獣族の奴隷
奴隷――
何時もの様にノーチェが近隣諸国の情報を伝え、部屋を退出しようとした矢先の事。
「……ああノーチェ。リート王国に行くつもりかしら?」
あいも変わらず、ゆったりとした革張りのソファに座っているアンダーシティの主たる少女がノーチェに声をかけた。
――リアル。
大きな胸を強調するかのように開いた、けれども高貴さを失わないシックでエレガントなイヴニングドレスを来たその少女の言葉に、彼女の向かい側に座っていたノーチェは目をぱちくりさせた。
急に何を言い出すのだろう、と。
この少女が自分の行先を知っていることに関しては百歩譲ってスルーしたとしても、態々話しかけてくるなんてあまり無い事である。
確かに彼女は自身の所属している「結社」のスポンサーではあるが、基本彼女は執事を通して話を伝えてくる。
アンダーシティの主たる少女直々のお話。
――面倒事しか思えない。
そう思っていたノーチェだったが、彼女――リアルの話はノーチェの想像のもっと斜め上を行くものであった。
「……そんなに面倒臭い事ではないわ。何時もの様に、奴隷をさらってきてほしいのよ」
――コイツは俺を何だと思っているんだ。
そう叫びだしたいのをこらえ、ノーチェは溜息をついた。
一介の情報屋に何をしろと。
「……あんたが人員をだして攫ってこればいいだろう。何故態々俺に頼む」
「アンダーシティは奴隷を黙認してはいるけれど、今回のは流石にまずいのよ。今代のリート王国の王は何を考えているのかしら」
ノーチェの言葉に、リアルも溜息をついてそう答えた。
――アンダーシティの主たるリアル。
彼女もやはり人間というのか、奴隷には色々思う所があるようだ。
立場の重さもあって、動けず黙認するしかないのだろうが……明らかに普段とは何かが違う。
「……何かあったのか」
「……ええ。……この奴隷商の事なんだけど…………ちょっと見てくれるかしら」
リアルの言葉と共に手渡された書類を読んで、その内容に絶句するノーチェ。
「……これは、本当なのか」
「……残念ながらね。先代の王家は有能だったというのに……今代は本当に何をしてくれるのかしら。頭が痛いわ」
書類の内容は、とある奴隷を持っている奴隷商の事であった。
奴隷商自体は芳しくないが、よくある商売である。しかし、この奴隷商が問題にあげられている理由はそこではない。
とある奴隷というのが問題なのである。
よくある人間の奴隷では無く――獣族の奴隷を連れた奴隷商。
「こんな事があの獣族の国に知られたら……王国は唯じゃすまないだろう。帝国は獣族の国と手を結んでいるから、下手をすると……」
「王国VSヴェルト帝国とビフレスト国ね……何にしても、非常にまずい事態だわ。アンダーシティの均衡が崩れかねない」
リアルが心配しているのは、まさにその事なのだ。
別にリート王国を心配している訳では無い。重要なのは、リート王国の崩壊によってアンダーシティの均衡が崩れてしまうかもしれないという懸念。
現在アンダーシティを挟んでいる二つの国の内一つ――リート王国の崩壊。アンダーシティの場所と金の周りは、余りにも魅力的すぎる。現在はアンダーシティの主たる少女とその他の権力者が国々と交わした条約によって守られてはいるが、それがなくなったらどうなるかなんて想像に難くない。
リート王国程度、ではない。
均衡と言うものは、一つのピースがかければ簡単に瓦解してしまう程脆いものなのだ。
それに、リート王国が崩壊した後どうなるかも怖い。
これ以上帝国が巨大化するのも避けたい故に、彼女――アンダーシティの主はノーチェを頼ったのだ。
「早急に獣族の奴隷を確保する必要があるわ。貴族に買われる前に、獣族に見つかる前に――頼めるかしら」
「別にリート王国が崩壊するのは構わないが、それによってアンダーシティがなくなるのも困る。出来るだけ早く動いてみよう」
リアルの言葉に、ノーチェもあっさりと頷いた。
事態の緊急さを分かっているからこその返答だった。
「助かるわ――私はこれから権力者を集めて会議を開くから。これで何とかして頂戴、本当に申し訳ないわ」
ノーチェが頷いたのを見て、リアルはテーブルに置いてあった皮袋をノーチェに渡した。
ずっしりと重たいそれを開けると、中には沢山の金貨が入っている。普通の人間では一生見ることができないだろうその大金は、事の危険さを表していた。
「経費よ。私は動けないから――確保したら転移で送って。早急に国に送る手筈は整えておくわ」
「了解。この商人は知っているから、すぐに見つかるだろう」
有り難く金を受け取って、ノーチェは足元に漆黒の魔法陣を浮かべて姿を消した。おそらくリート王国に向かったのであろう。気分で動く人間ではあるが、今回の事は流石に大きすぎる。
早急に奴隷商人を見つけてくれる事だろう。
「はあ……まあ、アレなら上手くやってくれることでしょう。私は私でやることをしなければ」
リアルはノーチェを信用していた為任せることにしたのだ。彼の力量は彼女が知る所で最高峰。
それより問題は獣族を確保した後の事である。
「……ウィル、早急に権力者に集まるよう連絡しなさい。事は大きいわ」
呼び出した執事にそう言いつけ、リアルは手紙を書いていった。
――獣族の拉致と奴隷化に対する対応。
彼女だけで全てを決める訳にはいかないのだ。まあおそらく皆リアルと同じ気持ちだろうが。
王国と帝国、獣族国にも書類を作成していく。
あくまで王国に非がこないように、溜息をつきながら羽ペンを走らせた。
「……リアル様、皆様がお集まりになりました」
「わかったわ。……はあ、頭が痛い。ウィル、後で何時もの紅茶をよろしく」
「承りました」
数分後現れたウィルの言葉にそう返して、彼女はゆっくりと立ち上がった。