9話
◇
書斎を出たウェンディは、真っ直ぐ自分の部屋に戻っていた。
(お父様が言っていた、模擬戦……。模擬戦、ね……)
模擬戦の事を考え、ウェンディは小さく笑う。
先日、フォスターが壊したあの硝子で作られた薔薇。
模擬戦で己の主人のために戦った騎士が、これからも主人のために傍に。
その想いを魔力に込め、薔薇に魔法をかけるのだ。
そして、それを模擬戦が終わった後に専属護衛騎士は自分の主人に手渡す。
だが、その硝子の薔薇は既に先日フォスター自ら壊してしまっている。
ウェンディは、自分の護衛騎士から硝子の薔薇を贈られる事は無いのだ。
それが、どれだけ惨めで。恥ずかしく、悲しい事か。
しかも、模擬戦の観覧席はかなりの観客が入るのだ。
大勢の観客の前で、主人のために戦った護衛騎士が主人に硝子の薔薇を手渡す光景は、とても感動的で、人々の歓声を誘う。
国で一番力がある専属護衛騎士は、フォスターだ。
だから彼の模擬戦の観客はとても多いし、彼が薔薇を主人に渡す場面は注目される。
「今年は、私はフォスターから薔薇を貰わない……。だけどもう、それもどうだって良いわ」
専属護衛の契約を解除してもらうのだから。
「お父様は祭典が終わるまでお忙しそうだから、今日の夜、祭典が終わって邸に戻ってきたらお話しよう。きっとフォスターも大喜び、よね」
そして、今度はエルローディアと護衛契約を結ぶつもりだろう、とウェンディは考える。
「……専属護衛騎士の契約って、本当になんなの」
やるせなさに、ウェンディは小さく零した。
自室に戻り、支度が終わったウェンディは、侯爵から呼ばれるのを待っていた。
暫く自室で大人しく過ごしていたウェンディに、侯爵から呼ばれ、ウェンディは邸の玄関に向かった。
すると、そこには既にウェンディ以外の家族が全員揃っており、エルローディアの横には当然のようにフォスターの姿がある。
ウェンディはそちらには一切顔を向けず、侯爵に向かって頭を下げた。
「お待たせいたしました」
「……揃ったな。向かうぞ」
侯爵の言葉に、皆がぞろぞろと歩き出す。
馬車に乗る際、ウェンディは御者に手を貸してもらい、乗り込む。
エルローディアには勿論、フォスターがぴったりと寄り添っているので、フォスターが手を貸していた。
今までだったら、そんな光景を目にする度に胸が痛んだウェンディだったが、不思議と今はもう心に漣さえ立たない。
穏やかで、驚くほどに落ち着いている。
(変ね……あれだけ、フォスターの事が好きだったのに……。まだ、引きずると思ったのに……もう、諦めの方が強いんだわ、きっと)
エルローディアは口角を持ち上げたまま、ちらりとウェンディを見やった。
だが、当の本人ウェンディはエルローディアとフォスターには一瞥もくれておらず、馬車の窓から無表情で外を見ていた。
「……つまらないわね」
「エルローディア様? 何か仰いましたか?」
「いいえ、何でもないのフォスター。手を貸してくれてありがとう」
「い、いえとんでもございません」
エルローディアは、艶っぽい笑みを浮かべると、隣に腰掛けたフォスターの腕に抱きつく。
腕を組む形で自身の豊満な胸をフォスターに押し付けつつ、ウェンディを嘲笑うかのように再び彼女に視線を向けた。
だけど、ウェンディはちっとも興味がなさそうで。
ただただ馬車の窓から見える景色を見つめていた。
祭典最終日、模擬戦が行われる会場は、多くの人で賑わっていた。
一般の国民とはゲートが違い、観覧席も分けられている。
ウェンディは、先を進む家族を必死になって追った。
身長の低いウェンディは、下手をすれば沢山の人に埋もれてしまう。
こんな時はいつもフォスターが隣で壁役になってくれていたのだが、今の彼はもうエルローディアに夢中で、彼女しか見えていない。
ちょこちょこと小走りで何とか着いて行ったウェンディの視界に、大きな模擬戦場と、広い観覧席が現れる。
四年前も、ウェンディはその観覧席に座った。
そこで、模擬戦を勝ち抜いたフォスターが観覧席に座るウェンディを呼び、ウェンディは模擬戦場に降りて、大勢の観客の前で跪いたフォスターから硝子の薔薇を贈られたのだ。
それが最早遠い昔のように思えてしまって、ウェンディは何だかおかしく感じた。
「ウェンディ、何をぼさっとしてる。早く来なさい」
「すみません、すぐに向かいます」
侯爵に急かされたウェンディは、急いで皆の後を追った。
模擬戦が始まる前。
エルローディアをエスコートし、模擬戦が始まる時間いっぱいまで観客席にいたフォスターだったが、そろそろ時間だ、と席から腰を上げた。
「ホプリエル侯爵、侯爵夫人。エルローディア様。それでは行ってまいります」
「ああ、しっかりな」
「怪我だけはしないようになさい」
「無事を祈ってるわ、そして、私のために勝ってねフォスター」
「任せてください、エルローディア様」
ホプリエル侯爵家が、そんな会話をしている様子は、周囲の観客席に座る貴族達にも伝わる。
周囲の貴族は、皆ウェンディをちらちらと見やり、まるで小馬鹿にするように、嘲笑うかのように、時折憐憫の視線を向けるが、当の本人ウェンディは家族のそんな言葉など気にせず、観客席をきょろきょろと見回していた。
(ヴァン……。今日も、やっぱりヴァンの姿がどこにも、ない……。でも、ハーツラビュル伯爵家の方達はいらっしゃるわ……。後でヴァンの事を聞きに行こう……)
ウェンディが、自身の事など気にもとめず、誰かを探すようにきょろきょろと観客席を見回す姿を見たフォスターは、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
(まがりなりにも、俺はまだウェンディ様の専属護衛騎士だと言うのに……。俺に何の言葉もかけないつもりか!? 後悔するなよ!)
フォスターは怒りで拳を握りしめたが、それを表情に出さぬよう必死に抑えると、ウェンディを除く全員に頭を下げてから模擬戦場へと向かった。
そこでようやくウェンディを思い出したかのように、エルローディアはウェンディに顔を向けた。
「ごめんなさい、お義姉様。フォスターったら、お義姉様の専属護衛騎士なのに……お義姉様から言葉を貰わず行ってしまったわ……」
「いいわ、気にしてないから」
それより、とウェンディはすぐにエルローディアから視線を逸らし、再びヴァンの姿を探す。
そんなウェンディの態度にむっとしたエルローディアは、何か言ってやろうと思ったが、この先に起こるであろう出来事を思い、ほくそ笑んだ。
(何も知らないお義姉様。そうやって強がっているがいいわ。大勢の人の前で……国中の貴族の前で、取り返しのつかない恥を晒せばいい。ええ、ええ……そうなるのだから、これくらいの無礼など、許して差し上げるわ)
エルローディアは、くすくすと笑い声を零し、ゆったりと観覧席に座り直す。
眼下では、複数の専属護衛騎士達が模擬戦場に降り、それぞれ戦いに備えて支度をしている。
フォスターも例に漏れず、腰に下げた訓練用の長剣を確認しつつ、他の護衛騎士に話しかけられ、それに応えている。
まもなく、模擬戦が始まる。
時刻が近付くにつれ、観客が増え、観覧席も埋まる。
一般の国民の観覧席では、立ち見席も出ているようで、今年の模擬戦は過去一番の盛り上がりを見せるだろう、と誰もが期待した。




