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ツン成分99%の姉は保健を学ぶ 2ページめっ!

作者: 大岸 みのる

 デレ。この二文字には、男の夢が隠されている。特定の人間から甘えられたり、優しくされたりと、男という生き物がデレるとニヤケてしまうものだ。

 だが、間違ってはいけないのが、それをしていいのは自分が好意を抱いている女性、または幼馴染。それか、インターネット越しの幼女である。


 姉にそんなもの求めていいわけではない。


 ちなみに、姉がデレた場合は危険だ。自分の欲しい物がある場合や、何かをして欲しいときにしか使わない手なのだ。調子に乗って姉のデレに振り回されると、『優しくした料金』として請求書が届き、総額を支払わなければならないケースがある。それを払うか、姉に土下座するか。少なくとも俺の姉は、そういう姉だ。

 この短い物語は、そんな姉のデレに対して、どう対処するかというものである。


 俺、鳩ヶ谷(はとがや) 聡介(そうすけ)の朝は早い。明け方5時に目を覚まし、録画しておいた流行りのアニメの世界へと侵入し、それが終了してから朝食を作るのだ。

 最近の流行りは、エクスカリバーを振り回す学園で戦闘を繰り広げる物語。正直、俺の好みとはズレているのだが、キャラがいい。

 特に、今ハマっているのは小石川 雪那という妹が最高に可愛い。このデレは、俺に襲ってくれと言っているようなものだ。

 雪那ちゃんを眼に焼き付けたので、今日は一日気分良く過ごせそうだな。


「あれ、良い匂いがする」


 そのとき、俺の身体がエマージェンシーを告げた。

 二階から降りてきたのは、俺の脳裏に焼きついた雪那ちゃんの声を振り払うほどの存在。

 そう、前回俺の花音ちゃんを闇に葬り去った自称カスリア充(笑)である。

 朝食は俺が準備しなければ、後で何を言われるかわからない。ゆえに、寝癖を直してない俺はスクランブルエッグを焼きながら、綺麗だと賞賛を浴びてる(らしい)姉が降りてくるのを恐れて待っていた。


