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三、現世−8

 彼女の身体を透かして、介抱を受けている妙が見えた。むき出しの生足にあちこち擦り傷を作ったらしいが、奏が意識を失う直前に見た彼女そのもの。ただ気を失っているように見える。

 今こうして、奏と話している妙は……。

『奏だってそうじゃない』

『え?』

 言われて、奏はあらためて自分を確認する。鼻に手をあてれば痛みもないし、手には乾いた血ですらついていない。爆風であちこち打ったはずなのにその痛みもなく、むしろ上半身だけ横たわる自分から出ているのを見ればすぐにわかるものだった。

『これ……?』

『何回か戻ろうとしてみたんだけど、できないみたい。しばらく待たないと駄目なんじゃないかな?』

 生まれてはじめての幽体離脱に、奏はひたすら混乱するばかり。対して妙は冷静で、再び寝転んで身体に戻ろうと試みる奏を優しく諭してくれた。

 奏があきらめて立ち上がると、まだ身体に入っていた下半身がはがれる。固まりかけたゼラチンから指を抜くような、生温かい感覚が気持ち悪かった。

 気を失っている自分を客観的に見るのは当たり前だけどこれが初めてで、ようやく止まったらしい鼻血で顔半分が真っ赤になっている。Tシャツにおびただしいほどの染みができていて、鼻が折れていてもおかしくない。曲がった軟骨を戻すのはとても痛いと聞くので、身体に戻る前にそれが終わってくれればと願うしかなかった。

『和臣は?』

『まだテントの下』

 青年団は、和臣を見てあきらかに動揺していた。鉄パイプを抜こうとして怒鳴られている者がいた。冷静な者は、邪魔になるテントをはがす作業に移っていた。

『和臣、お腹に……』

『わかってる。俺も見た』

 見る間に瞳に涙を浮かべる妙の頭を抱き、奏は睨むようにテントを見た。

 周囲は混乱しきっていて、負傷者が一番多い発射台近くのほうが優先的に救命活動を受けている。青年団に無理矢理連れてこられたと見られる若い救命隊員は、和臣を見て目を見張ったが、すぐに適切な処置をし始めた。

『大丈夫だ。絶対助かる』

 小刻みにふるえる細い肩を抱くと、妙はうなずいて顔をあげる。目は真っ赤に腫れていたけど、涙を流した様子はなく、見上げた瞳が空を見てまるくなった。

『あれ、何?』

『……綿飴か?』

 奏も、それを見た。彼女の指の先にあるのは、出店で売っていたような、小さな女の子に人気のピンクの綿飴。昔、妙がさくらんぼ味だと好んで食べた綿飴が、ひとつ、空から降ってきた。

 低い位置を飛んでいたと思った綿飴は、地上に近づくにつれ、次第に大きく、白くなっていく。けれど誰もそれに気づく様子はなく、奏と妙にしか見えないのだとすぐにわかった。

 綿飴がテントの上に降りたときには、大きさが青年団員の胸の高さほどまであった。綿のように軽そうで綺麗な球体のそれが口を開くと、中は同じ色で、空洞だった。

『――和臣!』

 それが再び上昇を始めた瞬間、奏も妙も同時に走り出していた。

 和臣があの中に飲まれたのを、確かに見た。そしてその和臣が、自分たちと同じように身体から出ていることも、わかっていた。

 あの綿飴に連れて行かれたら、もう二度と会えなくなるような気がした。

 追いかけるスピードは妙のほうが早く、奏は彼女が転ばないように、手綱をつかむつもりで手を握った。綿飴を見上げて走ると足元が見えなかったけど、人にぶつかることもなく、むしろ人をすりぬけて走っているようだった。

 赤々とした炎を上げる発射台も、事故現場を遠巻きに見つめる野次馬も、すべて無視して走った。さっきまで花火から逃げて走ったというのに、疲れを感じないのか、足は止まることを知らない。

 綿飴はゆうゆうと夜空を飛び、神社の鎮守の森を越えようとしている。

 それを追い、石段を駆け上った。夜の神社は薄気味悪いほど静かで、木々が風に吹かれるさまは、夕立の降る音に似ていた。

 妙は、一心不乱に綿飴を――和臣を追っている。石段に転ぶこともなく、自分たちに驚く黒い人影も完璧に無視をした。

 鳥居の向こうは、真っ暗だった。月光が降ってそこには狛犬が待っているはずなのに、境内には玉砂利ですらなかった。

 その鳥居をくぐる瞬間、奏はしり込みする自分を勇気づけるよう、柱に掌をたたきつけた。



『――よく、母屋までの道順がわかったものだね』

 肩で息をする奏と妙を交互に見て、男性は目を見開いた。

 あの鳥居をくぐった後、奏たちは境内ではなく、玉砂利や渡り廊下の上を走っていた。よく国語便覧に載っているような日本庭園や離れらしき家屋があり、黒い服に紅い腕章をつけた人が、すれ違う奏たちを見て一様に驚いていた。

