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二、現世−13

 

 

 


「カナデ兄も、飲む?」

「飲めないからいい」

 紙コップ式の自販機からココアを取り出した和臣は、氷が浮かんでいるのを見て顔をしかめた。

 病院の最上階は談話室らしい。自由に使える机やブロックソファーの区切りに、花のない観葉植物が窮屈そうに葉を伸ばしている。奥には喫茶店があるらしいが、和臣はあえて談話室を選んだ。

 はなびとホタルを二人にさせてあげよう、という彼の粋なはからいで、カナデたちは談話室に移動した。

 現世にとどまる理由がなくなった以上、もう黄泉に帰らなければならない。それまでの時間が名残惜しいのはきっと、ホタルだけではないのだろう。

 さきほどまで夏らしさを全開にしていた空が、今は鉛色の曇天へとかわっている。こころなしか気温も下がっていて、カナデは腕章の上から腕をさすった。

 そんな窓に面した、背もたれのないブロックの椅子。そこに腰かけ、和臣は寄り目がちに見つめるココアをちびりと飲んだ。

「……やっぱりココアはあったかいほうがいいや」

 呟き、小気味よい音を立てて氷を噛む。すると、小さなうめき声を発して頬をおさえた。

「退院したら歯医者行けよ」

 現世で見る限り、和臣は糖分ばかり摂取している。スナック菓子などには手をつけてはいないようだが、常時飲んでいたものがどれも甘いものばかり。虫歯になっていてもおかしくなかった。

「……うん」

 歯にしみるとわかっているのに、和臣はまた、氷を噛む。すべて砕いたのか、それとも途中で飲み込んだのか。何かを決意したように、彼はゆるりと口を開いた。

「あのさ、カナデ兄……」

 そう切り出されるのを予想していたカナデは、そ知らぬふりで「なんだ?」と返事をする。

「あの、さ……」

 和臣はなにか、カナデに話がある。談話室までのエレベーターの中の、彼の落ち着きのなさに、カナデはそれをいち早く察していた。

「玉梓の仕事って、楽しい?」

「……まちまちだな」

 ただ、話の内容まではわからない。タエ神のお呼びが遅くなることを祈って、カナデは核心までの遠い道のりを気長に待つことにした。

「こうやって死者の願いを叶える間は、いろいろ動けるからいい。けど、毎日毎日同じ景色見て過ごすのは、さすがに気が滅入る」

 そういうところにいると、どうしても口数が減ってしまうもの。こうしてなにかしら会話をすることができる和臣やナリアキは、カナデのストレスを解消してくれる大事な話し相手だった。

