彼との記憶
抱き寄せられて、抱きしめ返して、約束を交わした私達。
そうして夢からの目覚めが始まってくれたらよかったのに、案外思い通りにはいかないもので。
抱きしめられている時間が長くなると、ふと、気持ちだけが現実に戻ったりする。
えっと、どうしよう・・・
夢がないと言われるかもしれないけれど、先生に御説教されている最中にこの話し何時に終わるんだろうと思うように、会社で真面目に働きながら今いきなり私が仕事辞めたらどうなるんだろうとふと考えたりというのと同じ感覚。
あとはそうだ、恋人と抱き合ってる最中にやけにさめて早く終わらないかな、と思う感じ。
そんなわけで、私の先程まで盛り上がっていた気持ちが少しずつ落ち着いてきてしまった。
どれだけ抱き合っていたのかわからないけれど、気持ちが落ち着くと、なんだか恥ずかしさが勝ってしまう。
「えと、あの・・・」
体勢を立て直すように身じろぎすると、私を包んでいた温かな空気、透明人間さんの体が少し離れた。
「・・・どうした?」
「なんだか恥ずかしくなってきちゃって」
だって目を閉じていると、腰に響くいい声の男なわけで。
先程までの盛り上がった感情の起伏があるときはそのままでいられたけど、時間を置くとなんだか気恥ずかしいし、いつこの夢から覚めるのかもわからない。
それは自分の体感的にあと10分後なのか、はたまた、1時間後なのか。
それまで、抱き合っているっていうのも、なんだかうん、やっぱり。
恥ずかしいよね。
それに彼、透明人間さんはたまに私の存在が幻じゃないと確かめるように、抱きしめ直していた。
そのたびに、なんだかいたるところが擽ったくって、彼の体が普通の男だったならここまで擽ッたくはなかったのかもしれないが、なんだか落ち着かないというのもある。
そんな事は流石に知られたくないので、私はいぶかしむ空気を放つ彼に言った。
「あのね、私ってこう一面花畑っていうの初めて見るんだ。なので、折角だから遊んでもいいかな?」
視界全部が花畑っていうのは本当にないけれど、ある程度、花の博覧会のような土地へは行った事がある。
でも、大抵そういう場所にはあれがあるんだ。
立ち入り禁止と書かれた看板が。
折角なので、思う存分、この空間を楽しみたいと思った私の提案は、ここで飽きる程過ごして来た彼にはつまらないかもと思えたけれど、彼は興味を持ってくれた。
「遊ぶ・・・とは、どうやって?」
「花畑で遊ぶといったら、花冠を作るのが王道だよ」
言って、嬉々として立ち上がった。
はぐれちゃ駄目だと、透明人間さんがいるあたりに手を伸ばすと、しっかりとその手を温かく握り返してくる彼が可愛く思えて、笑いながら歩き出す。
そのまま、2人で石段を降りて、花畑に腰を下ろした。
「私もシロツメクサっていう花でしか作った事しかないんだけど、たぶん要領は一緒だと思うから・・・」
辺りは名前のわかる花から、全く知らない花まで様々に咲き乱れていた。
どういうふうに根付いているのかは全く不明だが、夢の中だからと考えるのはやめた。
いくつかの茎が長めで、細く柔らかい花を選ぶ。
一つの花の茎にもう一つの花を結んで、更にその二つ花の茎に違う花を結びつける。
それをある程度の長さになるまで繰り返すのだと教えると、私の見てる前で花が空間に浮いて、私の手の中の作りかけの花冠のように、花の茎と茎が結ばれていく。
うーん、手品見てるみたい。
どこかに針金あるんじゃないの?みたいな。
私は自分の考えと、目の前の光景に口元を綻ばせながら、自分の花冠を造り上げていった。
子供の頃、シロツメクサで作った時は、力の入れ具合が苦手で何度も花を落として、途中で作るのを諦めた。
