来るところなのよ』

『知ってます』

 奏は表情を変えぬまま、卓の前へと間をつめる。喉の奥に力をこめ、凛と背筋を伸ばして卓に手をついた。

『俺も、願いを叶えてもらおうと思って』

 爽やかさを演出しようと、歯を見せてニコリと笑う。彼女はその態度に大きくまばたきをして、気を取り直そうとかぶりをふった。

『願いは死者じゃないと受け付けないわ』

『前借りした人がいるそうじゃないですか』

 彼女の顔色をうかがいながら、それでも率直に。一歩踏み外せばもう二度とここに来れなくなるだろうが、下手に出ることはしたくなかった。

『俺も、前借りしたいと思って』

『前借りをしたら、いざ死んで悔いがあってもどうすることもできないのよ?』

『それでもいい』

 再び、彼女の眉が動く。手が卓の引き出しを開け、奏は思わず身構えた。

『ここに、願いを書いてみなさい』

 妙は何も投げつけず、小さな藁半紙と万年筆を奏に渡した。

『叶えてくれるんですか?』

『願いによってはね』

 奏はふと、彼女は自分が峰岸妙だということを忘れているのでは、と思った。きっとこれが本物の妙なら、奏がなんと願うか予想しているはず。何をしてでも願わせないようにするだろう。

 けれど、彼女はそれをしない。

 もしかすると本当に、何も覚えていないのかもしれない。自分は黄泉の艮の神だと思い、勝手に侵入してきた奏のことがまったくわからないのかもしれない。

 奏は探るように妙を見たが、彼女はただ、『書きなさい』と瞳でうながすだけだった。

 だから奏は、言われるがままに万年筆を握った。

『……できた?』

『はい』

 卓の上に紙を滑らし、彼女はそれに目を通す。

 少しでも変化が見られないかと、奏はまばたきをこらえて彼女を見つめた。普段なら目を開くことなど簡単なことなのだけど、こうも煙の充満された部屋にいると涙がにじんでしかたない。

 彼女は紙面に目を通し、再び眉を跳ね上げた。


 ――峰岸妙を蘇らせたい


『死者の蘇りは禁忌とされているの。願いを叶えるためにはね……』

『知ってます。代償の魂は、俺の使っていいですから』

 自分を見上げてくるその仕草に、かつて彼女と交わした感情はかけらも感じられない。

 やはり、覚えていないのだろうか。奏は思い、息をついた。

 事故の後遺症として五感に異常が生じるのは、彼女がここで奏の記憶に何らかの手段で鍵をかけていたからだと思っていた。だから奏は、今まで妙と一緒に黄泉に来たときのことを思い出せなかった。その仮説は誤りだったことになる。

 けれど、彼女が峰岸妙だということを覚えていないというのなら、奏の願いを拒む理由がない。思っていたよりも簡単に、願いを叶えられそうだった。


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