彼と甘い感じ 2
吹き抜けの回廊を、旅行気分できょろきょろと見回した。
白い石壁で作られた神殿の内部は、温かな外の花畑と違って少しだけひんやりとしている。
寒いというよりも、神聖な空気に触れているといった方が正しいかもしれない。
美術館や図書館のような静かな空間って、しんとしてどこか寒い。
あんな感じを、この神殿にも感じる。
それでも、私の手の先は温かな空気の層に包まれていて、それはほっとする温もりだった。
まあ、つまり透明人間さんと手を繋いで歩いているわけなんだけどね。
再び目を開けてもまだあの花畑にいた時は流石にちょっとだけ引いた。
こんなに長い夢を見た事がなかったし、夢の中で寝て起きるとまた夢の中って今までにない出来事。
まあ、夢の中でこれ夢だってわかること事態初めてなんだから、そういうものなのかも?
これを夢だと信じて、微塵の疑いもない私はそう結論づけて今にいたる。
たぶん恋人でもない相手と手をつないで歩くというのはいささか抵抗ある人もいるかもしれないけれど、彼相手ではそうも言ってられない。
なんせ相手は全く姿が見えない透明人間さんなわけで、何処かしら触ってないといるのかいないのかわからなくて、不安になる。
何気なく彼がいるだろう方向に顔を上げても、目に映るのは神殿の壁だけ。
それでも温かな空気の層に包まれている手に力を込めると、「どうした?」という声と共に、同じ様に少しだけ手に力が込められる。
それで、確かにそこに彼がいるのだと解るのだ。
透明人間さんと一緒に行動するってちょっと・・・いや、正直かなり不便って初めて知ったよ。
現実世界では、全く必要のない知識が増えたね。うん。
なんて事を考えるうちに、外の景色が見渡せるバルコニーのような場所へいつの間にか辿り着いた。
大きな柱と柱の隙間によじ登ろうとしたところで、後ろから身体を持ち上げられる。
「わっ浮いた!」
「・・・だから、私が」
「「持ち上げてるだけだ」」
彼が言うだろう台詞を予想して口に出したら、見事にはもった。
してやったりと吹き出す私に、彼はというと、むっとしてるような感じ?
顔で相手の感情を読み取る事が出来ない相手のため、なんとなくかもし出す雰囲気で考えるしかない。
「怒った? 怒った?」
たぶん、その辺りにいるだろうと思いながら、にやにや笑う私の頬に温かなぬくもりが触れる。
触れたと思った直後に、ぐいっと引っ張られた。
「ちょっ暴力はんたーい!」
「・・・煩い」
ぐいぐい引っ張られるの温もりから、慌てて逃れようとした所で、体勢を崩した。
「あ」
ぐらりと視界が揺れ、はるか下方の花畑が目に映る。
落ちる!
そう思った直後。
ぐっと力強く腕を引かれたかと思うと、上半身が温かな空気の層に包まれた。
落ちかけた身体を透明人間さんが引っ張って、抱きとめてくれたのだと思う。
一瞬にして、落ちると緊張した身体から、力が抜けた。
「びっ・・・くりした・・・」
「それはこちらの台詞だ」
「うん、ありがとうございました」
素直にお礼を言って、温かなそれにぽすんと頬を埋めた。
今、緊張したばかりの身体は、それだけで本当に安堵する。
それになにより。
ぽよぽよした空気が気持ちいいっていうか、なんていうか。
心地よいエアクッションみたい。
今助けてくれたばかりの相手にはとても言えないような事を考えながら、甘えるように頬を擦り付けた所で、その空気の層が固まってるような雰囲気に気付いた。
あ、しまった。
私また暴走した。
私からすれば、透明人間さんの身体は温かな空気の層でしかないのだけれど、彼からしたら生身の身体にいきなり頬擦りなんて、また傍から見たららぶらぶのような事をしてしまった。
もう一度、「ありがとう」とお礼を言って離れる。
「・・・気をつけろ」
少し固い感じの透明人間さんの声音に、なんとなく照れてるのかなと考える。
でもそれを指摘するとまた怒るだろうと思った私は、はーいと軽く返事をして、大きな柱の傍に座り込んだ。
足を外に投げ出し、ぷらぷらと遊ぶ。
何処までも続く花畑は、本当幻想的としか言いようが無くて、それを視界に映し、改めてメルヘンな夢だなと思った。
「綺麗だね」
