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二、現世−1


  二、現世



   4



「お前、また入院してたのか……」

 あたりを見回して、カナデは息をついた。

 スチール製のベッドに、シワになりはじめた白いシーツ。花瓶の花は首をたらし、枕元には最新の携帯用ゲーム機がいくつか置いてある。

 カーテンとドアの向こうから、子供独特の間のびした声が聞こえてくれば、苦しそうな咳や泣き声もする。アルコールとまざった甘い体臭。看護師の口調もどこか幼い。

 小児病棟かと思ったけれど、なんだか大人の気配もする。カナデは首をかしげた。

 鬼門をくぐると、カズオミの手はすでにカナデから離れていた。今はベッドの上で起き、喉の渇きを癒そうと紙パックのイチゴみるくを飲んでいる。

 戻る瞬間を見てはいないけど、目の前にいるのはたしかに、生身の身体をもったカズオミだ。こうして黙って座っていても、カナデとは違う「生」の空気がひしひしと伝わってくる。

 生きている。生きてはいるけど、入院中ということは、あまりよろしくない状態のはず。

「また傷口か?」

「まぁ、ね」

 腹部をひと撫でし、カズオミはほんのり頬を染めた。

「化膿して、熱が出ちゃったんだ。大事をとって、入院ってことになったんだけど」

 ベッドのまわりには、付き添いの人が誰もいない。閉めきられたカーテンが陽の光に染められ、茜のグラデーションが夕焼けを物語った。

 ベッドのスチールにつけられた名札には、主治医の名前などに加え、当たり前だけどカズオミの名前が書いてある。

峰岸和(みねぎしかず)(おみ)

 それを眺めながら、カナデは尋ねた。

「……和臣のお母さんは、今日も仕事?」

「うん、退院の時は迎えに来てくれるよ」

 和臣の家は母子家庭だ。なぜ父親がいないかは知らない。女手ひとつで息子を育てるために、和臣の母は毎日時間を惜しまずに働いているらしい。

「あ、お母さん、本当は退院するまで仕事休もうとしたんだ。でも……」

「『平気だから仕事行っていいよ』って言ったんだろ? わかってる。そんな顔するな」

 黄泉にいる間にいろいろな話をしていたから、カズオミの家の事情はわかっている。いつも彼が母を心配していることも、その母がとても彼を愛しているということも、ちゃんとわかっている。

 寝癖のついたその頭整えようと撫でれば、和臣は照れくさそうに目を細める。けれど髪はあいかわらずはねたままで、カナデは和臣に触れることができなかった。

 現世に降りた玉梓は、幽霊と同等の扱いになるのだ。

 その幽霊を、和臣は見ることができる。黄泉への行き来ができるようになってから、俗にいう霊感が備わってしまったらしい。

 それを本人は喜んでいないけど、不便にも思っていないようだった。

「なんか、カナデ兄とこうやって話してると、変な感じがする」

 こうやって話す。つまり、現世で、人間と幽霊として話す。たしかにカナデは、黄泉外で和臣と話したことがない。

 そもそも玉梓になってから、一度も現世に降りたことがなかった。仕事を受け持つのが初めてで、現世に降りたのも初めてだ。

 ホタルのように人間以外の魂が黄泉に来るのは知っていたけど、実際に会って、こうして仕事を受け持ったのも初めてのこと。

 カナデはひとつ深呼吸をして、気づいた。

「そういや、ホタルは?」

 カナデの頭上からは、すでに消えている。現世につくなりベッドの上で毛づくろいをしていたはずなのだけど、いつの間にか姿を消していた。

「……まさか勝手に抜け出したとかないだろうな」

「ないわよ」

 声は、ベッドの下から。

「そんなところにいたら汚れちゃうよ?」

 和臣が引き上げようと手を伸ばすと、その手はホタルの身体をすり抜け空をつかむだけだった。

「汚れる以前に、ホコリがつかないから」

 身をかがめ、ホタルはベッドに飛び乗る。

「これから、カナデ兄たちはどうするの?」

「さぁ?」

 肩をすくめ、カナデは据え置かれたパイプ椅子に座る。幽霊でも、椅子に座ったりはできるらしい。壁にはぶつかるのだろうか、すりぬけるのだろうか。膝に飛び移ってきたホタルに後で訊こうと、カナデは頭の中にメモ書きをした。

