黒地蔵
グロくは表現しておりませんが、人が死にます。
ご注意下さい。
僕の通う高校の近くに、お地蔵様がいる。
そんなに古いものじゃない。
2、3年前に死んだ子供のために建てられたお地蔵様。
黒っぽいその色から、この辺では「黒地蔵」って呼ばれて、一柱だけぽつりと存在している。
仏に「柱」って言う、神に対する数え方で合ってるかどうかは不明だけど、とにかく、いる。
何となく、「ある」っていう言い方は失礼な気がするから、「いる」って言っとく。
…僕は、信心深いんだ。
毎朝、供え物をするほどに。
それはともかく。
その「黒地蔵」には、こんな言い伝えがある。
「強く願えば、その願いを叶えてくれる」
…よくある都市伝説だ。
何の代償も無しに、神や仏に縋るのはどうかと思うね。
信じていない訳じゃないが、「苦しい時の神頼み」のようで、僕はあまり言い伝えに対して好意的では無い。
……いや、お地蔵様には好意的だよ?
結構、愛らしい顔してると思うし。
まあ、僕の意見は横に置いて。
クラスメイトの1人が試すと言って聞かないのさ。
恋愛成就を祈りたいと。
それは祈る仏が違うだろ。
お地蔵様は万能じゃないんだぞ?
神様ですら八百万もいるって言うのに、一柱で何でも叶えることの出来る仏がいたら神々の立場無いぞ。
いやいや、僕のカミサマ論もどうでも良い。
とにかく、そのクラスメイト…女子ね…が、試すから僕にも来いと言うのさ。
僕が彼女の幼馴染だからなんだけど。
何で僕まで行かなきゃならないのさ。
祈り事は独りでやるものだろ、普通。
だけど彼女の言い分は、以下のようなもの。
「独りじゃ怖いもの。」
「なんで?」
「あの辺って、ちょっと物騒じゃない。それに、いつも先客がいるし…」
「先客くらい別にいいだろう?」
「不気味なのよ。物凄く。」
…はいはい。わかりましたよ。
確かに、あの辺りは「通り魔による殺人」が多い。
ここ数年で「通り魔」に殺された人間は軽く30人を超えている。
しかも警察にはまだ捕まっていない。
昨日も、あの辺で男の首が見つかったらしい。
…どうせ帰り道の途中だ。
今朝、お供え物を忘れていたこともあるし。
行けばいいんだろう、行けば。
だけど、というか案の定と言うか。
お地蔵様の前には先客がいたんだ。
派手な格好の女の人。
爪も、口紅も、服装すらも真っ赤。
その人が、一心不乱に「黒地蔵」に祈っていた。
なるほど、不気味って言った気持ちがよくわかる。
彼女の言い分を納得してしまうほど、異様で異常な雰囲気。
「どうして……の?」
風に乗って聞こえてくる女の人の声。
途切れ途切れだから、何を祈ってるのかよくわからないけど、お地蔵様に対する愚痴みたいに聞こえる。
「あの人が先客?」
「そう。あの人、毎日ここにいて、祈ってるの。」
「あの格好で?」
「あの格好で。」
確かに、そりゃあ怖いや。
あの様子は尋常じゃない。
逃げた方がいい。
僕の脳内の警報が鳴りっぱなしだよ。
「ようやくなの?」
女の人の嬉しそうな呟きが、僕の耳にはっきりと届いた。
同時に全身が粟立つ。
ニゲロ
僕の第六感的な、何かがそう告げる。
言われなくてもわかってるよ。
逃げるとも、彼女と一緒に。
くるりと女がこちらを見た瞬間。
僕は脱兎の如く駆け出した。
無論、幼馴染の彼女と共に。
そりゃあ逃げるでしょう。
完全に、正気を失っている目だったんだから。
しかも、こっちを見てにやりと笑ったし。
「何?ねえ、なんなの!?」
わからない、と言わんばかりに彼女は不思議そうな声をあげる。
だけど、女の人が尋常じゃないのはわかっているらしい。
その場に立ち止まるような愚は犯さない。
それもそうだろう。
後ろから追って来てるんだよね、あの女の人。
包丁持って、物凄い形相で。
「まさか、あの人が通り魔!?」
「さあね。」
包丁を持っているとだけで、あの人を通り魔だと判断するのは愚かなことだ。
だけど、立ち止まってはいけないのも確かだろうね。
こっちに向かって包丁振り上げてるし。
「死ね…死ね、死ね、死ね死ねぇぇっ!!」
後ろから追ってくる女の人の声が、やけに大きく響く。
正直に言おう、かなり怖い。
一緒にいる彼女にいたっては、悲鳴を上げるほどに。
想像してみてくれるかい?
