8話
ウェンディは地下室の扉に背を預けたまま、はらはらと涙を流し続けていた。
「フォスターへの気持ちも、全部流れて消えてしまえばいいのに」
ぽたぽたと次々と涙が地面に落ち、黒い染みを作って行く。
過去の自分を呪いたい、と言っていた。
ウェンディを好きになった事が、汚点だとも言われた。
「こんな、酷い事って無いわ……」
ウェンディはしゃくりあげながらフォスターへの気持ちを吐露する。
「フォスターが、好きだって言ってくれたのにっ! 専属護衛にして欲しいって、言ったのにっ!」
そして。
「将来、一緒になりたいって……っ言ってくれたのにっ」
それなのにあんまりだ、とウェンディは悲痛な叫びを上げる。
フォスターの優しさや、愛おしげに見つめてくれた目。
魔法の鍛錬を一緒にした日々。
切磋琢磨して、過ごした日々がウェンディの頭の中に思い出されては、消えて行く。
「──っ、嫌いっ、フォスターなんて……っ、嫌いよ……っ」
本当はまだ、嫌いにはなり切れていない。
だって、随分長い間好きだったのだ。
そして、魔力が落ち始めてから冷たくされても。
心のどこかではまだ、フォスターの事をウェンディは信じていた。
だけど、今日ここまで言われてしまってはもう無理だ。
それに、フォスターは既に義妹のエルローディアと恋人のような関係になっているらしい。
「これ以上、フォスターと専属契約を続けるのは……無理。お父様は、祭典の最終日に出してくれるって言ってた……。出してもらったら、専属契約の解除を願い出よう……」
お互い信頼し合い、認め合い、思い合う専属契約の誓いなんて、すでにもう破綻している。
「フォスターの顔を、見続けるのはもう無理だわ……っ」
ウェンディは、抱えた膝に顔を埋める。
──この地下室にいる間に、フォスターへの気持ちも、信頼も、愛情も。
──全部綺麗に整理しよう。
ウェンディは、そう心に誓った。
それからの地下室での謹慎は、じめじめした空気と薄暗い気味の悪さを除けば、度々侯爵家の使用人がウェンディの様子を確認しに来るし、一日三食の食事はしっかりと運ばれるし、それ程酷い処遇ではなかった。
だけど、ウェンディの専属となっているメイドのナミアは侯爵に寄越さないよう言いつけられているのだろう。
ナミアがウェンディの下に来る事は一度も無かった。
それに、ヴァンも、ウェンディの下に来る事は一度も無かった。
祭典の、最終日。
朝早くから地下室に迎えに来た使用人によって、ウェンディは起こされた。
「お嬢様、旦那様がお呼びですのでお支度をしましょう」
「……分かったわ」
むくり、と些か粗末なベッドから起き上がったウェンディは、こしこしと自分の目元を擦りながら迎えに来たメイドに答える。
ウェンディを見たメイドは、一瞬首を傾げたが、自分の気のせいだろうと済ませてウェンディを連れて階上に戻る。
地下室では簡素なお風呂にしか入れなかったため、とりあえず先に湯浴みをするらしい。
ウェンディは自分の部屋に戻るなり、すぐさま使用人にバスルームに押し込まれ、そこで目に涙をいっぱい溜めて待ってくれていたナミアと顔を合わせた。
「──ナミア!」
「お嬢様、お嬢様良くご無事で……っ、旦那様はとても酷な事をお嬢様にっ」
「いいのよ、いいのナミア。もう全部、いいの」
ウェンディの吹っ切れたような顔を見て、ナミアも先程のメイドのように微かな違和感を覚えて首を傾げる。
だが、侯爵に連れてこい、と言われた時間に遅れてしまう訳にはいかない。
ナミアは微かな違和感には一先ず横に置いて、ウェンディの湯浴みと支度に急いで取り掛かった。
湯浴みを済ませ、支度を終えたウェンディ。
数日ぶりに髪を綺麗に整え、湯浴み後だからだろうか、ウェンディの肌や頬は赤く染まり、髪の毛も艶々と輝いていて、絵本の中に出てくる可愛らしい妖精のようだ。
ナミアは満足そうにウェンディを見つめ、何度も頷く。
「準備が終わりました、お嬢様。本当に妖精のようですわ」
「あ、ありがとうナミア。でも大袈裟よ……」
くすくす、と笑うウェンディを見て、ナミアは今までのウェンディと少し違うように感じた。
それは、ウェンディが既にフォスターへの気持ちも全て整理して吹っ切っているからだが、ウェンディはそれを誰にも伝えていないため、違和感を覚えさせている。
