第9話 切れない絆
少年は身を屈めて、自分の足元にあった拳大の石を拾った。それを思い切りガルーアに向かって投げつけながら叫ぶ。
「こっちだ、来いっ!」
一体どこから持ってきたのか、血の滴る肉塊を肩袋から取り出して振り回すと、ガルーアを誘導するように岩場の高い場所を目指して走り出した。
「危ない、やめなさい!」
ヴァイスの叫びも虚しく、肉の匂いに気付いたガルーアたちが少年へと狙いを定めた。足場の悪い岩場を時折転びそうになりながら走っている少年より、ガルーアの方が遥かに速い。あっという間に距離が縮まり、少年の背後にガルーアが迫った。
少年は途中で肉を投げ捨てて、丘の上まで全力で走り始めていた。ヴァイスもその後を追うが、岩場のせいで思うように進めない。
丘の上には、少年ただ一人。それを取り囲む大鳥の群れ。絶対絶命かと思われたその時――
『・・・』
少年がガルーアの群れに両の手のひらを向け、何か短い言葉を発した。
次の瞬間、ごうっという轟音とともに先頭のガルーアが赤い炎に包まれる。
『炎火! 業火! 燃え盛れ! 全てを焼き尽くせ!!』
少年が次々と言葉を発するたび、空中に炎が燃え上がり、ガルーアからガルーアへと炎が燃え移る。絶叫が谷に木霊し、あたりは地獄絵図の様相を呈した。瞬く間に燃え広がった炎は、ガルーアだけを確実に燃え上がらせ、息絶えるまで燃え尽きることがない。
少年が発した言葉は、ヴァイスが耳にしたことのない呪文だった。
(あれは呪文ではない、詠唱省略……? こんな子供が、そのように高度な魔導術を?)
詠唱省略は、魔導術の技術の中でもかなり高度な能力だ。本来の呪文詠唱では、契約する精霊への呼びかけ・具現化する事象の明確化・韻を踏んだ響音の調節・術者の誓約……と様々な条件を満たした定型句を術者が唱えることで発動する。それをすっとばして省略したまま術を発動できるのは、長年の経験を積んだ老練の魔術師くらいのものだ。にも関わらず、年端もいかないこの少年は、今ヴァイスの目の前でそれをやってのけた。
ヴァイスや他の者があっけに取られている間に、焼け焦げたガルーアが次々と地面に落ちてきた。
少年は、はぁはぁと肩で息をしながら岩の上に立っている。
『炎…火……』
弱々しく掲げた右手からぷすんと黒煙が出ると、少年は気を失って倒れ込んだ。強力な魔導術を連続で使用したため、魔力を使い果たしてしまったようだ。
岩場から転げ落ちそうになったところを、すんでのところでヴァイスが受け止める。残った数羽のガルーアが二人に襲い掛かるが、ヴァイスの強力な障壁でそれを防いだ。
「「後は俺たちが!」」
他の戦士たちが、雄たけびとともに残りのガルーアを仕留めにかかる。何羽かは森に逃げ帰ったものもいるが、既に火傷を負ったガルーアたちは戦士たちの手で全て倒され、ようやくあたりに静けさが戻った。
「大丈夫ですか?!」
「あ……ありがと」
少年の頬を叩きながらヴァイスが呼びかける。薄っすらと目を開けた少年は、蒼白い顔で弱々しく笑ってみせた。
◆
「私は、驚きとともに猛省しました。こんなに幼い少年が死力を尽くして戦ったのに、自分のことばかり考えていた私は一体何をやっていたのかと……。そして、その少年――ノエル様に一生ついていくと心に決めたのです」
そう締めくくり、ヴァイスは昔を懐かしむように少し目を細めた。
「僕だけの力じゃないよ。あれだけの数のガルーアを相手にしたのに、死傷者が一人も出なかったのは初めてだって。ヴァイスが白魔導で全部治療してくれたお陰だったって、おじさん達が言ってたよ」
「お褒めに預かり、光栄です」
ノエルの付け足した言葉に、ヴァイスがにこりと笑って礼を述べる。謙遜でもなく、虚栄でもない。揺れるトナカイの上で、背筋を伸ばしたヴァイスの姿勢がぶれることはなかった。自分の無力さに絶望した、あの時の彼はもういない――自らの軸をもったその姿は、それを物語っているようだった。
「それが、あの噂の大鳥退治伝説か……。攻撃と防御、二つが揃ってちょうど息ピッタリってところだな」
「はい。私は王都直属の白魔導師を辞め、この北の地で、ノエル様とギルドを組むことにしました。この地でなら、私の力も役に立つと思ったのです」
ヴァイスが2年前に北の村に移住してから、二人は協力してギルドを拡大してきた。ノエルはヴァイスという強力な盾を得て、最大の弱点である防御の弱さを心配する必要が無くなった。
守りを全てヴァイスに委ねることで、力の限り攻撃魔導を放つことができる。逆にヴァイスは防御と回復に徹することで、味方全員の力を引き出し、最大限に底上げする。二人のコンビネーションは完璧であり、幾多のギルド交戦でも負けなしだった。
ノエルは、自信をもってカッツェに答える。
「僕とヴァイスがいれば、南の国の魔物もきっと退治できるよ。だから安心してね、カッツェ!」
「うむ。期待しているぞ」
カッツェは力強く頷き、一行は南の地を目指してトナカイをさらに急がせた。北の岩場の雪は、日向から徐々に姿を消し始めている。真冬の厳しさは薄れ、雪解けの季節も近かった。
このときの三人はまだ、これから先に待ち受ける幾多の出会いと試練のことなど、露ほども知らないのだった――。
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◆登場人物紹介 No.3: ヴァイス(白魔導師)
東の王都出身のホワイトエルフ。年齢は20代後半。回復・補助系の白魔導術を得意とする。藍色の髪と薄紫色の瞳に、薄縁の眼鏡が特徴。青白銀の長い魔導ローブを着こむ。
2年前にノエルと出会い、北の村でギルドを立ち上げた。以来ずっと北の村に住んでいる。几帳面で生真面目だが、温和で争い事は好まない性格をしている。読書が趣味で、古代エルフ語の文献も読むことができる。