「あれ? 良い匂いがすると思ったら、聡介が今日も美味しいスクランブルエッグを焼いてくれてるのね!」

「……やらないと怒るだろ」

「まぁ! そんなことないわよ! オホホホ! 聡介、後は私がやるから寝癖直してきなさい」

「……」


 満面の笑み。誰もがその笑顔を見ることによって心の病に落ちると言われている(らしい)。

 だが、それは一般男子の口コミに過ぎない。俺は弟であり、凛香の本性を知っているだけに、この優しさと笑顔は恐怖でしかない。


「俺がやるからいい。頼むから――――」

「こういうのは女の子の仕事でしょ? いいから、変わりなさい」

「嫌だっつの! 第一、お前の料理はダークマターなんだよ! 黒く焦げるのならまだしも、焼いてるだけで紫になるスクランブルエッグなんか見たことねーんだよ!」


 凛香と俺でフライパンを取り合う、午前七時の鳩ヶ谷家。

 だが、この争奪戦はすぐに終わりを迎える。


「いいから、貸せって言ってんでしょッ! ――――熱ッ!?」


 バカな姉が超熱いフライパンに触れた。

 フライパンは回転しながら宙に浮く。

 熱していたスクランブルエッグは姉の頭にベシャリと全て降り注いだ。

 俺は一歩引き、生唾を飲み込む。


「…………」

「…………」


 沈黙が続き、姉は静かに洗面所へと歩いて行った。

 そのまま、ドタドタと地団駄するかのような足音が響く。

 俺は気にもせず、再び調理に戻った。

 内心、俺は何が起こるのか不安で仕方がない。トーストで焼き上がったパンを一口頬張り、牛乳の入ったコップを片手で持つと違和感があった。


「……じ、地震か?」


 コップの中の牛乳が小刻みに震えている。しかし、家が揺れている様子はない。


 そう、姉に対してした行為に、恐怖のあまり振るえているのだ。


 なんてことない、俺は何も悪くないんだ。何度もそう言い聞かせながら、俺は姉にしてしまったことが、取り返しのつかない行為だと自覚していた。

 そして、遂に地獄の番人、いや姉が戻ってくる。その手には、謎の紙。

 俺はすぐに椅子から腰を浮かせ、学校に行こうと急ごうとした。


「……聡介……」


 だが、俺の肩が掴まれて、学校への道を阻まれる。

 恐る恐る、姉の方へと視線を向けた。


「は、般若!?」


 怒りが滲んだ笑顔。この世の人間がする笑顔ではない。

 俺は腰を抜かし、姉を見上げる。

 身体は震度七を刻んでいた。


「はい、これ、あげる」

「い、いらな――――」

「あげるわよ、聡介。美味しいスクランブルエッグ。貰っちゃったからねぇ」


 クククっと笑う姉の目は、笑っていない。


「だから、いらないっつの!」

「貰ってよ、私の感謝だからさぁ」


 無理矢理手に渡された紙。

 恐怖に包まれながら見た紙には、こう書いてあった。


『請求書。鳩ヶ谷 凛香の優しさを受けたことにより、以下の金額を要求する。三万円』


 デレの代償がやってきていた。

 しかもスクランブルエッグ騒動によって、最初の金額は一万だったのが、三万円に変更されている。

 俺は視線を上にあげた。


「こ、こんなの払えるわけ――――」

「払えるでしょ? 家事やってるんだから、私よりもお小遣いは、数倍高いって聞いたけど? 何? それとも、今、ここで土下座でもする?」

「――――クソッ!」


 俺は逃げるように玄関へと向かう。

 靴を急いで履こうとすると、首根っこを後ろから掴まれる。


「な、なんだ!?」

「……期日は今日の午後。払えなかった場合は、どうなるか、わかってるんでしょうね?」

「そんな無茶な願い聞けるかッ!」

「あっそ」


 すんなりと俺の首根っこを離す。

 俺が振り返ると、姉の手には人形が入ってると思われる、アマソンからの小包があった。


「そ、それは……ッ!?」


 そう、姉の持っているダンボールは俺が先日購入した激レアフィギュア。三万円もする雪那ちゃんの制服バージョンである。

 雪那ちゃんは高校生ではないので、その制服姿をまだ晒していないので、アニメでも放映されてない、先行限定販売ものなのだ。

 いわば、俺の宝物に近い箱であった。


「わかってるわよね? 三万。用意できなければ……」

「ゴクリ……」


 姉は笑顔でダンボールに指をさす。


「これがビックバンよ」

「…………くっ……。ふ、ふ、ふざけんなょぉぉぉぉぉぉっ!」


 最悪の展開を迎えた。

 俺の思考は混乱し、家から逃げるようにではなく、本当に家から逃げた。




 ◆




 放課後を告げるチャイムが鳴り響く。

 気がつけば、執行猶予の時間だった。


「聡介殿!」

「あー?」


 俺は机に突っ伏しながら、名前を呼んだ人物へと視線を向ける。そこには俺と同じ制服を身に纏った男が立っていた。

 短めの髪をした、どこにでもいそうな顔をしている男の名前は、白石(しらいし) 隆也(たかや)。幼稚園からの腐れ縁である。