真っ赤な服を着た女の人が。
黄昏時に。
人気の無い道で。
黒い髪を振り乱しながら。
狂気に満ちた笑みを浮かべて。
追いかけてきている。
この僕が、思わず5W1H調に語ってしまうほど、異様なんだから。
…そりゃあ、悲鳴の一つもあげたくなると思うよ。
だけど、一緒にいる彼女が取り乱してくれているお陰で、僕は随分冷静でいられる。
あの女の人より、僕達の方が、数段足が速いこと。
あの包丁では、せいぜい殺せても一人である事。
「待ちなさぁいっ!」
「いやぁ…待てませんね。」
「私の子供のために、死んでぇぇぇっ!」
「だから、お断りします。」
僕の答えが不服らしい。
女の人は、僕達を…いや、僕を追いかけてきている。
「あなたが死ねば!あなたが死ねば!あの子はきっと浮かばれる!」
「本当に何を言ってるの!?」
「殺されたあの子のために、死んでよぉぉぉっ」
ああ、なるほど。
子供と死に別れたのか。
殺されたって言ってたから、殺した犯人にその想いをぶつければ良いのにね。
お地蔵様もいい迷惑だろうよ。
「3年待ったわ!待って、待って…待ち焦がれたわ!」
「はあ!?」
「あの子が死んで、代わりにお地蔵様ができたけど!でも、違うのよぉ!」
「な…何を…」
「お地蔵様は願いを叶えてくれるのぉ…私の祈りに答えてくださるのよぉぉぉ!」
恍惚の表情で、女の人が言う。
包丁を僕達に向かって掲げたまま。
どうやら、あの女の人の子供って言うのは、「黒地蔵」が建立される理由になった子供らしいね。
多分、毎日のように地蔵に祈っていたんだろう。
何を祈っていたのかなんて、僕にはわからないけれど。
見当をつけるなら、子供を生き返らせて欲しい、とか。
あるいは犯人を見つけて殺したい、とか。
包丁を持ってるから、後者かな。
「警察に行かなくて良いの!?」
「警察は面倒なことになりそうだから却下。」
「面倒って…そんなこと言ってる場合!?」
「………」
「ねえ、一体何を考えてるの?」
さて、ここで問題です。
僕は今、何を考えているでしょう?
…正解は、「苦しい時の神頼み」。
この角を右に曲がれば、ぐるりと一周、「黒地蔵」のところに戻る。
正直な話、どうにかなるとは思っていないんだけどね。
でも、言い伝えなんだろう?
「強く願えば、その願いを叶えてくれる」
なら、願おうか。
助かるために。
お地蔵様、お地蔵様。
どうかお救い下さい。
毎日、あなたに供物を捧げているでしょう?
