表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/40

二、現世−4

「はなびが病院から出られないんじゃ、仕方ないじゃない」

「でも、毎年みんなで行ってるのに」

 ただ、彼女はダダをこねるという困ったことはしない。唇の裏を噛み、それをとがらせることで隠していた。

「来年があるから、ね?」

「和ちゃんと一緒に行きたかったのに」

 その言葉に、環は「まっ」と声をあげた。なだめるために撫でていた頭を頬にずらし、期待をこめたまなざしで和臣を見る。

「和臣君、はなびと約束してくれたの?」

「……うん」

 耳を赤くして、和臣は首肯する。そのわずかな動作で、環の目は糸のように細められた。

「大丈夫よはなび、花火大会行けなくても、和臣君はいなくならないから」

 今度は「ねっ?」と和臣を見る。恥ずかしさのあまりうつむいた頭を、カナデは含み笑いでこづくふりをした。

「さっすがはなび、私の娘」

 誇らしげに、環は寝乱れたはなびの髪を櫛ですきはじめた。

「だから家に帰りたーいって泣いたりしないのね。泣き虫なのに全然看護師さん困らせないと思ったら、ふぅん、なるほどねぇ……」

 一人で納得しながら、鮮やかな手つきで三つ編みにしていく。その様子は看護ではなく母親そのもので、カナデはタエが時折見せる表情が母性ではないと初めて気づいた。

「色男」

 カナデが野次れば、和臣に前髪の間から睨まれる。当たり前だけどカナデの姿が見えない環は、何も知らずに朗らかな声をかけた。

「和臣君、はなびの誕生日は花火大会の日だから、覚えておいてね」

「来年は一緒に行こうね!」

「うん」

 照れながらも、和臣は嬉しそうに笑った。カナデがにこりと純粋に微笑む和臣を見たのは、これが初めてだった。

 けれど、また手が腹部に下りたのは見逃さなかった。

「はなびん家、毎年花火大会行ってるの。前ね、くじで三等当てたことあるんだ……」

 それでも、はなびの思い出話をちゃんと聞いている。射的でゲームソフトをとってもらったことがあると、自ら積極的に話に参加していた。

 だからカナデは、訊くタイミングを失ってしまった。

 ――花火大会っていつだ。

 和臣から、毎年夏に花火大会があることは聞かされていた。会場は河川敷で、その近くに神社があり、夏祭りと秋祭りは同じ会場であること。そして去年は事情により、花火があがらなかったことも。

