第10話「発情の予兆とクローゼットの秘密」
雨の日の一件以来、僕の体調は何かがおかしいままだった。
普段なら我慢できる些細なこと――例えば、アレクセイ殿下が近づいてきた時の匂いや、肌が触れ合った時の静電気――に、過剰に反応してしまうのだ。
そして、無性に「何か」を作りたい衝動に駆られる。
ただの快適な空間ではない。
もっと閉鎖的で、誰かを招き入れるための、特別な……。
「……巣ごもり、か?」
僕は保健室のベッドで、天井を見つめてつぶやいた。
オメガには、発情期の前に、番を迎えるための完璧な巣を作る本能があるという。
まさか、もうその時期が来たのか?
まだ薬で抑制できるはずなのに。
「ルカ、入るぞ」
ノックと共に、アレクセイ殿下が入ってきた。
手には果物カゴと、なぜか大量の羽毛枕を持っている。
「お見舞いだ。……あと、お前の匂いが足りなくて眠れないから、補充しに来た」
彼は僕のベッドの脇に椅子を引き寄せ、座った。
「顔色が悪いな。熱はあるのか?」
彼の手が僕の額に触れる。
ひんやりとして気持ちいい。
その瞬間、僕の中で何かが弾けた。
もっと触れてほしい。
この手を離したくない。
この人を、僕のテリトリーに引きずり込みたい。
「……でん、か……」
「ん? どうした」
「……狭いところが、いいです」
「は?」
「ここじゃなくて……もっと、狭くて暗いところ……」
僕はふらふらと起き上がり、アレクセイ殿下の手を引いた。
向かった先は、保健室の奥にあるリネン室だ。
シーツやタオルが収納されているウォークインクローゼットのような場所。
僕はその中に入り込み、棚からタオルを落とし、床に積み上げた。
そして、アレクセイ殿下を中に引き入れる。
「ルカ? お前、様子がおかしいぞ」
彼は戸惑いながらも、僕に従って狭い空間に入ってきた。
僕は扉を閉め、鍵をかけた。
暗闇の中、二人きり。
周囲はリネンの匂いと、彼の匂いで満たされている。
「殿下……ここに、いてください」
僕は彼に抱きついた。
理性よりも本能が勝っていた。
彼の胸に顔を埋め、深く息を吸い込む。
「……っ、ルカ」
アレクセイ殿下の体が強張る。
「お前、甘い匂いが……」
アルファである彼には、僕の状態が手に取るようにわかるはずだ。
これは誘惑だ。
僕から彼を誘っている。
「……後悔するぞ」
彼の声が低く、熱を帯びる。
「お前がそう望むなら、俺はもう止まらない」
暗闇の中で、彼の瞳が青く光ったように見えた。
彼の手が僕の背中を撫で、シャツの中に滑り込んでくる。
熱い掌。
「……アレク……」
初めて名前を呼んだ。
その瞬間、彼の理性の糸が切れる音が聞こえた気がした。
彼は僕をタオルの山に押し倒し、貪るようなキスを落とした。
狭いクローゼットの中、僕が作った「求愛の巣」で、僕たちは一線を越える手前の、濃厚な時間を過ごすことになった。
それは、僕がモブを卒業し、彼の「番」への道を歩み始めた決定的な瞬間だった。