「ここしか知らない私には、その感覚は無いな」
「そうなの? でもまあ、ここから出るのが今の目標だもんね」
「・・・なんだか、お前に言われると凄く軽い気がするんだが・・・」
「そんな事ないよっ」
流石に夢だからって、ある程度軽く考えてる事がバレてはいけないと、慌てて真面目な顔を作って否定した。
私にとっては目覚めるだけで終わる事でも、夢の中の住人にとっては死活問題かもしれないのだ。
あんまりふざけるのもいい加減やめておこう。
うんうんと自分の考えに頷いて、眼前に広がる景色をぼーっと見つめた。
私は私で、本当に起きたらこんなメルヘンな夢はもう二度と見れないかもしれないと思い、今、思う存分癒されておこうかな、なんて考えてみたりする。
あー、しばらく仕事休暇取って旅行行きたいかも。
どうせなら国内より、また海外がいいな。
国内旅行はなんていうか、安心して旅行出来る場所って感じで、海外はドキドキわくわくが詰まってる感じなんだよね。
とりとめもなく、自分の考えに浸っていたら、ふいに私の髪を風が通り過ぎるような感覚がした。
でも風よりも、温かな感じがして。
あれ、今もしかして透明人間さんが私の髪に触った?
てか、静かにしてると本当存在感ゼロだよね。
流石、透明なだけはあるっていうか。
彼がいるだろう場所に顔を上げて、口を開いた。
「今、触った?」
「!・・・すまない、その、勝手に・・・」
「別にいいよ。何か頭についてた?」
「いや、・・・ああ、花びらが」
「そっか、ありがとう」
やけに固い感じの彼の言葉に首をかしげながら、とりあえずお礼を言う。
そんなに緊張した感じじゃなくても、普通にしてくれたらいいのにと思う。
先程まで私のほうが散々勝手に彼に触っていたのだ。
存在確認のためだったり、面白がって飛びついて、空中浮遊気分を味わったりと。
我ながら、相手の姿が見えないのをいい事に、好き勝手やったものだと思う。
それなのに、相手が自分に触るのは許さないなんていうほど、潔癖な精神は持っていない。
流石に、見えないのをいい事にいきなり胸触ったりしたら殴るけどね。
「そうだ、ここでお前を抱えてやろうか?」
「え?」
いきなりの発言に、正直びっくりした。
「な、何で?」
「今ので思い出したんだが、私に飛び乗って浮いてると遊んだりしていただろ?」
いや、うん改めて言われると恥ずかしいけど、確かに遊びましたよ。
気持ちのよいベッド気分で、堪能させて頂きましたけれども。
それがどうして急に、私を抱き上げる事に繋がるのかがわからず、首をかしげる私に透明人間さんは言葉を続けた。
「この高い場所なら、より浮遊感が味わえるんじゃないかと思ったんだが」
「ああ、なるほど」
確かに、結構な高さのある場所で、透明人間さんに抱き上げられたりしたら、花畑の上でちょっと浮いてるように見えるとは比べようもないかもしれない。
花畑の上で遊んだときも、実際は身体の下に透明人間さんの身体である、温かな空気の層を感じたから安心して楽しめたのだけれど、この高さでその遊びはちょっと、いやかなり怖いような気がした。
乗った事はないけれど、観覧車の透明ゴンドラに乗るような感じ?
あれ、結構怖そうだよね。
観覧車ほど、高い場所にいくわけじゃないけどさ・・・
なんて考えてたら、すっと温かな空気に包まれた。
次の瞬間には、それに抱え上げられていた。
視界が捉えたのは、自分が今まで座っていた石畳の床ではなく、それよりはるか下の花畑で、慌てて自分を包む空気の層に腕を伸ばしてしがみつく。
「びっ・・・くりした!」
透明人間さんの肩あたりから彼の背に手を回して、抱きついてる状態でとりあえず一息。
でも、そんな私の目に映るのは普段の自分の腰の位置あたりより少し高い位置で浮いてる自分の姿で、しっかりと抱えられ自分も彼にしがみついている状態なのに、いまいち安心しきれない。
花畑の上でちょっと遊ぶのと違い、見えない相手にお姫様抱っこって思った以上に不安定だった。
おんぶと違って、だっこってお尻のあたりから落ちそうな気がするよね。
「もうわかった。充分楽しんだから下ろしてもらっていいかな?」
「まだ充分だと思えないな」
へ?