「カナデ兄、どれぐらい玉梓やってるんだっけ?」

「だいたい、一年ちょっと? 一年半か? ここに来た頃のことはあまり憶えてないんだ、契約の関係で」

 和臣は、カナデがなぜ玉梓をやっているのかを知っている。こうやって、まだ生きているのに玉梓をやっていることに対しての質問をされることはしばしばあった。

「ただ、何の目的もないのにやろうとは思わないな」

「そう……」

 コップを腿の間に挟み、和臣は端が茶色くなったオリヅルランに爪で傷をつける。爪についた葉の色を食い入るように見て、それをパジャマにこすりつけた。

 カナデがすこし汚れの目立つ窓を指でなでると、ガラス越しに水滴がついた。どうやら降り出したようだ。

「あのね、カナデ兄」

「ん?」

「ボクも、願いを前借りしようと思うんだ」

 そう来たか。

 言いかけて、カナデは口をつぐんだ。

 最初は細かな粒だった雨が、しだいに大きくなっていく。それが集まるとさらに大きな粒となり、窓ガラスにいくつものすじができた。

「ボクも、生きてるうちにお願いしたいことがあるんだ。タエ姉、許してくれるかな」

「無理」

 きっぱりと断言するカナデに、和臣が「でも」と食いつく。

「和臣は、それでなんて願うつもりだ?」

「ボクを蘇らせてくれた人を……」

「蘇らせる、と?」

 和臣が、うなずいた。

「そんなこと願うな」

「でも……」

 ホタルにも話したとおり、和臣は、一度死んだ人間だ。

 二年前の花火大会の暴発事故で、和臣は死んだ。爆発で舞い上がった屋台のテントの鉄パイプが、彼の腹部を貫いたのが原因らしい。

 和臣がよく手をあてるところには、今も傷跡が残っているはずだ。この入院にも、その傷が関係している。

 彼が今生きているのは、ある人が和臣の蘇りを願ってくれたから。

 その人は、自分の魂を代償に和臣を蘇らせた。だから和臣は、これからも輪廻転生の輪を廻ることができる。ただその人は、禁忌である蘇りを願ったために、もう二度と転生することが許されない。

「ボクのために、魂を差し出したんだ。だからボクも、その人のために、願いたい」

「それじゃあ、その人のしたことは無意味だ」

 同じブロックソファーに座っていたカナデは、立ち上がって和臣の前にいく。絨毯にあぐらをかいて、うつむく和臣の顔が見えるように覗き込んだ。

 外では、雨脚がどんどん強くなっていく。叩きつける雨粒が、談話室の空気を少しずつ冷やしていった。

「その人は、お前のために、自分の大事なものすべてを投げ出したんだ。お前は別に暴発事故で死んでも、また新しく転生することができた。それを知ってて、その人はそれでもお前を蘇らせたいと思ったんだ」

 わかるか? と問えば、和臣は黙るだけ。近くでコーヒーを飲んでいた男性が、外を見て「すごい雨だな」とひとりごちた。

「禁忌を犯したら、もう転生することができない。そうなるのをわかっていて、その人はお前を蘇らせた。なのにお前まで自分を代償にその人の蘇りを願ったら、お前まで転生できなくなる。わかるか? お前のためを思ってやったその人の魂が、無駄になるってことだぞ?」

「……わかってるよ」

 かすれた声で、和臣が呟く。もともとカナデと話しているのが周囲にばれないよう声量を落としていたが、それをまたさらに落とすので、カナデは雨音の中から懸命に声を拾った。

「わかってるけど、でもボクは、その人を蘇らせたいんだ」

 まだ半分以上ココアの残ったコップが傾いて、カナデはすんでのところでそれをおさえる。簡単に物に触れることができたけど、自分のしたことにさして驚きもしなかった。

「だってボクより、その人が生きてたほうがよかったんだ……」

「その人は、そうは思わなかった。だから、和臣に生きていてほしかったんだ」

 今度は、和臣も何も言えなくなる。鎖骨につくほど引かれたあごは、会うたびにたくましくなっているようにカナデは感じた。

「今まで、そんなことで悩んでたのか?」

 冷えすぎるクーラーの風にそよぐ髪を撫で、カナデは和臣に顔をあげるよううながす。素直にあげられた顔は、多少こわばってはいるものの、涙をこらえている様子はなかった。

「恩返し、したかったんだ」

「じゃあ生きろ。それが恩返しだ」

 それは簡単なことで、とても難しいこと。わかっているからこそ、和臣は首をふらなかった。

「辛くなったらまた遊びに来い。けど、あんまり来るな。タエ様が今の話聞いたら……どうせ聞いてるんだろうけど……『カナデが悪影響を及ぼした』って言うだろうから」

「そんな……」

「俺がやってることは、それだけ大それたことなんだよ」

 その言葉に、様々な感情をこめてみる。願いの前借りという、本来許されるべきではない行動。それに対する、安易に楽しいという感情、異質なものとして見られた時のあの悲しさ、自分の無力さにこみ上げる怒り、願いに一歩一歩近づいているという喜び。

 成し遂げるには、強い精神力が必要だ。和臣はまだ、それだけの心をつくりきれていない。

「大丈夫。玉梓をやることより、生きることのほうがよっぽど簡単だ」

 コップごと腕を持ち上げさせると、和臣は小さくうなずいて、氷が溶けて薄くなったココアに口をつけた。

 和臣に叩きつける雨を、一枚のガラス板がふせいでいた。



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