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三、現世−7


     ○○○


 神社といったらやはり、祭り会場の近くの神社しかない。

 幼いころ、妙と階段遊びをしたところ。和臣を連れて、三人で涼んだ風の通り道。

 欠けたり磨り減ったりして角の丸くなった石段は、急斜面に作られただけあって奥行きが狭い。地震でひびが入り、セメントで応急処置をされただけのものは、足の踏み場次第で崩れそうな危うさがあった。

 それを一息に駆け上がって、奏はひたすら、待ち構える鳥居を目指していた。

 夏は祭りの休息所。秋祭りでは宝探しをした。冬は初詣に行って、思い思いの願いごとをした。

 いつもならなんでもないはずの石段が、今日はやけに長く、急に感じる。家から神社までのノンストップで走っていたからだろうか、鳥居に近づくにつれ、脚をあげることですら苦痛になっていた。

 あと六段。あと五段。そう自分に言い聞かせて、目に入る汗をぬぐう。石段の両脇で空高く枝を伸ばす鎮守の木々は、奏を押しつぶさんばかりの圧迫感を与える。あるいは、早く行けと急かしている野次のようでもある。

 いつもの夏祭りなら、この石段にも会場から離れたカップルや学生らが座っているはず。けれど今年は、誰一人としていない。祭りの賑わいも遠く離れている。

 自分の息切れと、風に揺れる鎮守のざわめきがやけに大きく感じた。

「……あと、一段ッ!」

 脚を上げるために腕を大きくふり、叩きつけるように触れた鳥居は、夜風にさらされ冷たかった。

 のぼりきったら砂利にダイブしようと思っていたのに、たどり着いた奏は息をあらげ、じっとその鳥居に見入っていた。

 朱塗りはしていないのかそれとも剥げたのか、鳥居はむき出しの灰色である。その表面はざらつき、触れた手の汗を吸い、手形をつくって奏の到達をたたえていた。

「……これ」

 呟いたあごから、大粒の汗が落ちた。

 鳥居に、触れる。手形ができる。手がぬれているのなら当たり前のことなのに、奏の心がみょうにざわついた。

 どこかで、これと同じようなことをした。どこかで、同じようなものを見た。

 それがどこかを考えようとして、奏は息をつめる。人の気配を感じた。

 夜風より温かい、けれど自分よりははるかに低い体温。それが、近づいてきている。境内からではなく、階段を上ってきている。

 足取りは一歩一歩を踏みしめるように遅く、立ち居振る舞いは精悍だ。まなざしには、射抜くような鋭いものがあった。

 振り向いてなどいない。奏は今、それに背を向けている。

 けれど、たしかにそう感じた。

「カナデ君、少し太ったね」

 そして、それがこの世の者の気配ではないということも、感じ取っていた。

「……ナリアキさん、ですか?」

 奏は彼を振り向くことに、別段恐怖を覚えなかった。むしろ、名を呼ぶ自分の声に、自然と親しみをこめていたことに驚いた。

「やっぱり、僕のこともわからないようになってるんだね」

 奏の一つ下の段で立ち止まり、彼――ナリアキは眉を下げる。背が高いので、顔の位置は奏とあまり変わらなかった。

「でも、呪が取れかかってる。少し、自力で思い出せたところもあるんだね?」

「……はい」

 一体彼は何者なのか。なぜ自分を知っているのか。そういった類の質問は、一切受け付けてくれそうにない。ナリアキは鋭い眼光で周囲を見回したかと思うと、穏やかな微笑に一変させて話を再開させた。