「お嬢様、それでは参りましょうか」
「ええ、お父様がお待ちなのよね……」
ウェンディは丸二日ぶりとなる自分の父親に会いに、書斎へと向かった──。
「お父様、ウェンディです」
「──入れ」
ウェンディが声をかけると、すぐに侯爵の声が返る。
書斎の扉を開け、中に入ったウェンディはちらりと室内を確認する。
そこには、自分の父親であるホプリエル侯爵と、何故かフォスターの姿があった。
フォスターはウェンディが入ってきた扉付近の壁に背を預け、どこか薄笑い混じりにウェンディを見ていた。
だが、ウェンディはフォスターの方へ顔を向ける事なく、また、彼について触れる事もせず、侯爵に向き直った。
「お呼びでしょうか」
「……ああ。今日行われる祭典最終日の観覧についてだ」
「何でしょうか」
侯爵も、フォスターも。
地下室に入れられてしまう前のウェンディと、僅かばかり様子が違うように見えて、侯爵は不思議そうに微かに片眉を上げた。
フォスターに至っては、今までであればウェンディに話しかけられるのが常だった。
嬉しそうに笑いかけられ、名前を呼ばれていたのに、今はウェンディがフォスターの姿に気付いていないような、全くの無反応。
フォスターは自分の存在が無視された、と思い、ウェンディを睨んだ。
(何だ、この女……生意気な)
地下室に閉じ込められてとうとう気でも狂ったのか、とフォスターが失礼な事を考えている間も、ウェンディと侯爵の話は続く。
「分かっているだろうが、最終日は専属護衛騎士の模擬戦がある。最終日の目玉競技だ。フォスターも出場するのは分かっているな?」
「──はい、存じております」
「フォスターの主人であるお前も、観覧席で己の騎士の活躍を見守る必要がある。だから、地下から出してやった。その事を忘れるな、勘違いするな」
「肝に銘じます」
「……ならば、いい。時間になったら呼ぶ。それまで部屋で支度を」
「かしこまりました、お父様。それでは失礼いたします」
ウェンディは侯爵に頭を下げ、くるりと振り返る。
その際、壁に背を預け不遜な態度でウェンディを見下ろすフォスターの姿が視界に入った。
だけど、ウェンディはフォスターには一度も目を向けず、そのまま彼を素通りして部屋を退出した。
「──は?」
まるで自分の事など見えていない、と言うようなウェンディの態度に、フォスターはついつい呆気に取られた声を上げてしまう。
四年前──。
前回の祭典最終日は、ウェンディが想いを込めて手作りしたアクセサリーを渡された。
そして、心配そうな顔でフォスターに声をかけたのだ。
「間違っても、怪我だけはしないで。でも、フォスターには勝って欲しい」と可愛らしいお願いを口にした。
それなのに。
(今年は、この俺を素通りだと……!? いい度胸だ、あの女……!)
びきびき、とフォスターのこめかみに青筋が浮かぶ。
今すぐにでも追いかけて、文句を言ってやろうか──。
そう考えていたフォスターに、侯爵から声がかかった。
「フォスター、何をしている。お前も出場の準備をしなさい」
「──っ、は! かしこまりました」
怪訝そうな侯爵に、フォスターは深々と頭を下げて、退出の挨拶を口にしてから部屋の外に出た。
もしかしたらウェンディが出てくるのを待っているのかも、と薄っすら思っていたフォスターは、やはり廊下にもウェンディの姿が見当たらず、怒りを覚えて拳を握りしめた。
「フォスター? 何をぼうっと立っているの?」
「──っ、エルローディア様!」
フォスターの背後から、色気をふんだんに含んだ甘い声がかかる。
フォスターはぱっと振り向くと、エルローディアに駆け寄った。
「どうなさったのですか? どうしてここに?」
「ふふ……模擬戦に参加する私の騎士様に頑張って頂きたくて」
「まさか、励ましの言葉をいただけるのですか?」
エルローディアの艶のある唇がにっこりと笑みを浮かべる。
「ええ、そう。頑張ってね、私の騎士様」
エルローディアは、フォスターに向かって背伸びをする。
慣れたようにフォスターもエルローディアの腰に自分の手を回し、引き寄せた。
「ありがとうございます、エルローディア様」
「ふふふ」
二人以外誰もいない廊下で、フォスターとエルローディアは何度もキスをした。