 和臣にしたように頭を撫でようとすると、やっぱりかわされておまけに睨まれる。あきらめて手を太ももに置くと、それを枕に固定されてしまった。

 この死者を悔いなく転生させるには、何をするべきだろう。

「まずは、恩田環を探さないといけないんじゃないのか?」

「あのさ、カナデ兄。その恩田って……」

 和臣の瞳が左上に泳ぐのは、何か心当たりがあることをあらわす。続きの言葉が出るまで、カナデは何も言わなかった。

「もしかしたら――」

「和臣くん、カーテン開けるよ」

 看護師らしき人の声に、和臣はあわてて布団にもぐる。さほど間をあけず、カーテンを開ける小気味よい音が響いた。

 話はしばらくおあずけのようだ。

「どう? まだ気持ち悪い?」

「ううん……」

 和臣は今まさに起きたような返事をし、布団の中で軽く身じろぎをする。瞬間カナデにアイコンタクトをとって、上半身を起こした。

 カナデたち『幽霊』は、滅多に見つかることがない。看護師が去るまでの間、それこそ空気のように、息をひそめて待つしかなかった。

「和臣君が昼寝するなんて珍しいね」

「今日はすごく眠かったんだ」

「いつも夜遅くまでゲームしてるからでしょう?」

 体温計を渡され、和臣は目をこする。看護師が母ぐらいの年齢なのだろうか、声が少し甘えていた。

「ずっと寝てたの? 今、誰かと話してなかった?」

「えっ……」

 その問いに、和臣は返事をつまらせた。

 気のせいか、寝言か。答えにまよったその間が、勘の鋭い看護師にとまる。

 幽霊と話していたなんて、言えるわけがない。ごまかしの笑みがひきつり、看護師の整えられた眉がひそめられた。

「えっと……」

「――はなびと話してたんだよ」

 曖昧な沈黙に、その声はよく響いた。

「ね? 和ちゃん」

「あ、うん」

 声は、隣の入院患者のもののようだ。屈託のない笑みに、和臣はすぐさま肯定した。

「それならカーテン開けて話せばいいじゃない」

 納得したのか、わざとだまされたのか。看護師は体温計を受け取り、和臣の寝癖を手でなでつけた。

「夜遅くまでゲームしたら、目が悪くなっちゃうよ?」

「うん、気をつける」

 看護師の足音が聞こえなくなるまで、和臣も少女も、なにも言わなかった。

 和臣は四人部屋にいるようで、廊下側にいる。看護師との話に口を挟んだ少女は、窓際の日当たり良好のベッドで横になっていた。

 いったい何があったのか。片足はギプスをはめられ天井からつるされ、首には痛々しい固定器具がまかれている。

 それでも、まるい瞳は好奇心に輝いていた。

「和ちゃん、誰と話してたの?」

「ちょっとね」

 和臣がごまかしはしたけど、少女はそれが人間ではないとわかっているらしい。笑った唇は意外に血色がよく、少し大きめだった。

「はなびも、幽霊見てみたいな」

「見えないほうが楽だと思うよ」

 和臣より年下なのは、体躯でわかる。ふっくらとした頬が二つに結われた髪でよけい際立つけど、そこがまた彼女の可愛さだろう。

「……はなび?」

「ホタル?」

 聞こえないとわかっていても、カナデはつい声をひそめてしまう。そのせいで語尾がかすれ、返事を聞くために顔を寄せた。

「はなび、と言った?」

 首をもたげ、彼女は話し声へと顔を向ける。その位置からではうまく見えないらしく、けれど身体を起こそうとはしなかった。

 ホタルの異変に気づいたのか、和臣は怪しまれない程度に、声を大きくして少女の名前を呼んだ。

「はなびちゃんはさ……」

「はなび」

 その名前に、ホタルは反応した。


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