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一、黄泉−2

 ナリアキは、いったいいつの時代の人間なのか。探ろうとして目を細めると、彼は微笑みの口角を少し下げる。玉梓になって一年とすこし。ナリアキの表情の変化も大体つかめるようになってきた。

 この笑みは、何か質問するときの微笑みだ。

「――ところでカナデ君」

「なんですか?」

「今、何時?」

 カナデは周囲を見回したけど、近くに時計はなかった。

 黄泉の空には太陽がなく、夜は電気を消したように突然暗くなる。そんな中で時を知る方法は、黄泉には二つしかなかった。

 ひとつは、いたるところに取り付けられている壁時計を見ること。腕時計というものが、黄泉には存在しない。

 そしてもうひとつは、定時に流される放送を聴くこと。宿のつくりや雰囲気は古風なものなのに、スピーカーや蛍光灯といった現代風なものも多く取り入られていた。

「……わかんないです」

 そもそも、黄泉にいる間は時間なんてほとんど気にならない。それはナリアキも知っていることで、時間と時計の位置は玉梓になったとき軽く触れられただけだった。

 いまさら時間など訊いて、どうするつもりなのだろうか。

「僕の予想だと、もうすぐ八つ半――三時なんだ」

 ナリアキが言うと同時に、梁の裏につけられたスピーカーから穏やかな音楽が流れ始めた。それは時を告げるためだけにつくられた旋律だけど、不思議と耳に馴染む琴の音をカナデは好いている。

「カナデ君、今日朝礼でタエ様に何か言われなかったかい?」

「え……」

 言われて、カナデは頭から血の気が引いていくのを感じた。

「今日の二時にタエ様のところに来るよう言われてたけど、その様子じゃ行ってないんだろう?」

「――――ッ!」

 ナリアキに礼を言うのも忘れて、カナデは渡り廊下を走り出していた。

 五分や十分の可愛らしいものではなく、一時間の大遅刻。相手が誰だとしてもゆるされたものではなく、なによりタエ様とはカナデが仕える神のことだ。

 両手をふって思う存分走れるのも、一人だけ土足なおかげ。裸足だったらこうもいかないだろう。

 琴が鳴り止み、次は鐘の音。時間を示すために、今は三度鳴らされるはず。

「待った待った、まだ鳴らすな!」

 無意味とわかっていても、カナデは放送室のある母屋に叫んでしまう。当たり前だけど声は届かなくて、鐘は一定の速度で鳴らされた。

「あー、もうッ!」

 三時を告げる鐘が鳴り終えると、スピーカーがかすかな切断音とともに静かになる。さらに疾走のスピードをあげると、また音の流れる兆候が現れた。

 よく、玉梓を呼ぶときなどにアナウンスがかかることがある。声が聞こえるまでに多少間があるのだが、今日はそれがなかった。

『――カナデ!』

 きっとこの声は、黄泉中に響き渡ったのだろう。

『いつまでアタクシを待たせるつもり!?』

「はいはいはいはい今行きます!」

 だからカナデも、負けじと叫んで走り続けた。


   ○○○


『レディを待たせるなんていい度胸ね、まったく』

 カナデが仕えるタエ神は、「(うしとら)のタエ」と称されることがしばしばある。

 それは、黄泉を上から見ると、まん丸な形をしていることに関係している。

『わかる? アナタ一時間もアタクシを待たせてるのよ? 男として恥ずかしくないのかしらねぇもう』

 中央には正八角形の母屋がたち、母屋の角から塀までを渡り廊下で八つに区切っている。 北から()(うしとら)()(たつみ)(うま)(ひつじさる)(とり)(いぬい)と名前があり、その区域ごとに神が存在し、複数の玉梓がその神に仕えていた。

 神が一人だけではないのは、黄泉へとやってくる死者と願いの数が多すぎて、一人ではさばききれないから。それぞれ区域によって扱う願いの種類も違い、また訪れる死者の数も変わっているらしかった。

『そういえば、今日の朝礼で、アナタ立ったまま寝てなかったかしら』

 タエ神のいるこの区はちょうど東北に位置し、艮と呼ばれている。だから彼女は艮の神であり、仕えるカナデやナリアキもまた、艮の玉梓だった。

『アタクシ、こんな不快な思いしたのはじめてだわ』

「わざわざアナウンスで愚痴らないでください!」

 開口一番、カナデは酸欠状態の頭で叫んでいた。

 思いのほかよく響いた声に、タエは目を丸くして言葉を切ったけど、すぐにマイクに口元を寄せた。

『遅刻した立場で、アタクシに意見するわけ?』

「……遅れてすいません」

 大きく肩を上下させ、カナデはその場に座り込みたい衝動をぐっとこらえる。神の前で、そんな姿さらすわけにはいかない。

 握り締めたままのドアノブを離し、閉めた扉の前に立つ。やり場に困った視線は、落ち着かずに室内をさまよった。

 息を吸うたびに、白檀の香が肺に押し寄せる。部屋では香が一日中焚かれているので、天井が白く煙がかるほどだ。

 室内の造りはやはり外と一緒で古風なものだけど、照明は蛍光灯。扉を開ければ真っ先に目にはいる円窓はガラスをはめ込まず、風を通して香を部屋中に広げている。

『二時に来い、と、アタクシは言ったはずだけど』

「忘れてました」

 窓をはさむように置かれた二つの棚には、書物からティーセットまでがインテリアのように置かれている。部屋の中央には大きな机があった。

 その机をたとえるなら、始業式などで校長が長々と話をするときに手をつく、卓。その上には死者の願いが乱暴に山積みにされ、マイクが設置されている。

『アタクシの言いつけを、忘れてた、と』

 ゆがんだ針金に唇を寄せ、神は上目づかいにカナデを見た。

 艮のタエ神は、カナデと変わらない(よわい)の外見を持つ。十七、八の少女の姿で、クセのある黒髪を腰までたらしていた。

 髪に反して、肌と衣服は汚れひとつない白雪(しらゆき)。玉梓は和を貫いて作務衣だけど、彼女の格好はまさに洋風だ。一枚の布を身体に巻きつけたような、ドレープがふんだんに使われたワンピースを着ていた。

『なるほどねぇ………』

 重い沈黙を埋めるように、カァン、と小気味よく鹿威しが鳴る。それは円窓の向こうの、一面に広がる水庭にあるはずだ。


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