「届いたのか?」

「あ、あー」


 隆也もまた、俺と同じオタク趣味を持ち、アニメについて評論し合う中だ。ちなみに、俺に雪那ちゃんをハマらせたのも、この男である。

 がっと俺の肩に腕を落とし、鼻息を荒くして近づく。


「俺も紅葉様のフィギュア、手に入りそうなんだ! お前のと一緒に並ばせて鑑賞しようぜ!」

「……う、うわぁぁぁぁぁぁっ!」


 俺は隆也を退けて泣いた。

 動揺した隆也は、困った顔をしている。


「ど、どうしたんだよ!」

「た、隆也っ! お、俺の雪那ちゃんがぁぁぁッ!」


 とりあえず、ことの顛末を全て隆也に伝えた。


「……なるほど、で、凛香様がお前に三万円か雪那ちゃんのフィギュアを壊させろ、と」

「そうなんだよぉ……。酷くねーか?」


 隆也は腕を組んで、うんうんと縦に頷き、瞳を光らせる。

 平手で俺の頬にビンタを放った。


「馬鹿野郎! お前が全部悪いに決まってるじゃねーかッ!」

「いたっ!? な、何すんだよ!スクランブルエッグだって、あいつの変な行動がなければ――――痛っ!? 二度もぶったな!」

「馬鹿野郎! 聡介、お前が悪い! 凛香様を侮辱するとは、お前が一番悪だッ!」


 忘れていた。姉は誰にでも猫を被る奴だ。よって隆也も本性は知らない。

 こいつも凛香教の信者のようだ。


「凛香様がそんなことをする筈がないッ! ここまで友達として大目に見てやったが、今日という今日は許さん!」

「チッ、戦争勃発だ! このクソ信者がッ!」


 俺と隆也で胸倉を掴みあっていると、教室が騒つく。またか、という声がヒソヒソと聞こえる。


「やめなよぉ……」


 喧嘩を止めるように女子生徒が間に入ってきた。

 肩に触れるか触れないくらいの髪をした、甘めの顔の同級生。


「藤原……」


 俺は隆也の胸倉を離し、藤原に視線を移す。

 藤原(ふじわら) 柊花(しゅうか)。俺と隆也と同じクラスの女の子。実家は多くの業界のトップに君臨する財閥の一人娘だ。だが、高貴な雰囲気も、天狗になってるわけでもなく、凄くおしとやか。

 ちなみに、三次元で俺が唯一好きな女の子だ。


「藤原に入られちゃ、喧嘩は終いだ。いい加減、目を覚ませよ聡介」

「どっちがだよ!」


 隆也はクールに教室を後にした。こういうとき、あいつは逃げるのが尋常じゃないくらいに早い。


「大丈夫? 鳩ヶ谷君、なんかあったの?」

「いや、隆也とは何もないよ。ただ……」


 俺は藤原にも一部始終を簡単に話した。すると、藤原はニコッと笑顔を見せる。


「鳩ヶ谷君は、大事なものかお金をあげないといけないんだね」

「ま、まぁな……」


 当然、フィギュアとは話していない。嫌われたくないしな。


「そっか、じゃあ、ちゃんと話し合ってみればいいんじゃないかな? そうすれば、わかってくれるよ! ね!」

「あ、ああ……」


 やっぱり天使だ。この笑顔を見ると、今日という日の疲れがすっ飛んでいく。あ、浮気じゃないよ? 雪那ちゃんも好きだよ?

 藤原は委員会へ行くというので、俺はそのまま帰路に着くことにした。

 確かに、この問題は大きい! 話し合わないといけない問題だ!


 俺は拳を握り締め、玄関の扉を開けた。


「ただい……」


 甘い。俺の脳裏にその言葉が過る。

 玄関の前には、フィギュアの入ったダンボールと、請求書を持った凛香が、不動明王のように立っていた。

 笑顔を見せ、ドーンと構えている凛香。こいつは、どこまでも性格が悪い。俺の答えを楽しみに待っているのだろう。


「おかえり、聡介。さぁ、アンサー」

「まぁ、待てよ。話し合おうじゃないか」

「はぁ?」


 凛香は笑顔を解き、俺に詰め寄る。


「第一、三万円は大きい金額だ。高校生がおいそれと貸す、貸さないの話じゃない筈だ」

「借りるんじゃないわよ。貰うのよ」


 く、この女は貰うつもりだったのかよ!


「ま、まぁいい。そんで、そんな大金、何に使うんだよ」

「仕方ないわね。お金は貰うんだから、教えといてあげるわ。高級エステよ」


 俺は耳を疑った。


「は? え、エステ?」

「そう、エステよ。お母さんと約束してるの」

「い、いや、エステに行くにしろ、そんな金額使わねーし、母さんに出してもらえばいいだろうが!」

「違うのよ。お母さん、今度誕生日でしょ? でも、私もお金使っちゃって、もうないのよ。だから、貰おうと思って」


 なるほど、確かに近いうちに母さんの誕生日が控えていた。うちの母と凛香は仲が良く、誕生日になると、お互い二人きりでどこかへ行くのは恒例だ。

 しかし、納得のする理由を聞いても、そんな金額は俺にもない。


「……そういうことかよ。だったら、別の人に頼めよ」

「なんで?」

「俺にそんな金額はない」

「そ」


 案外あっさりと凛香は引いた。

 俺はホッと胸を撫で下ろし、凛香が電話の元へと行く姿を目で追う。

 ――――ん? 電話?