「まぁ、呪をかける子の精神もだいぶぐらついていたし、新米願い神であれだけ使いこなせたら十分だけど……」

 続きは口の中で呟き、ナリアキは頭に手をやる。降りそそいだ月光は、彼を本物の人のように夜闇に浮かび上がらせた。

 彼は幽霊だ。

 足はある。裸足で歩いてきた。服は黒の作務衣。背筋が伸びている。目が涼しげに切れ上がっている。声が低い。身体が細い。

 特徴をあげればあげるほど、身体の線が明確になっていく。幽霊だとは思えない。けれど彼は、生きていない。自分とは違う。

 まとう空気が、あきらかにこの世のものとは違っていた。

「さて、カナデ君。どこまで思い出せたかな?」

「暴発事故があって、妙が死んだところまで……」

 妙、と名前をつむぎ、おさまりかけていた胸の鼓動が再び早くなる。

 このナリアキという人物は、奏の閉ざされた記憶を知っている。そして今、開いてくれようとしている。そう思うと、期待でさらに身体が熱くなった。

 そんな奏に、ナリアキは視線を尖らせた。

「カナデ君、あまり焦らない。心を乱したらタエ様に気づかれるよ」

「タエ様……?」

「名前もあまり呼ばないで」

 叱られていると気づき、奏はとっさに口を押さえる。心を乱すなというのは難しかったけど、深呼吸をするといくぶんか鼓動がおさまった気がした。

「僕は今、君の仕事の続きで現世に降りてきたんだ。タエ様は君の時みたいに四六時中見ているわけではないけど、なにか異変を感じたらすぐに覗いてくるからね」

「俺の……仕事?」

「ホタルは今日、はなびちゃんの守護霊の任についたから」

「蛍?」

 一方的に報告されて、ただただ首を傾げるばかり。そんな奏を大胆にスルーして、ナリアキは一段と声をひそめた。

「呪を使えるのは願い神だけだって言われてるけど、あれ、本当は嘘なんだ」

「ネガイガミ?」

「黙って」

 彼の制止に、空気が緊張した。つくりはたおやかだが鍛え上げられた手を額にかざされたと思うと、甲高い耳鳴りがして奏は低くうめいた。線香の香りが鼻から肺へと流れ込む。

「思い出したら、すべてわかるようになるよ。カナデ君、目を閉じてくれるかな」

 言われるがままに、奏はまぶたを下ろす。足場が狭いため、視覚が閉ざされるとすぐに平衡感覚が狂ってきた。

「僕がいいと言うまで、動かないように。足りない記憶はあと三つくらいかな」

 彼の声が、さざなみのように耳の中をめぐる。はじめは暗かった視界が白みを帯びてくると、痛いほどだった耳鳴りがおさまった。

 再びあの無を体験しなければならないのかと、奏は身体をこわばらせる。けれど、視界が完全に白になっても、足元にはしっかりと地面があった。

 地面は、次第に広がっていった。石段の小さなスペースは消え、奏が身じろいでも揺れたりしない、広大な平地ができていた。

 次第に、白の空間に線が引かれていく。まずは地面。そのあと、空。塗り絵のように、白黒の画がひとつの場面を作り出していく。色は、その画からにじみ出ていった。

 できあがったのは、あの、暴発事故の現場。ひしゃげたテントから、顔を真っ赤に染めた少年が引っ張り出されたところだった。

「それはカナデ君だね。……うん、もう自由に動いていいよ」

 ナリアキに従い、奏はその中を歩きだした。

 妙はすでに助け出されたようで、青年団の一人に介抱されていた。あいかわらず気を失ったままで、けれどこれから死ぬとは思えない、眠っているような表情をしていた。

「これは君の記憶の中だから、どんなにあがいても変えることはできないよ」

 ナリアキは奏に話しかけてはいるけど、返事を求めてはいない。奏はナリアキの声を受け流し、テントの下に残された和臣に駆け寄ろうとした。

 けれど、何もないところでつまづき、倒れてしまう。

 倒れる先には、顔半分を紅く染めた自分。

 吸い込まれるように、奏はそれに重なった。



    11



『……奏、大丈夫?』

『う――』

 低くうめいて意識を取り戻し、奏は自分を覗き込む妙の無事にほっと息をついた。

 先ほどまで雨あられがごとく降り注いでいた花火も、今は止んだらしい。消防車らしき赤い光が出店のテントを照らし、救急車がせわしなく行き来していた。

 そろいの青いTシャツを着た青年団がまわりを囲んでいるのを見ると、自分たちは彼らにテントから出してもらったらしい。救急隊員を呼ぶ野太い声は、青年団とは違う普通の祭り客のようだった。

『妙、ケガは?』

『アタシは大丈夫』

 胸を叩いて無傷を示す妙は、横たわる奏の脇に膝をついている。半身を起こした奏は、彼女を見、小さく息をのんだ。

『妙、お前――』

『大丈夫、死んでない』


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