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二、現世−2

 爪を立ててカナデの膝をけり、ベッドへと飛び移ってめくれた布団に身をかくす。ホタルはそこから頭だけを出し、じっと少女――はなびから目を離さなかった。

「ホタル?」

 カナデが呼ぶと、尾を振って返す。

「その子がどうかしたのか?」

「はなびよ」

「名前はわかった」

 立ち上がり、カナデはホタルを覗き込む。和臣もそれが気になるのだろう、会話をしながらもチラチラと視線を投げかけていた。

 その視線をたどって、はなびも布団を見る。気配を感じ取って、ホタルはわずかに身を後退させた。

「今、何か黒いの……」

 そしてはなびは、思いもよらないことを言った。

「和ちゃん、そこ、幽霊いる?」

「え、まぁ……」

 和臣が困ったようにこちらを見るので、カナデは迷いながらもあごを引いた。

 めくれた布団を元に戻され、ホタルの身体を隠していた影が消える。

 たとえようのない沈黙が、はなびとホタルの間を流れた。

 はなびは、目を細め、かすれた声で呟いた。

「ホ、タル」

 はなびは、ホタルを知っている。そして、見えている。カナデがそう理解したと同時に、ホタルはベッドから飛び降りていた。

 ただし、はなびとは逆の方向に。

「ホタル!」

 かけだしたホタルは、壁をすり抜けて病室から飛び出していってしまう。

 カナデもあわてて後を追うけど、壁にぶつかることを恐れて出入り口から出た。

 そのわずかな時間で、ホタルの姿を見失ってしまう。

「くっそ……」

 舌打ち、カナデは扉の横につけられた患者の名前を見た。

 そして、納得した。

 当たり前だけどそこには峰岸和臣以外の名前が書かれていて、はなびという少女の名前だってそこにはある。

『恩田はなび』

 カナデはあえて走ろうとせず、勘をたよりに病院内を歩き始めた。


     ○○○


『陽が落ちたわ』

 一階のロビーを横切ろうとした時、どこからともなく声がした。

 徐々にざわめきがひいていく院内で、それはカナデにしか届いていない。外の空気からというより耳殼内で鼓膜をふるわせるそれは、いわゆるテレパシーというものだ。

 それが示すように、壁一面の窓ガラスから、太陽の姿は消えていた。中庭の樹木のてっぺんに、かすかに緋色が残るけど、東の空からは藍がふかく浸透している。昼間は白かった月が、今は淡い卵色になっていた。