「お、おい!」

「あ、もしもし、質屋さんですか? あ、はい。さっきお願いしてたの、今から売りに行きますんで、はい」

「ちょっと待てやぁぁぁぁぁぁッ!」


 ガシャンと電話を切り、凛香は笑顔を見せた。


「あれ、二十五万で売れるらしいから。今から行ってくるねー!」

「ちょ、ちょ…………」


 俺は四つん這いの状態で固まる。

 凛香はそのままスキップしながら、家を出て行った。




 ◆




 夜を迎え、雨雲が空を包んだ。滝のような雨が街に降り注ぐ。

 俺は部屋のテレビの前で、体育座りをしながら雪那ちゃんの姿を見ていた。

 

「ぅ、うぐっ……ゆ、雪那ちゃぁぁぁん……」


 涙が外の雨のように次々と溢れていく。

 姉はまだ帰ってこない。もし、奴がいなければ、雪那ちゃんの晴れ姿を今日見れたかもしれないし、何よりもっとオタクライフが楽しめた筈だ。

 エステに行く為に、俺に金を請求する姉。俺にその金がないとわかると、雪那ちゃんを質屋に売り飛ばす。

 やっていることは、完全にヤミ金や暴力団だ。

 俺は雪那ちゃんの声をイヤホンで感じ取る。


『海斗……お兄様……。か、仇を……』


 そのシーンは、雪那ちゃんが敵にやられたところだった。

 だが、そのとき、俺の中で何かが切れる音がする。

 幻なのかもしれないが、雪那ちゃんは俺に『聡介お兄様、私を悪の手からお救いください』と言っていたような気がしたのだ。

 俺はスーッと立ち上がり、握り拳を作った。


「……見ていろよ、雪那ちゃんの仇ッ! 必ずとるからなっ!」

「仇がなんだって?」


 そのとき、姉が部屋へと入ってくる。

 その手には、二十五枚もの諭吉。

 なるほど、俺の雪那ちゃんを札束に変えたわけだ。これは俺の中で、いや、全世界のオタクにとって、嫁の身体をチェーンソーで刻まれたかのような侮辱。

 瞳を細め、姉を睨む。


「見て、新しい扇子よ。いいでしょ?」

「……手が真っ赤だぜ。雪那ちゃんの返り血かッ!」

「はぁ? 何言ってんの? あんたバカ? どっからどこまでが血に見え――――――」


 俺は姉に壁ドンを放った。

 突然の行動で、姉は身体をピクッと震わせる。


「な、なによ! あんたがいけないんだからね! スクランブルエッグふっかけてきたんだからッ! そ、それに請求書だって渡した筈よ! ご、合意の上成立してることなんだからッ!」

「……黙れ、俺の雪那ちゃんを……」


 姉は生まれたての子鹿のように震えている。

 恐れている。これは千載一遇のチャンスだ。

 今こそ、主従関係というのを植えさせるとき。


「今から、エステなど行かなくとも、俺がツルツルにしてやる」


 俺は手の甲を見せつけた。


「ちょ、な、なにするつもりよ!」

「黙ってろ。……雪那ちゃん、今、仇を……」

「ちょ、やめてよ! キモいんだけど!」

「覚悟しろッ!」


 姉に襲いかかり、脇の下に両手を突っ込んだ。目を閉じている姉。

 そして、俺は指をめちゃくちゃに動かした。


「う、うひゃひゃひゃッ! あ、はっはっはっ! ちょ、あはは!そ、うっ、そ、そ、あははははっ!」

「笑死ね。葬式は出てやるよ」

「こ、こ、や、やめなさいってばっ!」


 くすぐられ、姉は全身をクネクネと動かす。

 こいつは全くわかっていない。俺がくすぐりの達人であるということを。


「や、やめなさいって……言ってるでしょッ!」

「ぐふっ!?」


 俺の腹に、姉の膝がクリーンヒットした。

 前のめりになって倒れ、姉を見上げる。

 仁王立ちした、姉は俺の頭に踵落としを放った。


「せいっ!」

「んがっ!?」


 顎を地面に打ち付け、意識が飛びそうになる。


「良い度胸ね。アンタに、仕返ししてやるわ」


 満面の笑みの姉。しかし、ダメージが思ったよりもデカく、俺は意識を閉ざした。




 ◆




 意識が回復する。

 だが、俺の視界は暗いまま。これは夢なのか、それとも死んだのかと思えてくる。


「……ま、くすぐりの仕返しも、意識ないようだから、別にいいよね」


 何がだよ。と声に出そうとしたが、どうやら顎を打ったせいで、言葉を発せないようだ。

 まるで虫歯みたいで、ズキズキと痛む。本気の踵落としを食らったようだ。

 何を始めるのだろうか。とりあえず、動こう。そう思った時だった。

 両手、両足をベルトで固定してある。

 つまり、俺の身体は動かない。


「ちょ、ちょっとだけよ、凛香!」


 こいつ、なにやってんだ!?