「誕生日って言えるんだから、毎年同じ日なんだろうけど……」

「八月十五日よ」

 声がして、カナデは足元を見下ろした。

「十四日に歌謡ショーがあって、十五日に花火大会があるの。十六日は灯篭流しよ」

 片耳をピクリと動かし、ホタルは大口であくびをする。

「ちょうどお盆だからね。里帰りの人も来るから、けっこうにぎやかよ」

 身体をうんと伸ばしてうずくまる背に、あえていつ来たのかは訊かず、カナデは小声で話しかけた。

「……はなびは、花火大会の日に生まれたからはなびなのか?」

「そうよ」

 予想はしていたけど、即答されるとどうにも笑ってしまう。尾だけ色が違うからホタル。花火大会の日に生まれたからはなび。

「覚えやすくていいでしょう」

「そうだな」

 環は幼い頃の感性が、今も継続されてるらしかった。

 カナデが光を背負うため、影にいるホタルの瞳は黒く丸い。それは楽しげな笑い声のするほうを向いたけど、決して顔を出すつもりはないようだ。

「なぁ、ホタル」

「話があるの」

「……その言葉、そのまま返してやるよ」

 嘆息するカナデにかまわず、ホタルは腰を上げる。

「ここじゃできないのか?」

「環がいると落ち着かないのよ」

 環が来ているのを知っていたらしい。和臣たちの団欒を見ないよううつむいて、彼女はカナデをせかした。

「はやく」

「まぁ待てって」

 立ち上がり、カナデは和臣にその旨を耳元で伝える。はなびたちの話を聞き、目線はずっとそちらにあっても、彼は器用に手で了解サインをつくってくれた。

 それはほんのわずかで、ただ手を動かしただけにしか見えないはず。環は思惑通り気づかなかった。

 が、はなびは別だった。

「和ちゃん、ホタルがいるの?」

 手の動きを見るだけで、そこまではかることができるのか。

 カナデはひそかに感心したが、はなびのそれをゆるさない者が一人、いた。

「はなび、変なこと言うんじゃないの」

 環だ。

「ホタルは死んじゃったの。いるわけないでしょう?」

 かねがねそう言い聞かせているらしく、口調は念を押すようだ。けれどそれに、娘は臆さなかった。

「でもお母さん、はなび見たもん」

「それはただの、目の錯覚」

「見た。あの日だって、ホタルがいて……」

「だから階段から落ちた、でしょう?」

 環の声が冷ややかになり、ようやくはなびは肩をこわばらせる。また、唇を噛んだ。

「だったら、ホタルが落としたのね」

「違うもん!」

 はなびが声をあげると、環もつられたように声を重ねて立ち上がった。

「馬鹿なこと言わないで!」

 それは部屋中に響き、一瞬にして場の空気を止める。みな、一様に息をひそめてこちらの様子をうかがった。

 水を打ったような静けさの中、環の声だけが、四方に散って天井で消えた。

「ホタルは死んだの! もういないの! 見えるとか、変なこと言わないで!」

 環はさらに何か続けようとし、それをこらえて息だけを吐く。肩を大きく上下させ、しばし立ち尽くすと、荷物をつかんで部屋を飛び出してしまった。

 環の怒声の余韻が残り、部屋では誰も、口を開こうとしなかった。

 ただ、はなびのすすり泣きだけがあった。

「ホタルはいるもん」

「はなび……」

 たまらず、和臣はベッドから降りる。

「ホタルはいるもん、さっきだって会ったもん」

 頬をつたう寸前で涙をふき、鼻水を何度も何度もすする。和臣に泣き顔を見られるのが恥ずかしいようだったけど、首を固定されているため手で覆うことしかできていなかった。

「はなびが階段から落ちたのは、ホタルのせいじゃないもん。はなびが悪いんだもん」

 和臣は何もいわず、ただ頭を撫でる。なぐさめ役が和臣に決まると、すこしずつ、室内の空気が戻っていく。

「ホタルは悪くないもん」

 カナデがちらりとホタルを見ると、彼女は背を向け、視線をまっさらな床にそそいでいた。

「和ちゃん。ホタルは、いるもんね?」

 はなびの問いに、和臣は答えなかった。

 何も言わず、ただ頭を撫で続ける。もう片方の手はまた腹部にあって、シワのできたパジャマをきつく握りしめていた。

「……カナデ、もういい?」

 ゆるりと首をもたげたホタルは、とげのある声で言った。

「話聞いてくれるんでしょ? 外に出よう」

「もう環はいないけど?」

「はなびがいても落ち着かないの」

 語尾に、微々たる怒気がふくまれている。それに気づいたカナデが顔を覗き込もうとすると、ホタルは過敏に拒否した。

「今の、聞いたでしょ? あたし環に嫌われてるのよ」

「嫌ってるもんか」

 カナデの否定に、きつく睨みあげてくる。

「知ったような口きかないで!」

「知ったようなもなにも……」

 浅く息を吐き、カナデはその瞳を指さした。

「泣いてた」

 さされた瞳は、その言葉を信じられずに泳ぐ。

「環さん、泣いてた。はなびが変なこと言うから泣いてたんじゃないのぐらい、俺にだってわかるさ」

「でも……」

 口ごもりながら、ホタルは顔に手をやる。猫が顔を洗うと雨が降るというけど、ホタルの今のしぐさで、明日雨が降るのだろうか。

 彼女が声を発したくないのを知っていて、カナデはあえて声をかけた。

「部屋から離れるといろいろ支障があってね。話すなら廊下にしよう」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