 ここがどこなのか、奏たちにはわからなかった。和臣を入れた雲と同じものがたくさん空に浮いていて、どれがそうなのか区別がつかなかった。妙には考わかるのか、無我夢中で走り続け、奏はそれを追うしかなかった。

 長い長い渡り廊下は大きな母屋に続いていて、中は渡り廊下以上に複雑なつくりになっていた。それをまたがむしゃらに走って、最奥にあった扉を開けると、この男性がいた。

『玉梓のために鬼門を開いたのに……まさか現世の人が来るとは思わなかった』

 心底困ったように、けれど穏やかな表情で息をついた男性は、後ろに控えた円窓をのぞきこむ。そしてまた何かを呟いて、今度はさらに大きなため息をついた。

『とりあえず今また鬼門を開けるから、君たちは責任をもって現世に返します。どっちにしろ玉梓をこっちに戻さないといけないし』

『――あのッ!』

 先に口を開いたのは、まだ息を整えきれていない妙のほうだった。

『和臣、来てませんか!?』

 半ばあえぐように声を絞り出し、酸欠の身体でよろめきながら男性に近づく。必死の形相ともいえる妙を前にしても、やはり男性は平静を保っていた。

『カズオミ?』

『アタシの、弟。なんか綿飴みたいのにつれていかれて、アタシたち、それを追いかけてきたの』

 乱れた髪をかきあげ、妙は卓に手をつく。まるで彼を尋問するかのように、強く返答を求めていた。

 その視線を真っ向から受け止め、男性は目を閉じる。まぶたがぴくりと動き、その裏で情報を探しているようだった。

『カズオミ。カ、ズ、オ、ミ……あぁ、ミネギシカズオミのことかな?』

『そう!』

 さらに身を乗り出す妙の表情は、次のひと言で硬直させられた。

『亡くなられたよ』

 円窓から風が吹き込んでも、髪の毛一本ゆらさないような、そんな停止のしかただった。今の一言を理解しようとしているのか、それとも予想が的中して衝撃をこらえているのか、長いこと口を開かない。

 だから、奏が引き継いだ。

『死んだんですか?』

『ついさっきね』

 奏は、ジャージを羽織ったままの妙をそっと引き寄せる。腕の中で多少彼女の身体は力が抜けたが、覗き込んだ顔は眉間に縦皺が刻まれ、引きしめられた唇は色が白く変わっていた。

 死んだと言われても、どうしてもピンとこなかった。いや、和臣のあの姿を見たから、死んだと言われて納得したのかもしれない。ただ、あまりにも急なことすぎて、自分がどうしたらいいのかわからない。どうしたいかだけはわかっている。

『和臣に会えますか?』

『ここでは無理だね。いくら死後の国でも、特殊なところだから』

 死後の国という言葉に、奏は特に驚きもしなかった。自分のおかれた状況が幽体離脱なのだとしたら、そういうところにたどり着いてもおかしくないと思ったからだ。

『ここは黄泉っていってね。君たちの聞く黄泉とは少し違って、現世に悔いのある死者が来るところなんだ。すべての魂は死後、ひとつだけ自分の願いを叶えてもらうことができるんだよ』

『願いを……?』

『そう。今君が話しているのは、願い神』

『願い神……』

 ただし、願い神うんぬんは理解しがたい。自分を指さして笑う神とやらも、みょうに人間くさくて信じきれなかった。

『覚えなくていいよ。どうせ現世に戻した時にここに来た記憶は消すから』

『――本当に願いを叶えてくれるの?』

『妙……?』

 けれど、彼女は理解し、考えていた。

『本当に、願いを叶えてくれるの?』

『本当だとも。まぁ、和臣君は悔いがないようだから、ここには来ないみたいだけど』

『願いの前借りはできる?』

 奏の腕から出て、再び神につめ寄る。さすがに神も声色で真剣さを知ったのか、弧を描いた口元が一瞬だけどこわばった。


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