 意識が朦朧としていて、動くことも簡単にはいかないようだ。

 俺は一度冷静になり、真っ暗の部屋を見渡すが、姉がどこにいるのかもわからない。

 ふと俺の頰に触れる手。その手は思ったよりも冷たい。


「うーん、どこをマッサージしたらいいんだろう」


 マッサージ? エステ繋がりでか?

 それなら、お願いすることは一つ。俺の身体に触らないでください。


「あれ? なんか、ここある」


 グニャリと掴まれたのは、ウィンナーだ。

 俺の全身から血の気が引いた。

 ま、まさか、姉に食い千切られるのか!?


「まぁいいわ。じゃぁ、とりあえず、ここをマッサージしようかな」


 は? ど、どこを!?

 すると姉の手は、俺の胸へと入ってきた。

 何にもない、平坦な丘だ。


「い、以外と胸板あるのね……」


 知らねーよ! つか、何勝手に触ってんだよ!


「で、えーっと、続きは……パンツを脱がす?」


 俺は硬直した。

 パンツ脱がされたら、また気絶してしまう。

 この姉は一体何をしようとしてるのだろうか。

 だいぶ視界が慣れ、姉の顔がぼんやりと見えてくる。

 手には、グラビアのアイドルが表紙を飾っている、いかがわしい雑誌があった。

 恐らく、表紙に書いてあるスペシャル企画。男性が絶対喜ぶマッサージ! を実践しようとしてるのだろう。

 こ、これは危険過ぎる。本来ならば、兄弟ではなく恋人でする行為の筈だ。


「あ、その前に、首元を舐める?」


 何言ってんだよ!? や、やらないよね? やらないよね!?

 姉は舌を出して、俺の首筋を舐め始めた。

 ゾワゾワし、全身の鳥肌が立つ。


「あ、鳥肌立ってきてる! 成功かしら?」


 恐れてるんです! はい!

 すると、姉の舌は徐々に下半身へと向かっていく。

 この最終地点は、まさしく、いや完全に、この話ではアウトの場所だ。


「えーっと、パンツを下げて、見えた場所を全部舐める?」


 え? ちょ、そ、それは姉弟じゃ、やっちゃいけないんだよ?

