漆黒の街の主
男の首元に金で出来た蛇の装飾のされた豪奢な杖を当てながら、リアルは嗤った。
――なんて愚かな商人。
「ふふ、何時もは私が直々に動くことなんてないのだけれど……興が乗ったわ。あれ程の術を使えるなんて、捨てるには余りにも惜しい」
漆黒の身に着けているイヴニングドレスと同色の長い髪を揺らして、リアルは美しく嗤った。
その凄絶な笑みに、自身がどうなるかを察知したのだろう。男はこっそり隠していたのだろう杖を取り出して、呪文を唱え始める。
しかし、首に突き付けられているリアルの杖と彼女の足元に浮かんだ純白の魔法陣を見て焦ったのだろう。呪文は途切れ、詰まりつまりになってしまっていた。冷や汗をだらだらと掻き、鳥肌を立て後ずさろうとして突き付けられている杖を思い出し前へ進んで逃げようとする。
哀れな獲物は狩人からは逃げられない。
それに気付かなかった時点で、男はゲームオーバーなのだ。
――最初から決まっていた。
ひっくり返った訳では無い。
リアルが狩人。男が獲物。唯それだけだったのだ。
最初から、最後まで。
それに今更気付いても、もう遅い。
「私を殺そうとするなんて……」
――濃密な魔力がリアルから、純白の魔法陣から漏れ出す。
「100年早いわよ?」
――純白の魔法陣が、邪魔者を始末する為の呪文を紡ぎだした。
「た、助けてくれ……なんでもするから、今回だけは」
リアルは微笑んだ。
誰もが見惚れる程の美しい笑みは、嗜虐の笑みへと変貌する。
「ん······ダメー」
直後、魔法陣が光を放ち男を一つの氷像へと変貌させた。
「……はあ、つまらない出来事だったわ。こんなことになるんだったら、一回泳がせて"アマルティア"にでも任せればよかった。そしたら少しは暇が潰せたのかしら。ウォルターに「いい暇つぶしでもないかしら」って言ったのが仇になったのかしら?」
そう呟きながら、杖を持って彼女は定位置である最高級品の毛皮をふんだんに使ったひざ掛けの掛かった革張りのソファへと座りこむ。
一目で高級だと分かる調度品がいくつもおかれている、彼女の私室。
さっき男が魔術を使って破壊したはずなのに、この部屋には一つたりともその痕跡は残っていなかった。
ゆったりと座りながら、テーブルに置いてあった書類を手に取る。
凍った男は放置して、彼女はゆっくりと書類を吟味した。
――人身売買の書類。
「……ふふ、面白いじゃない。丁度殺すのは惜しいと思っていた所なのよ」
ぺらぺらと捲って、概要を確認して微笑む。
「私を殺そうとしたんだものね、このくらいの報いは当然かしら?」
リアルは楽しそうに言って、自身の頼れる執事でありボディーガードであるウィリアムをベルを鳴らして呼び出す。
勿論その理由は、リアルの足元に転がっている氷像の処理であった。
彼女は主。
今回は彼女自身が動いたが、本来ならば使いに任せておくのが普通なのだ。
「……リアル様、何か御用ですか?」
二、三秒もしない内に現れた執事を見て、リアルは氷像を杖で指した。
「ああウィル、そこの氷像を「牢」に入れておいて頂戴。担当者が引き取りに来るまではそのまま放置で構わないから」
「何かあったのですか?」
氷像を他の召使いも呼んで運び出させる中、ウィリアムは主に問うた。
主たる少女は口に手をあてて微笑んで、黄金の蛇の装飾のされた豪奢な杖を撫でる。
「ふふ、私を殺そうとした報いといった所かしら。人身売買の商人なんだもの、一回奴隷になってみるといいわ」
会話の返答になっていないが、ウィリアムはその言葉だけで理解して主に頭を下げた。
おそらくこの氷像にされた男は奴隷となるのだろう。
アンダーシティの主に逆らっただけで、彼は生き地獄を味わう事となる。
それを知った執事は、何も言わずにリアルの部屋を一礼して出て行った。
それを見てから、リアルはテーブルに書類を置いて、羽ペンにインクをつけサインした。
慣れた手つきで封筒に入れ、きつく封蝋する。
「一生奴隷人生ってのもいいんじゃない?死んだほうがまだましって思えるようになるわよ、素晴らしい転落人生」
――数時間後、この男性はリアルに逆らっただけで商人から奴隷まで落ちるのだ。
しかも自分のやっていた商売で。
なんという侮辱なのだろうか。奴隷を扱っていた人間が、逆に奴隷まで成り下がる。
「でもしょうがないわ。選択は一度きり。……ふふふ、自分が蔑んでいた奴隷になるってどんな気分なのかしら」
アンダーシティではこんなことは日常茶飯事である。
選択は一度きり。
泣いても笑っても一度きり。
それを理解している人間は少ない。
――この男も、その内の一人だったというだけだ。
選択に失敗し、行動をミスした。
それが命取りだというのに。
彼女――リアルはそれを、一番理解していた。