こういうシチュエーションのためにやってた訳じゃないけど。
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ
地蔵菩薩への真言を心の中で唱え、僕はもう一度後ろを振り向く。
…あ、何で真言なんか覚えているんだってツッコミは無しの方向で。
とにかく、そうしてみた。
すると…
驚いたよ。
「黒地蔵」の前で、女の人は忽然と姿を消したんだ。
とても不思議そうな顔をして。
「何で…私が……?」
消える直前、そんな言葉が僕の耳に届いた。
消えなければならない理由に、心当たりなど無いかのように。
でも…僕にはわかるような気がする。
あの人の本当の救いは、子供と同じ所へ向かうこと。
犯人への恨みを募らせながら生きるよりも。
帰ってこない子供を想って、泣いて過ごすよりも。
あの人を子供のいる「あの世」へ送った方が救われるってことか。
「助かった…の?」
「多分ね。」
そう言った僕に、彼女は安心したように抱きついて泣き出した。
「殺されるかと思った…」
「だろうね。正直、僕も怖かった。」
「全然そんな風には見えなかったけど。」
「いや、内心ヒヤヒヤしていたよ。」
言いながら、僕は鞄を開ける。
あの状況下で放り出さなかったことを、誉めて欲しいね。
「何?」
「いや、お供え物をしようと思ってさ。多分、助けてもらったんだし。」
「意外と信心深いんだ?」
さっきの涙はどこへ行ったのやら。
彼女がにっこり笑って僕に言う。
「女心と秋の空」って言うけど、女は心だけじゃなくて表情も変わりやすいんだね。
だけど、夕日を浴びて橙に染まった彼女は、ゾクリとするほど美しかった。
だからこそ、僕は、君を……
「うん、やっぱり綺麗だ。」
「い…いきなり何…」
「ちょっと予定が狂ったけど、今まで待った甲斐があったかな。」
「あの…その…えぇっと…」
恥ずかしげに俯く彼女の肩を左手で掴み、僕は思い切りその体を引き寄せる。
彼女はきっと、ドラマのヒロインになった気分だろう。
ほとんど抵抗も無く、僕の腕の中に引き寄せられていく。
「あ…。」
彼女が小さく声をあげたのと。
どすり、という鈍い音がしたのはほぼ同時。
僕が右手に握っていたナイフが。
彼女の心臓を。
刺し、貫く。
不思議そうな表情と共に、彼女はゆっくり僕を見上げる。
「なん……で…?」
「お供え。」
「……え?」
「だから、君は供物なんだよ。黒地蔵への。」
「わた…し、が?」
「だって、綺麗だったから。ここで止めてあげようと思って。」
可愛いもの、綺麗なもの。
生きている以上は不変ではありえない。
だったら…死んで、変わらなくなった方が良いだろう?
さっきの人の子供も、可愛かったから僕がそこで止めてあげたんだ。
…思えばそれが、「通り魔」としての最初の行いだったっけ。
「大丈夫、独りじゃないよ。ここで僕が止めてあげた、沢山の人達がいるし、それに…」
ちらり、と僕はお地蔵様に目を向ける。
最初は普通の地蔵と同じ灰色だった。
でも、僕の捧げた供物の…人間の血を浴びたせいで、赤茶けた「黒」になった。
いわば、「黒地蔵」は僕の殺人の成果。
「お地蔵様も、君を救ってくださるさ。」
そう言って僕は、彼女の体をお地蔵様の前に供える。
ちょっと悲しそうな顔でこときれてるけど、それはそれで美しい。
お地蔵様、お地蔵様。
今日の供物は美しいでしょう?
僕のとっておきなんです。
女の人に追いかけられた時は対処に困ったし。
彼女が警察に行くなんて言った時はヒヤリとしたけど。
あなたがあの人をお救い下さったこと、感謝しています。
今日もちゃんと、あなたにお供えできて良かった。
うん。今日も良いことをした。
明日は誰を捧げよう。
お久し振りでございます。
相も変わらず詰めの甘い秋月真氷でございます。
ホラー、というにはかなり無理があり、かといってジャンルに物凄く迷いました。できないんなら止めとけ、自分。
少しでも、皆様の心に残れば幸いです。
無論、それが良い方向であるとなおさら嬉しいのですが…
最後になりましたが、ここまで読んで下さった皆様方に感謝を。
2008年7月某日 秋月真氷・拝