 姉の舌は順調に走り続ける。


「や、やめろぉぉぉォッ!」


 遂に顎の痛みが引き、声が飛び出た。

 姉は一度顔を上げる。


「あら、起きたのね」

「起きたのね、じゃねーよ! 何やろうとしてんだよ!」

「え? マッサージだよ?」

「それは、マッサージじゃねーっつの!」

「はぁ?」


 訳のわからないといった顔で俺を見つめてきた。


「とりあえず、これを解け」

「……やだ」

「は? 何言ってんだよ」


 姉は口を結んで俺を上目遣いで見つめる。

 その顔は、なぜか俺の心を微かに動かした。


「……何をしようとしてたんだよ」


 俺は黙る姉に溜息混じりに聞く。これだけのことをしておいて、まさか殺されるわけじゃあるまい。

 だが、姉からは想像もしてない答えが返ってきた。


「だ、だって、あんたも、つかれてるだろうから……。私達だけエステに行くのも失礼だろうと思って……」

「……それ、本当に言ってんのか?」


 まさか、姉からそんな言葉が出てくるとは。


「……うん。だって、私家事できないし……。そ、それに色々申し訳ないなって……」

「…………」


 俺の為にマッサージしようとしてくれてたのか。


「だとしたら、このベルトは何だよ。拘束してまでするのか?」

「だって、あんたにマッサージしてあげるって言っても、怒るでしょ? だから……」


 ……まぁ、色々姉なりに、俺に感謝でもしてんのかな。

 しばらく無言が続き、姉は俺の身体を固定してるベルトを外してくれた。


「……わかったよ。じゃあ、俺がマッサージの仕方教えるから、俺にもしてくれ。それでいいだろ?」

「うん」


 全く、なんで俺がマッサージなんかしなきゃいけないんだか。

 姉はベットにうつ伏せで倒れる。

 その上に俺が跨り、姉の腰に手を添えた。


「いいか、マッサージってのは基本痛いのでもダメだし、気持ち良いのでもダメなんだ」

「え、そうなの?」

「ああ。今からやるから、どういう感じか言ってみろ」


 まず、腰に親指をゆっくりと押し込んでいく。


「んんっ」

「気持ち良いだろ?」

「う、うん」

「次は……」


 更に親指に力を入れ、奥まで入れる。


「いたっ!」

「これはやり過ぎだ。だから、この間くらいで、こりをほぐしていくんだ」

「う、うん」


 俺は力を入れたり抜いたりしながら、姉の腰をマッサージしていく。

 なぜ、こんなことになってるのだろうか。全く、俺は本当についていない。


「どうだ? 気持ち良いか?」

「うん、なんだか、少しの痛みと気持ち良さで変になりそう……」

「そ、そうか」


 思ったよりも違う解答だな。

 背骨を少しずつ凝りほぐし、うなじに手がいく。


「あっ、き、気持ち良いっ」


 姉は素直に感想を言い続ける。

 すると、突然顔を俺の方に向けてきた。


「なんだ?」

「そういえばね、アロマの香りを嗅ぎながらするといいらしいんだって!」

「あー、テレビとかでやってたな」

「うん、だから、ちょっとアロマキャンドルに火をつけてもらっていい?」

「わかった」


 ここは姉の部屋だ。休みの日は掃除を手伝わされてるので、何がどこにあるのか暗くてもわかる。

 俺は最近買ったと思われるキャンドルに、近くに置いてあったライターで火をつけた。

 すると、仄かに甘い香りが漂う。

 なるほど、リラックスできるような香り。


「これでいいのか?」

「うん」

「じゃ、交代してくれるか?」


 すると姉は顔を横に振る。


「ダメ。まだ、聡介がして」


 まだわからない部分もあるのだろう。

 俺は溜息を吐いて、また跨った。


「行くぞ」

「うん」


 腰、背中、肩と順番に揉んでいく。

 姉は感想を言わず、なんだか身体をくねくねさせていた。

 多分、マッサージの痛みの部分が麻痺して、気持ち良くなってるだけだろう。


「んっ……。あっ」

「良い感じになってきたか」

「う、うんっ……。もっとしてっ」


 あれ? なんか違くね? 俺がマッサージしてもらうんじゃねーの?

 そう思ったが、なんとなく今は続けていた。


「あんっ」

「…………」

「んっ、もっとぉ」

「…………」

「聡介っ、気持ち良いよぉっ」


 なんか変だ。姉の声が、甘えてるような気がしてならない。

 というよりも、マッサージ如きでここまで気持ち良くなれるのか不思議だ。そもそも、姉はあんまり凝ってるような感じではない。

 そのとき、頭がガクンと落ちるような感覚が襲った。

 視界がフワフワし、いけないことをしたくなるような危険な信号。これは多分、アロマの仕業だ。


「おい、あのアロマどうしたんだ」

「んっ、あれ? あんっ、と、友達にもらったんだよぉっ」

「マトモなもんじゃないだろ!」

「そう? あれ嗅ぐとね、なんか、身体が熱くなるの……」

「え?」


 俺は嫌な予感がした。

 身体が熱くなる? なんか、その単語をどっかで聞いたような……。

 知らず知らずのうちに、俺の手は姉の身体を滑るように動かしていた。

 止まったのは腰。


「んんっ」


 これは、これは、た、ただのマッサージだ!


