39話
ウェンディとヴァンは、邸内を走る。
不思議な事に、邸内は静まり返っていて、使用人の一人も見かけない。
「どうして、誰も居ないんだ!?」
「ヴァン! あっちから人の気配を感じる! あっちは、確か──」
ウェンディの指差す方向を見たヴァンは、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
「ああ、鍛錬場の方向だ……! そこに人が集められているのか!?」
進むにつれて、ヴァンにもはっきりと人の気配が感じられるようになってきた。
沢山の人の気配を、鍛錬場の方向から感じるのだ。
ウェンディとヴァンは、鍛錬場に向かって走る速度を上げた。
◇
鍛錬場に辿り着いた二人は、信じられない光景を目にした。
「──父上! 兄上!」
たまらずヴァンは叫ぶと、床に膝を着き、苦しげに息をする自分の父親と兄に向かって駆け寄った。
鍛錬場に到着したウェンディは、目の前の光景に怒りや失望、その他の様々な感情が入り乱れて。
くらり、と目眩を感じた。
ヴァンの声に反応したのだろう。
鍛錬場に居た二人の夫婦が入口に目を向けて、そしてぱっと表情を輝かせた。
「──ウェンディ!」
「ああっ! 私の可愛い娘よ、やっと会えたわ!」
どうして、二人がここにいるのか。
それに、籍を抜いたと言うのに、どうして自分の事を「娘」と呼ぶのか──。
ウェンディは、かつての父と母を信じられない思いで見つめ、口を開いた。
「どうしてここにホプリエル侯爵と、侯爵夫人が……? ハーツラビュル伯爵と、イアン卿に一体何をしたのですか!?」
ウェンディは硬く拳を握りしめる。
段々とその握りしめる力は強まり、拳がぷるぷると震えた。
「何をそんなに怒っている。こいつらがウェンディを誘拐したからな。制裁を加えたまでだ」
「さあ、私たちの邸に帰りましょう可愛いウェンディ」
自分勝手で、傲慢で。
簡単に嘘をついて、人を傷付ける──。
ウェンディの頭の中で、ヒュフーストの言葉が蘇る。
人間の醜い部分が、全て目の前のこの二人の両親に当てはまると思った。
ウェンディはちらり、とハーツラビュル伯爵とイアンの方へ視線を向ける。
二人は、傷付き血を流しているが、傷は深くは無さそうだった。
それに、この邸で働いている使用人達も、自分の主を守ろうと奮闘した形跡が見える。
使用人達の方が、怪我の程度が酷そうに見えた。
自分自身に、傷を癒す力があれば──。
そんな凄い魔法が使えればいいのに──。
ウェンディは頭の中で呟くが、使えない物は仕方ない。
これ以上、彼らに手を出させないためにも、両親にはお帰り頂こうとウェンディはかつては愛していた、慕っていた、そして愛を乞うた両親を強く睨み付けた。
「私は、あなた方と一緒に帰りません! あなた方が私をホプリエル侯爵家の籍から抜いて下さった事、本当に感謝しております!」
「──何だと?」
ぴくり、と侯爵の眉が不快感を顕に顰められる。
今までのウェンディであれば、これ以上怒らせたくない、だとか。
嫌われたくない、だとか。
愛を求めて、すぐに謝っていた。
だけど、彼らはウェンディを娘として本当に愛してくれているのではない、と今さら気づいたのだ。
ホプリエル侯爵家にとって、都合の良い「娘」だけが彼らに道具として「愛される」のだ。
ウェンディはかつての両親を睨み付け、叫んだ。
「私は、ただのウェンディです! あなた達とはなんの関係もない、ただのウェンディ! これ以上、私の大切な人達に酷い事をするなら、私は絶対にあなた達を許さない! 怪我をする覚悟をしてください!」
ウェンディの言葉を受け、侯爵の眉が愉快感を顕にぴくり、と動いた。
「なるほど……力を取り戻して調子に乗ってしまったのだな……」
「ええ、あなた。これはしっかりと躾直さなければなりません」