『早く病室に戻ったほうがいいわよ』

 その声はまちがいなくタエ神のもので、声とともにかすかに花の香りがする。どこかで彼女が見ている。そう思ってあたりを見回すけど、彼女の姿はない。

 タエが黄泉の神室にいるのはわかっている。でもあの香炉さえあれば、彼女が現世の様子をうかがうことなどたやすいものだった。

『陽が落ちると、現世にとどまる死者たちの動きが活発になるの。そんな中をカナデが一人歩いて、無事でいられると思わないけど』

 打ち寄せた波が引いていくように、周囲の温度が一気に下がる。それは外の気温の低下が主だけど、タエのさす死者たちの気配が濃くなった証拠でもあった。

『カナデはそこらの幽霊とは違うのよ。仲間にされて黄泉に戻ってきて、願いを叶えてくださいなんて言っても艮じゃ受け入れてあげないから』

「戻ります」

 何の迷いもなく、カナデは決定を下した。

「あの、タエ様」

『なぁに?』

 先ほどのキスの件ですが。

 言おうとして、やめる。彼女はあの一件に関して、何も触れてこない。彼女にとって、あれはどうともしないことだったのだろう。

 なんでもないです。そう呟く。うなだれた肩を隠せない。ホタルを探すために遠回りをしたから、帰りは別のルートで行こう。

『この病院、混合病棟があるのね』

「コンゴウ?」

『和臣がいるところよ。あの病室はみんな子供みたいだけど、整形外科とか内科とか混ざってるみたいね』

 少子化が関係しているのかしら、と、タエはぶつぶつ呟いている。難しい話になりそうなので、カナデは口を挟まない。

 早く戻ろう。そう思ってエレベーターを探すと、あわただしい足音が近づいてきた。

 血にまみれて顔もわからない人が、ストレッチャーに乗せられ、今まさにカナデが行こうとした方向に進んでいく。看護師と救急救命士の声が、ことの重大さを物語っていた。

『……もう助からない』

 ため息混じりに、タエは呟いた。

 カナデは踵を返し、救命病棟から逃げるように立ち去った。

 背筋が粟立ち、呼吸が浅くなる。胸元にこみ上げるものを感じたけど、それは空嘔吐に過ぎなかった。

 死ぬ寸前の人間は、黄泉で見る死者とはまったくの別物。どんなに傷つこうとも、貪欲に生にしがみついていた。

「タエ様……」

『なに?』

「今の人は、黄泉に来ると思いますか?」

『来ないでしょうね』

 その声には、自信のようなものが含まれていた。

『むしろ、死後の国に来ることもできないでしょうね』

 死者は、全員が全員、死後の国に行けるというわけではなかった。

 自分が死んだとわからない者、その場に縛り付けられ身動きのとれない者、現世への執着が強すぎる者。それらの死者は、死後の国への行き方がわからない場合が多かった。

 現世に禍根のある死者ならば、薄紅色の雲がそれを読み取り、黄泉へと運んでくれる。けれどそれもほとんどが死後の国にたどり着いた死者を対象とし、現世から直接運ぶことはあまりなかった。

「現世から出ることのできない死者は、どうなるんですか?」

『自力で道をみつけるか、死後の国から誰か使者が来るか、未来永劫そこにとどまるか』

 そこまで言って、彼女の声が鋭くなった。

『カナデ、変なことするんじゃないわよ』

 運よく人が乗り込むエレベーターを発見でき、カナデはそれに飛びのる。

 お見舞いの花束を抱えた女性。松葉杖をついた男性。幼い顔立ちをした白衣の青年。キャラクターもののパジャマを着た少女。誰一人、言葉を交わそうとしない。

『アタクシたちは黄泉の者であって、死者の願いを叶える仕事をしているの。現世にさ迷う死者を死後の国に連れて行くのは、別の使者の仕事よ』

 ほどなくして、医師と男性がおりていく。目的の病棟のボタンは、ありがたいことにオレンジ色に光っていた。

『カナデが死者を導こうとしても、失敗して仲間にされるだけ。アナタは玉梓の仕事だけを考えていてちょうだい』

 目的の階につくと、女性が足早に去っていく。カナデもそこで降り、振り向こうとしたのをタエに制された。

『だから、そこにいる子は無視しなさい』

 扉が閉まるまで、少女は、じっとカナデのことを見つめていた。

 この病院のどこにも、彼女のベッドはないのだろう。

「あの……タエ様」

『まだ納得いかないの?』

 いいえ、と頭をふり、カナデは和臣の病室を探していく。

「玉梓は、やっぱり幽霊とは違うんですか?――壁抜けとか、そういう意味で……」

『性質的には、他の幽霊となんら変わりないわ』

 言葉をにごしたのに、タエはカナデの求めた答えをしてくれる。きっと、現世に降りてからずっと、幽霊の感覚に戸惑うカナデの行動を見ていたのだろう。

『椅子に座るとか、壁をすりぬけるとか、エレベーターのボタンを押すとか。そういうのは、できると思う意気込みだとアタクシは考えているのだけど』

「意気込み……」

『幽霊なんだから、物に触ることができない。誰がそんなこと決めたのかしら。できると思えば、なんだってできるわよ』

 和臣の病室を通り越しそうになると、タエは幾分あわてた声でそれを指摘した。

『幽霊体験なんて滅多にできることじゃないんだから、この機会に色々試してごらんなさいな』

 その言葉を最後に、彼女は何も言わなくなった。

 どんなに呼んでも、気配ですら感じさせない。甘い香りも遠のいていく。再び現世で一人になったという不安の反面、タエの気配が消えたことで、早くなっていた鼓動が落ち着いてきた。

 カナデは手ぶらのまま、病室へと足を踏み込んだ。



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