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二、現世−8

 今回もまた、タエの声はカナデにしか届いていないのだろう。こめかみをつついてホタルにジェスチャーをしたが、そもそもテレパシーのやり取りがあるということを知らない彼女はただただ首をひねるばかりだ。

『それで、パソコンを使ってみようと?』

「タエ様パソコン知ってるんですね」

 当たり前よ、と声が怒った。

 その声が、今日はやけに近くで聞こえる。頭の中で響く声とは別の、すぐ隣で話しているような。鼻をくすぐる香りも、強い。

『ナリアキじゃないんだから、アタクシをそんな昔人扱いしないでちょうだい』

 黄泉ではとても嗅ぎなれた香が、なぜか麦茶のコップからするように思う。不思議に思ってのぞきこんで、カナデはまじまじとそれを見つめてしまった。

 コップの中に、タエがいた。

 青いガラスに削りを入れた、涼しげなコップ。その中の水面に、タエの姿がある。

 コップの縁に腰かけ、片膝を抱えている。もう片方の足は縁の向こうにあるらしく見えないが、惜しげもなく出されたおみ足は、なまめかしくもあり凛々しくもあった。

 その姿も、すぐに掻き消えてしまう。けれどそれだけで、カナデはタエが、神室の円窓からこちらを見ていると理解した。

 円窓から顔を出すと、そこには底が見えないほど深く、そして大きな池がある。他の神室も必ずその池を見るための円窓があり、まれに他の窓から神が顔を出すことがあった。

 普通に円窓から外を見れば、ただ池があるだけだ。

 そこに神の呪を加えると、池は水鏡となり、水面は現世を映し出した。

 自分が一瞬だけ見た彼女の姿は、池から見た、艮の円窓なのだろう。

「……できませんか?」

『できるわよ』

 朗々とした声は、たしかにコップの中から聞こえもする。けれどそれはやっぱり、カナデにしか聞こえないのだ。

『玉梓がどうしても現世の人間とコンタクトをとりたいときに、物を使うのはよくあることなの。玉梓じゃなくても、そこらの死者でもできることだわ』

 死者によるものと、科学的なものと、玉梓によるもの。他にもいろいろあるけれど、ポルターガイストと呼ばれるものはだいたいそこらへんの仕業なのだ。

『いつまでも麦茶ばかり見ない』

「あ、はい」

 肩をはじかせ、カナデはパソコンに向き直った。

『カナデは初めてだからね。アタクシが手伝ってあげるわ。ありがたく思いなさい』

「……はい」

『目をつぶって。あと――ホタル!』

 タエの声が大きくなったかと思うと、ホタルが反射的な返事をした。彼女の声が聞こえるのだろう、目をつぶっていても戸惑っているのがわかった。

 タエはホタルだけになにか話しているらしく、時折か細い声が聞こえる。カナデがタエとの交信を知らなかったら、それこそホタルがひとりごちているように思えただろう。

『……目をつぶれと言ったでしょう?』

 薄目を開けようとすれば、すぐにみつかる。腹の上で手を組むようにいわれ、カナデは黙ってそれにしたがった。

『アナタさっき、自分が壁をすり抜けたの覚えてるかしら?』

「ああ、まぁ」

『どうやってすり抜けたの?』

「えっと……」

 自己暗示だった。

 これは壁だけど、自分はこれにぶつからない。必ずすり抜けて、壁の向こうに出ることができる。表面上はいたって平静を装い、歩きながら何度も何度も頭の中でくりかえしていた。

『……ずいぶん難しいことしたのね』

「タエ様が『意気込みだ』って言ったので」

『カナデは頭が固いわ』

 再び、目を開けるなと怒られた。

『そうやって椅子に座るのに、いちいち座れるんだって暗示かけたの? ――違うわよね。自然に座れたはずだわ』

 指摘され、カナデは否定することができなかった。こうして座ることには、何の抵抗もないのだ。

『それは、椅子が座るものだから。そして、とても身近にあるものだから』

「身近……」

 オウム返しをするカナデに、タエはうなずいているようだった。

『そして壁は、椅子以上に身近よ。椅子は座るもの。壁は硬いもの。頭の中でそう決められているから、なかなかその考えを断ち切ることはできないの』

 たしかに、とカナデは呟く。

『手っ取り早いのは、目をつぶってしまうことね。視覚っていうのはどうしても頭を硬くさせてしまうから、閉じてしまえばそれがやわらぐわ』

「でも、それじゃキーボードがわからない」

 カナデはパソコンを操作することはできるが、タイピングには必ず手元を見なければならない。

『触ろうとするのがいけないのよ』

 そんなカナデに、タエがため息をもらす。

『そもそも触るだの触れないだの考えるのは、カナデが今、幽霊だから。幽霊は物に触れないとか考えるから、よけい混乱するのよ』

「そのとおりです」

 長い説明はいいから、早くすすめてください。そんな願いをこめて、カナデはわざとらしく頷いた。

『……じゃあ、アタクシの言うことをきいてちょうだいね』

「はい」

 だらけていた身体を戻そうとすると、そのままでいい、と指示がくだる。

『まず、手はそのまま組んでいること。目も開けない。身体を動かさない』

「はい」

 簡単だと思ったそれは、意外に辛いものだった。彼女の言う『動かさない』は、身体を石のように固めろといっているようなものだ。

『アタクシに合わせて呼吸するのよ。吸って――吐いて』

 最初は浅かった呼吸が、だんだんと深く、長くなってくる。途中から苦しくなり何度かあきらめかけたが、タエの穏やかな音がそれをゆるさなかった。

『吸って……まだ吸って』

 まぶたの裏に映っていた影が、だんだんと白くなっていく。

『吐いて……自分が椅子に座っているのをイメージして』

 言われるまま、頭の中に自分を描く。椅子に浅く腰かけ、両足を投げ出し、手は腹の上に組む。前にパソコンはなく、そのかわり後ろで、タエが背もたれに手をついていた。

『カナデは今、ホタルの糸になるの。ホタルと恩田環の、糸電話の糸。少しでも気を緩めたら切れてしまうわ』

 手で、髪を梳かれる。伸び気味の爪が頭皮をすったが、痛いというよりくすぐったかった。

『ねぇ、カナデ……』

 その甘い声に、なんですか、と返事をしたい。けれど、声が出ない。耳鳴りがはじまり、カナデの意識が揺らいでいく。

『どうして、アタクシにキスしたの?』

 それは、俺が……。

 やはり、声が出ない。そして息までもが止まってしまう。肺いっぱいにたまっていた空気が逆流しそうになるけど、吐き出すこともできなかった。

『今回は特殊な場面にあるから、アタクシが少し呪をかけたわ。いつもはこんな大げさなことしないでいいんだけど――一度難しいことやれば次が楽だからね』

 もう鉛筆ぐらいは普通に持てるようになるわよ。それを囁かれたころには、カナデの苦しさは峠を越えていた。

 息はまだ止めたままだというのに、不思議と苦しくない。喉元に穴が開いたのかと思うぐらい、呼吸している時とかわらなかった。

『……さ、頑張りなさい』

 かろうじて残された自分のイメージ像から、タエが離れていく。カナデは反射的にそれを追おうとしたが、追う理由がわからず、ずっと座り続けていた。

 耳の奥で響いていた声が、急速にしぼんでいく。

 しばし沈黙の中に放置されると、後ろでタエとは違う、生身の人の気配がした。

 そして、それに、ホタルが反応する。

「環……」

 たまき、と、頭の中でそれをくりかえした。




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