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三、現世−9

『……あらかじめ言っておくけれど、死者を蘇らすには、今まさに現世で生きている魂が必要になるんだ』

 それは、前借りの肯定を示していた。

『そして、蘇りを願った魂は、永遠に輪廻転生の輪に戻ることができなくなる』

 妙に気づかれないよう、神は足をすらせながら後退する。けれどつめ寄る妙の一歩のほうが大きく、その間はつまるばかりだった。

『和臣を蘇らせて』

『……妙?』

 今までになく真剣な妙は、奏の呼びかけを無視した。神は奏を気にかけたが、妙に従い視線をはずした。

『代償は?』

『アタシ』

『もう二度と転生できなくなるけど』

『かまわない』

『妙!』

 奏が呼んでも、腕を引いても、妙は無視をする。ただひたすら神を見つめ、神もまた、妙をまばたきもせず見つめていた。

 すでに、話は二人だけで進んでいる。入ろうとしても、妙がさえぎってしまう。神は奏に、あきらめろ、と言いたげな視線を一瞬だが向けた。

『死者の蘇りは禁忌とされている。そう簡単に許すことはできない』

 ふいに、穏やかだった声が変わった。深みの中に威圧のようなものを感じ、室内の空気が雨のように重くなった。

『……が、話を聞いてやろう』

『ちょっと待て!』

 奏が話そうとすると、さらに空気が重みを増す。普段の何倍もの力をこめて話しているのに、声は小さくなる一方だった。

『妙、一人で勝手に決めるな』

『いいの』

『よくない!』

 肩をつかんで、無理矢理こちらを向かせる。彼女はうつむいたまま、決して奏を見ようとはしなかった。

 神のした簡単な話だけでは、その禁忌とやらの細部を知ることはできない。けれどその大まかなことだけでも、わかることは十分にあった。

『自分がかわりに死のうっていうのか?』

『そうよ』

『そんなことしたら、妙が』

『いいの!』

 すべてを言わせず、妙は奏を突き飛ばした。

 そんなに強い力ではなかったけど、この重い空気の中だと、上手くバランスをとることができない。二歩、三歩と奏がよろけた隙に、妙は身を翻して神のもとへ走った。

『二人で話をさせてください』

『……いいだろう』

 神は一呼吸ほどためらいを見せたが、浅いうなずきとともに、奏に掌を向けた。

『待て!』

『神にそのような口をきくものじゃない』

 それが拳を握った瞬間、肺の中いっぱいに、線香のにおいが充満した。

 それは室内に焚かれた香によるものらしく、奏は煙に負けて激しく咳き込む。吐き出される煙は、意思を持って奏にまとわりついているようだった。

『頼む、待ってくれ!』

 口を開くとまた煙が押し寄せ、奏はたまらず口をおさえる。そうすると声を出せなくて、神はもう聞いてはくれなかった。

『妙じゃなくて、俺が――!』

 いっそう濃くなった煙に巻かれ、奏は白の世界に放り出された。


 目が覚めると、そこは病院で、妙は死んでいた。


     ○○○


年が明け、その時期一番の最低気温が記録された真冬日。

『どうしてこんなことするんだ!』

 奏がつかんだ和臣の手は、血にぬれて赤く光っていた。

 もうとっくにふさがったはずの傷口が、開いている。いや、開かされている。

 和臣は、自分で自分の傷口をえぐっていた。

『傷口から菌が入ったらどうするんだ! 感染症にかかるかもしれないんだぞ!』

 奏は事故で妙を亡くしてから、見る間に痩せていった。学校にもろくにかよわず、時たま担任が尋ねてきたが、話をしようともせずただ一日中空を見つめていた。

 恋人を亡くしたショックで、と理由なら簡単につけることができる。けれど奏は、この無気力感は妙を亡くしたせいではないと薄々気づき始めていた。

 暴発事故で意識を失い、病院で目覚めるまでの間に、何かあったように思える。けれど、その何かがわからない。

 それを探す、朦朧とした日々の中。和臣の血を見て、初めて大きく感情が揺れた。

『事故で生き残ったのに、どうしてこんなことするんだ! せっかく、せっかく……』

 せっかく、なんだというのか。次の言葉が出なくて、奏は押し黙る。峰岸家のアパートの、仏壇のある部屋。遺影の妙がこちらを見て微笑んでいた。

 妙が死んでからも、奏は頻繁に峰岸家に通った。ほぼ毎日のように押しかけて仏壇に手を合わせても、誰も迷惑がる者はいない。妙の好きだった薔薇の香りの線香をたてて、長いこと仏壇の前にいる生活をしていた。