「そ、そこぉん」


 俺は手をゆっくりと太ももの方へと移動させた。


「はぁぁんっ」


 徐々に姉の身体を触れていき、やがて耳に到達する。俺は無我夢中で、姉の耳にかぶりつく。


「あっ」


 だが、それをして俺は我に返り、なんでこんなことしてるんだと思い出した。

 だからといって、止められるものではなく、俺の手は耳をなでるように弄る。


「んんっ……き、気持ちいいよぉ」


 こ、こんなに気持ちいいのなら、俺の成果もあるなぁ……。

 などと、全く目的が逸れ始めたことに気がつき始めていた。しかし、それに気づいていたのは理性だけである。


「聡介っ! そ、そこはぁっ」

「え?」


 知らず知らず、無意識で俺は手を動かした。それは背中でも、腰でも、肩でもない。

 ムニャムニャと柔らかい感触。それを感じる。


「あんっ! そ、聡介ぇ……だ、ダメっ……んっ……あぁっ……はぁ……はぁ……」

「な、なんだ、これ、気持ち良いな」

「だ、だめっ……んっ」

「あれ? 俺、今、なにしてるんだ?」


 思考がぼんやりしてきた。

 理性がなくなってきて、今、目の前にいるのが姉だということを忘れていたのだ。

 手は背中とは反対の位置、つまり胸を揉んでいた。


「そ、聡介っ……」

「あっ、わ、悪りぃッ!」


 俺はすぐに手を引き、理性を取り戻した。

 危ない、俺はなにをするつもりだったのだろうか。全く、雪那ちゃんが聞いて呆れる。


「……聡介なら、もっと触っても良いよ」

「へ?」


 姉は自分から俺の手を握り、己の双山へと導いた。


「や、やめようぜ? お、俺たちは……」

「……聡介は、私のこと嫌い?」


 姉は可愛らしい声をして聞いた。


「き、き、き……」


 嫌いと言えれば、どれだけ楽だろうか。

 多分、俺は心底嫌いじゃないから、こいつの言うことを聞けるのだろう。

 だけど、嫌いと言わないと、いけない気がした。

 なんでかは、わからない。けれど、そうするべきだと思ったんだ。


「きら――――――――」

「私はね、聡介」


 姉の手が俺の頰に触れる。

 暖かくて、小さい手だった。

 姉の瞳は潤んでいて、今にも壊れてしまいそうな宝石みたいだ。

 ゆっくりと、ぷるぷるの唇を動かす。


「あなたが……」


 俺の心臓の音が聞こえる。

 ドキンドキンと脈が高くなっていく。


「や、やめようぜ。俺、もう寝るわ」


 このままだと、何かが間違う。そう思った。

 だから、俺は立ち上がり、姉に背を向ける。


「行かないでっ!」

「は?」


 俺の身体を囲むのは、華奢な腕。

 姉は俺の腰を両手で抱きしめ、動きを止めさせた。


「……ダメだよ、聡介。私の気持ち、ちゃんと聞いてよ。男でしょっ?」

「……俺は男だ。だけど、それ以前に俺は弟だ」


 姉の腕を振り解き、部屋を出ようとする。

 だが、姉はベットから立ち上がって、俺の服を掴んだ。


「待って!」

「ちょっ!?」


 俺の服を掴んだ姉は、床に落ちてたタオルケットを踏んで転ぶ。

 その勢いで、俺もバランスを崩して転んだ。

 その一瞬で、俺の唇に暖かく、湿気のある柔らかい何かが触れた。


「いたっ」


 俺が顔をあげようとすると、姉の顔が近くにある。

 何をされたのか、全くわからない。

 だけど、これで良いだろう。

 俺はとりあえず、姉をベットの上に戻し、布団をかけた。


「すーすー」

「……寝たのか」


 俺は溜息を吐いて、アロマの方へと視線を向ける。

 アロマは消えていた。

 近くにあった箱を調べると、媚薬と書かれてるのを発見。多分、これのせいで、少しおかしくなっていたんだろう。

 俺も少し変だったと自分でも思うし。

 よくわからないけど、姉は何がしたくて、何を伝えようとしたのだろうか。


「俺には関係のないことか」


 欠伸をしながら、俺は姉の部屋を出た。

 このあと、お風呂にも入らなきゃいけないし、ご飯も食べなきゃいけない。

 姉はたべたのか、わからないが、寝かせておいた方がいいだろう。

 寝るまでのスケジュールを構築しながら、俺は一階へと降りていった。


「……聡介……大好きだよ……。気付いてよ…………」




 ◆




 朝を迎え、俺は絶望した。


「そ、そうだった! 今日は休日で、折角雪那ちゃんの勇姿を拝めようと思ったのニィィィィィっ ッ!」


 起きて、一言。

 やはり、姉には痛い目を見てもらった方が良かったな。

 昨日はアニメもやってなかったし、とりあえず、近くのジャンク屋にでも行こうかなと思い、着替えを始めた。


「……聡介」

「あ?」


 昨日姉は起きたのか、パジャマ姿で部屋に入ってくる。


「……これ」


 すると二十四枚の諭吉を手渡された。

 姉は申し訳なさそうに、頭を下げる。


「ごめんね。本当は一万円だけで良かったの。ちゃんと返すから、今は貸してください」


 何とも真面目な姉だった。

 らしくない。


「まぁいいよ。で、フィギュアはどこに売ったんだ?」

「あっ! 忘れてた! 近所のジャンク屋さん!」

「なぬ!?」


 一万くらいなら、まだ手元にあるからいいとして、すぐに雪那ちゃんを取り戻さなければ!

 そうすれば、俺のハッピーライフ、もとい、楽しみにしていた行事ができるッ!