言うなり彼は、数歩進んだ。
それはやっぱりというか神殿の内部の方ではなく、外の方で。
彼は石畳のぎりぎりで立ち止まった。
私の身体もそれと同時に固まった。
さっきも怖いと思ったけれど、その非ではない。
さっきは視線を逸らせば、二メートルくらい下に石畳や、自分がよじ登った石壁が見えたけれど、今度は違う。
自分の身体の下に視線を落とせば、広がるのははるか下の花畑だ。
・・・怖っ!!
「・・・あの、うん、ありがとう。もう本当充分だから」
「ん? もっとか?」
言うなり彼が体勢を前に倒した。
あっ危なっ!
マジで勘弁だからっ!
温かな空気の層にしっかり包まれているというのに、視覚のせいで全く安全に思えなくて、透明人間さんの身体に更に強くしがみ付いた。
「さっき遊んだ仕返ししてるでしょ!?」
「そんなつもりはないぞ?」
返る言葉に笑いが滲んでいる。
「嘘でしょっ絶対遊んでる!」
「さっきは浮いてると言って喜んでいたじゃないか」
「さっきはさっきだよ! ああもう、本当反省したから、下ろして下さいお願いします」
透明人間さんで遊ぶと、こんな悪戯が返ってくるとは思ってなかった。
彼をからかうのも、程々にしておこうと心から思った時、彼の溜息が耳元をくすぐった。
「・・・嫌だ」
何ですと!?
驚き目を丸くする私だけど、透明人間さんの顔は見えないのだから、彼が何を考えてるのかなんてわかるわけもなく。
こんなに乙女が怖がってるのに、更に嫌がらせかこの野郎。
そう毒づこうとした時、私を包む空気の層、つまり彼の腕に力がこもった。
「・・・もっとこのままでいたい」
いきなりの搾り出すように掠れた声に、また驚いた。
「ずっとお前に触れたいと思っていた・・・だが、どうやって触れていいかわからなかった・・・」
低く艶めいた声が、私の耳から流れ込み私の胸の奥をきゅっと掴む。
彼の恥ずかしすぎる告白に、頬に熱が集まるのを感じた。
自分では見えないけれど、たぶん真っ赤になってるだろう自分の顔を俯け、しどろもどろになりながら口を開く。
「べっ別に、普通にしてくれれば、それで・・・」
「・・・普通に?」
「そ、そうだよ。こんな事しなくても、普通に抱きしめたりとかその、してもいいから」
うああ、何でこんな事いちいち言わなきゃならないんだ。
男なら察しろ。
「そうか」
彼の吐息のような微かな笑いが、また私の耳元をくすぐった。
すっと身体が動いたかと思うと、足が床に下ろされる。
それと同時に、抱きしめられた。
「しても良かったのか」
純粋に、嬉しさが滲んだその声に、思わず苦笑する。
なんとなく、さっき髪に触れた時の、花びらがついていたというのも嘘だったのかもしれないと思えた。
なんていうか、可愛いなぁこの人。
ほっとけない感じ?
先程と違いしっかりと私の頭の形をなぞるように、彼の手が私の頭を撫ぜた。
背中に回った腕も、私の存在を確かめるように、何度も力を込められ、抱きしめられ直す。
私はそれに答えるように彼の背に腕を回し、目の前に広がる温かな空気の層に頬を摺り寄せた。
声だけ聞いてると男の人なのに、この空気のぽよぽよっとした感触がたまらなくて、現実感がないせいで、簡単に恋人のような仕草をしてしまう。
「・・・ずっと、触れていたい。いつでも、こうやって抱きしめたい」
すりっと私がしたのと同じ様に、頭の辺りに温かな空気が摺り寄せられた。
彼の両腕は今私の背中を包んでいる事から、それが彼の頭なのかなと思う。
私は目を閉じて、それに応えるようにその温もりに頬を当て、なんだか、大型犬に懐かれてるみたいだな、なんて思いながら微笑んだ。
「いいよ」
抱きしめる彼の腕に更に力がこもる。
頬や額に温もりを感じながら、心から願った。
彼が私好みの超絶イケメンでありますようにと。
そしたら、ほっとけないだけじゃなくて、一瞬で恋に落ちるのに、と。