『こうしないと、忘れそうになるんだ……』

 奏の激昂におびえてた和臣が、ようやく口を開いた。

 あと数ヶ月で小学二年生になる和臣は、事故以来、年齢に似つかわない物憂げな表情を見せることがよくあった。それは決まって妙に関する時で、眠りから覚めた後に多く見られるものだった。

『こうしないと、忘れちゃうんだ。忘れさせようとしてるけど、ボク、忘れたくないんだよ』

『忘れる?』

 言葉の意味がわからず、奏は首をかしげる。ようやく落ち着いた表情を取り戻した奏に、和臣は、決意に満ちた表情で言った。

『ボク、最近よく幽体離脱するんだ』

『幽体離脱?』

 和臣の話がとっぴ過ぎて、奏は返答につまった。力の抜けた奏の手から、和臣は血塗れた手を引き抜く。おさえた腹部は血が流れ、トレーナーが赤くにじんでいた。

 奏もすすめられたカウンセリングを、和臣も受けるべきではないだろうか。そう思うけれど、病院に行くのを拒む自分がそれをすすめるわけにもいかない。

 ジャージの袖からのぞく、自分のやせこけた手首。それが和臣の自傷行動に似ている気がして、奏は問うた。

『和臣、幽体離脱したことあるのか』

『寝てる時に……夜じゃなくて、昼でも、眠った時に。目が覚めたら布団の上に立ってて、寝てる自分を見下ろしてるんだ』

 そういった類の経験がない奏は、身体の後ろに手をつき、あぐらをかいたまま天井を見上げた。お手上げだ。なんと言えばいいかわからない。

『幽体離脱すると、いつも黄泉っていうところにいるんだ』

『……ヨミ?』

 まずは、話を聞いてやろう。返事の心配をするでもなく、奏はだまって和臣の話に耳を傾けた。

『そこは、宿なんだって。その宿に泊まるのは死んだ人の魂で、みんな願いを叶えてもらうのを待ってるんだ』

 その話を、空想だと切り捨てることだってできる。けれど奏は、そうしようと思わない。むしろ和臣が話しやすいよう、適度な相づちを打つことを考えた。

『願い、ってのは?』

『魂はみんな、死ぬ前にやりのこしたこととかがあったら、一生に一つだけ願いを叶えてもらうことができるんだって。願いを叶えてくれるのは、願い神っていう神様なんだ』

 和臣は大きな瞳をとじて、その黄泉というところを頭に浮かべている。

『ボク、いつもそこにいるんだ。鬼門っていうのをくぐって、渡り廊下を決まった道順で歩いたら、母屋に行けるんだ』

 奏は、その話をどこかで聞いたような気がした。和臣からではなく、誰か別の人物が説明してくれたはずだ。

 それは、誰か。どこで教えてもらったのか。

和臣の話を聞くうちに、思い出せる気がする。

『そこで、いつも何やってるんだ?』

 訊ねると、耳鳴りがした。タイミング悪く後遺症が始まったようだけど、奏は太ももに爪を立ててそれをなんとかこらえた。今話を中断させると、和臣は意識せぬうちに話の内容を変えてしまうおそれがあった。

『神様に会いに行ってるんだ。いつもすぐに追い出されるけど、ボク、どうしても神様に会いたくて……』

 その続きを、和臣は言うかためらっているようだった。その間にも奏の耳鳴りは強さを増し、つきたてた爪がぶるぶるとふるえた。

『その神様、お姉ちゃんに似てるんだ』

『……妙に?』

 聞いて、奏の脳裏に暴発事故のことが浮かんだ。

『似ているっていうか、あれは、お姉ちゃんなんだと思う。ボクのこと知らないふりするけど、あのワンピース着てたもん』

 胸の奥で引っかかっていたものが、外された気がした。

『絶対、お姉ちゃんなんだと思う』

 だから、と和臣が意気込み、奏につめ寄ってくる。

『……奏?』

 やにわに、肩をつかまれた。


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