 早速、準備を済ませる。


「ごめん、ごめんね、聡介」

「いいよ、今は急いでるから、後でな!」


 慌ただしく、着替え、俺は家を出た。

 近所のジャンク屋さんは、物を見る目があるオーナーさんが運営する、馴染みの店だ。

 高級時計からフィギュアまで、ありとあらゆる価値のある物を売買するのである。

 昨日、姉が行った時間を考えるに、まだフィギュアは売れてない筈だ。


「……間に合えよッ!」


 自宅からは自転車で二十分の場所にある。

 飛ばせば時間は短縮できるのだ。

 だが、そういうときに邪魔、もとい壁は現れる。


「藤原!?」

「あ、鳩ヶ谷君」


 なんと、偶然か。

 私服姿のとても可愛い柊花ちゃんと出会ってしまったのだ。

 服装も、柊花ちゃんの良さが滲み出てて、凄く良い。


「どうしたの? こんなに朝早くに」

「いや、ちょっと急用でな。藤原、それ……」


 柊花ちゃんは大きな荷物を持っていた。これから、どこかに行くのだろうか。


「あ、これは違うの。ちょっとした、プレゼント?」

「ぷ、プレゼント?」

「う、うん」

「……そ、そうだよねぇ……」


 柊花ちゃんくらい可愛ければ、そりゃ彼氏の一人や二人いるか。

 そう思うと、俺は空を見上げた。昨日の天気とは違って晴天。なんでだろう、視界が滲むなぁ。


「違うよ、多分鳩ヶ谷君が考えてるようなプレゼントじゃないよ」

「え?」

「これは、自分に、だよ」

「は、は、ハハハハハ! そ、そうだよな! 知ってたよ? 俺、知ってたよ!」

「良かった、勘違いしてると思っちゃった。じゃぁね、鳩ヶ谷君っ」

「お、おう!」


 はぁー良かった。まさか彼氏にプレゼントかと思ったぜ。

 相変わらず可愛かったなぁ……。と、そんなことよりも急がなきゃ!

 俺は再びペダルを漕ぎ始めた。


「はぁはぁッ!」


 息を切らし、俺は開店十分過ぎのお店に着いた。

 扉が開き、店長と顔をあわせる。


「店長っ!」

「あれ? こんな朝早くに誰かと思ったら、昨日今日で鳩ヶ谷家が来るとはね」


 店長は、初見だとムエイタイの選手にしか見えないほど、黒くて筋肉が張り上げてる男だ。

 親しくなると、そんなに怖くないが、最初は本当に恐怖しか感じなかったものである。

 だが、今はそれどころではない。


「昨日、あいつが売ったブツ、返金してもらいたいんだッ!」

「あー、あれやっぱり聡介君のだったんだね」

「ってことは!?」


 過去にも、姉が色々売り飛ばしてるせいもあってか、店長は返金しに来るとわかって取っておいてくれていることが多々ある。

 まさしく、俺にとっての神だ。


「店長っ!」

「ざんねーん! 今、丁度売れたところなんだ」

「は?」


 俺は固まった。

 売れた?


「いやー、だってさ、可愛い女の子が、そのフィギュアが欲しい欲しいって言っててさ、倍でならいいよって言ったら、今日は十倍の金額持ってこられたもんだから、そりゃ売るよねー」

「な、て、店長の馬鹿野郎!」


 つまり、雪那ちゃんは二百五十万で売れたっていうのか!?

 お、おかしすぎやしないか!?


「ま、金には勝てないってことよ。諦めな」

「お、俺の……ゆ、雪那ちゃんがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 俺の鳴き声は、店の外にまで響いた。

 全て、姉のデレがなければ、こんなことにはならなかったのに。


 やはり、あいつは大っ嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!




 ◇




「ふぅ、欲しかったんだよね。このフィギュア」

「あ? 柊花、なんだそれ」

「最後の一個、揃ったんだよお兄ちゃん」

「へぇー、これで学園制服版は制覇か?」

「うん。紅葉に桜子に雪那ね!」

「それにしても、柊花は変わってんな」

「なんで?」

「俺の贔屓目抜きにしても、顔もルックスも性格も、頭も良いのに、アニメがド趣味とはな」

「そ、そんなことないよっ! 痛っ!」

「ほら、何もないところで転ぶなっての……」

「お兄ちゃんが変なこと言うからぁ……」

「また、フィギュア部屋が必要になりそうだな」

「もぉ、お兄ちゃん! いじめないでよ!」

「はいはい。ま、一人でやってればいんじゃない? 誰にも迷惑かけないしよ」


 オタク友達かぁ……。

 鳩ヶ谷君が、オタクだったら良いなぁ……。


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