茎ばかりの花冠なんて、花冠じゃないって投げ捨てて、一人で泣きながら怒ったのも、学校が始まり、社会に出て、土に触れる事がなくなり、花は花屋の店先で見るくらいになった今の私には、綺麗な思い出の一つだ。
「出来たっ」
子供の頃の記憶だけだったのに、器用に成長してくれた指先は力加減も思いのままで、自分では立派に出来たと思う。
ふふんっと自画自賛して、透明人間さんの方を見ると、昔の私のように、花よりも茎が目立つ花冠が彼がいる場所で浮いていた。
「ぶっ」
「っ!笑うなっ!」
「だっだって可笑しい・・・!」
あははとお腹を抱えて笑ってしまった私に、彼の手元に落ちていた花々が飛んできた。
それがぼすっと私の顔やら、体に当たる。
花粉が私の鼻をくすぐって、大きくくしゃみをした私に透明人間さんが笑う。
「・・・やったな」
「私を笑ったお前が悪い」
ああそうだね、初心者を笑うなんて子供のやる事だよね。
でも私は、年の割には子供なんだよ。
私はふふふと微笑むと、近くにあった花々をむしり取って彼のいるだろうあたりを目掛けて投げつけた。
見た目は何もない空間だけど、見えない壁にあたって花が落ちるのを見て、彼に直撃していると確信を持った私は、どんどん投げつけた。
「なっ止めろ!」
「えええ?何の事?」
「・・・わかった、お返しだ」
その言葉と同時に、たくさんの花が空を舞った。
姿が見えないだけに、一種異様な空間が目の前に広がる。
本当、手品みたい。
ある意味、ポルターガイスト?
そんな事を思ってる間に、私目掛けてその花々が襲ってきた。
ひいいっちょっと怖い!
「ちょっ量多すぎだよっずるいっ」
「何の事だ?」
先程の私のように、笑いを滲ませた彼の言葉に、私も負けじと花を投げ返し、ひとしきり2人で騒ぎあった。
「ちょっと休憩」
散々騒いで、息の上がった私はごろんと仰向けに転がった。
花で雪合戦だなんて、なんて贅沢な夢なんだろう。
ある意味乙女ちっくな夢だなって笑い、呼吸を整える。
目を閉じて大きく息を吸い込んだ私の頬に、その時、ふわりと何かが掠めた。
そっと目を開けると、ひらひらと花びらが空から舞い降りてくる。
「綺麗・・・」
まるで雪のように、色とりどりの花びらが、ゆっくりと私の上に舞い降りる。
きっと、透明人間さんがやってくれているのだろう。
姿の見えない彼の、女心をときめかせるその行動に、私は心の中がくすぐったいような嬉しさを感じながらゆっくりと身を起こした。
「あのね、近くに来てもらってもいいかな」
「何だ?」
呼ぶと、そっと私の頬を温かな空気の層が包む。
彼の手だ。
私はそれを追って、彼の腕をつたい、頭の位置を確かめると、そこに自分の作った花冠を乗せた。
「今のお礼」
らしくない事をしてしまったと、思わず照れ笑いになる私の耳に、彼が息を呑むのが聞こえた。
私の頬に触れたままの空気の層が一瞬震える。
彼の表情が見えないので、黙られると何を考えているのかさっぱりわからないのが残念だ。
嬉しく思ってくれたらいいなぁと思う。
「・・・約束は、もう」
掠れるような彼の声が聞こえた。
どうしたんだろうと目を瞬かせた私の、もう一方の頬にも温もりが触れた。
「始まっているのかもな・・・」
何の事?
そう、問いかけようとした私の唇に、両頬を包んでいるのと同じような、それでいてもっと柔らかく感じる温もりが、軽く触れた。
「・・・目を閉じて欲しい」
何故?と思ったけれど、その声がやけに掠れて、優しく熱を伝えてきたので。
私は素直に目を閉じた。
なんとなく、その意味を理解しながら、でもそれは全然嫌じゃなくて。
先程よりも強く押し付けられた温もり。
それが、私の覚えてる、最後の透明人間さんとの記憶。




