マイヤーデッド
越前進は漫画版AKIRAを読み進めていくうちに、漫画のページがパラララとめくれ、大友克洋の絵がアニメーションのように動くのを見ながら、おおおおおおおおおお大友克洋おおおおおお!!!!!と大興奮していた。線が、キャラクターが、走り出し、跳び、転げ回る。生命力さえ持つ躍動感に越前は痺れた。
段ボールで作られた巨大なブックオフを彷徨っていると、多数の鳥かごが散乱し、色とりどりのインコが入ったまま放置されていた。インコは大人しく餌を啄んている。
その一つを眺めていると、
「すみません」
後ろから穏やかな、春のような温かい声がした。振り返ると、黄色のロシア帽に黄色のスカーフ、黄色のキャミソールワンピースを身に纏った気品漂う黄色い女性が立っていた。
「この近くの駅を知りませんか?」女性は尋ねてきた。
越前進は駅を知らなかったが、この美しい女性と時間を共有したいと思った。
「分かりませんが、探すのを手伝いますよ」
「助かります」女性はにこやかに笑った。
初対面なのに今までずっと側に居たような感覚がある。でも人としてじゃない。その女性はきっとカナリヤだと思った。
きっと羽ばたいて消え去ってしまうのだと思った。
「あなたが思っているとおり、私はあなたの飼っていたカナリヤですよ」
「やっぱりそうなんですか」
「どうですか?人になった私は美しいですか?」
「美しいです、きっとカナリヤだった頃も同じくらい…」
「ありがとう」女性はふふっと笑った。越前は溶けてしまいそうになった。
「カナリヤを飼っていたでしょう?」
「カナリヤは…飼ったことがないです」
「前世でも?」
「前世?前世でも飼ったことはないし、前世の前世のことはわかりません」
カナリヤはパッと越前から離れた。
「それじゃあ、もう行かなくてはいけないから」
「何処へですか?」
「それは分からないし知る必要がないの。あなたもただ流れていくものでしょう?場所や時間よりももっと雄大に、優雅に、自由に」
人はただ流れていく。
「あなたともっと話がしたい、ちょっと話しただけで、名前さえ知らないじゃないか!待ってよ!」
「それは分からないし知る必要がないの。再会の約束さえ私たちには季節外れの雪だるまだわ」
「また会えるってことですか?」
カナリヤは最後に満面の笑みを越前に向けて、越前は何か許されたような気持ちになった。
路地裏で目を覚ました越前は、ただカナリヤにもう一度会いたくて、ふらふらと路地裏を出た。
石造りの庭がある、空はとても晴れている、と越前が認識した瞬間に銃の発砲音が聞こえ、銃弾が越前の身体をかすめたのを感じた。
「死にたくなきゃ目を潰せ!」
その声に越前は動揺して、すぐに何処か隠れる場所を探したが開いている扉は一つもない。
ヘルメザの城壁から突き出た壁の裏から、グチャグチャ、ビチャビチャという音が聞こえた。
直感的に越前はそれに出会ってはいけない、『見てはいけない』と悟った。
最悪の寄生虫、マイヤーデッドだ。
越前は手当り次第に近くのドアを叩きまくった。
それから目を背けて。後ろから聞こえる異常な音が次第に大きく激しくなり、越前は涙目になりながらドアを叩いた。
「開けてくれ!頼む!死にたくない!」
マイヤーデッドに寄生されたら死ぬ程度では済まない。
ドアが一瞬開いていくつかの手が越前を部屋の中に引きずり込んだ。
「あ、ありがとう」
「…」部屋の中には子供が何人かと、夫婦がいた。
「あれがマイヤーデッドだろ」
「…」誰も口を開けない。ただ震えている。
婦人が紙とペンを取って、何か書き始めた。
『夜になったら出ていって』
「分かった、夜まで待たせてもらう、ありがとう」
子どもたちが部屋の隅で震えているのを見ながら、越前は後悔した。マイヤーデッドについて知ろうと思わなければ、こんな危険な目には遭わなかった。
ヘルメザの住人は、マイヤーデッドについて知り過ぎた。マイヤーデッドについて知った者をマイヤーデッドは生かさない。
夜になれば巨夜が守ってくれる。この街を出られるかもしれない。何の成果も得られなかったけど、成果を得てはいけないんだ。テスリスの町まで戻ろう。アグロは居なくなったけど何とかなるだろう。
越前は匿ってくれた人たちと共に震えながら夜を待った。ドアの外では銃声と悲鳴が響き、冷気がドアの隙間から入ってきた。