「ウェンディの顔だけは傷を付けるなよ。あれの価値が下がる」
「当然ですわ! ウェンディには沢山の縁談の申し込みがございますもの。傷物になって価値を下げては勿体ない!」
侯爵と侯爵夫人。二人の会話が静かな鍛錬場に響き、ウェンディは二人を注意深く見やる。
二人は、魔法の能力は中々だ。
どうしてこんな人達が、魔法の能力が高いのか分からないが、血筋も関係しているかもしれない。
両親の魔法能力が高いため、ウェンディ自身も能力が高い可能性がある。
二人の行動を注意深く観察して、魔法攻撃に備えていたウェンディの隣に、誰ががすっと並び立った。
「ウェンディ。大丈夫だ、ウェンディも、ウェンディが大切だと言ってくれた人達も。俺が絶対に守るから」
「──ヴァン!」
ウェンディの隣には、怒りを浮かべたヴァンが並び立つ。
ウェンディは先程まで一人で大丈夫か、皆を守れるだろうか、と不安だった心が一瞬でふわり、と軽くなった。
ヴァンが隣に居てくれるだけで、こんなにも頼もしい。
ウェンディがヴァンに声をかけようとしたが、その前に侯爵が口汚くヴァンの事を罵った。
「──このっ、うちの娘を攫った暴漢め……! お前がウェンディを連れ出したせいで、ウェンディが私たちに逆らうようになってしまった!」
「本当だわ! このような暴漢を、可愛い娘の傍には置いておけない! 専属護衛騎士契約を破棄させてやる!」
侯爵と侯爵夫人は高らかに叫ぶと、ウェンディとヴァンに向かって攻撃魔法を放つ。
可愛い娘、と言っておきつつ、放たれた魔法は強力な魔法。
まともに食らってしまえば、大怪我をしてしまうだろうと言うくらいの威力を持った魔法だ。
実の娘に対して、情け容赦ない攻撃を繰り出したウェンディの両親に対して、ヴァンは悔しくて奥歯を噛み締めた。
だが、ヴァンは落ち着いて二人の攻撃魔法を防ぐために魔法を発動する。
「──氷の壁よ!」
ヴァンがそう叫ぶなり、ウェンディとヴァン、二人の目の前に巨大な氷の壁が出現し、侯爵と侯爵夫妻の魔法をあっさりと防ぐ。
あっさり自分達の魔法を防がれた二人は、驚愕に目を見開いたがその間にヴァンが壁から飛び出し、一直線に侯爵へ向かって駆ける。
ヴァンは自分の長剣に魔法を付加し、ウェンディは侯爵夫人、自分の母親に向かって拘束魔法を発動する。
「──蔦よ、縛れ!!」
「侯爵! 大人しく倒れてください!」
ウェンディとヴァン、二人の声が鍛錬場に響き、ウェンディの魔法は侯爵夫人に向かって物凄い速度で進む。
そして、雷魔法を付加したヴァンの長剣が侯爵の腕を斬り裂く。
「──ふぐうぅっ!」
「──ぐぁっ!」
ウェンディの蔦の魔法は、侯爵夫人をあっという間に捉え、体の自由を奪い、声を出せないよう、鼻を残して顔まで蔦が覆う。
そして、ヴァンに腕を斬り付けられた侯爵は、雷魔法に感電し、全身を痙攣させながら床に倒れ伏す。
あまりにも、鮮やかに。
そして圧倒的に一瞬で勝負が着いてしまった事に、侯爵も侯爵夫人も信じられない様子で硬直した。
ビリビリと体中を走る雷の刺激に奥歯を噛んで耐えつつ、侯爵は唖然と離れた場所に立っているウェンディを見上げる。
どうして、ここまで力の差が──。
侯爵は信じられないと言うようにウェンディを凝視した。
すると、ウェンディの背後からゆったりとした足取りで鍛錬場に入ってくる見慣れない男の姿を見た。
その男が、ウェンディに何かを呟き、ウェンディもヴァンもその男に礼を告げているのが見える──。
そして、その男の背後には、無様な姿で拘束されたフォスターとエルローディアの姿が見えた。
長い距離を引き摺られて来たのだろう。
フォスターも、エルローディアも、みるからにぼろぼろでみすぼらしい姿に変貌してしまっていた。
そして、その男が何か魔法を発動した──。
そこまでは分かったが、侯爵はとうとう体の痛みに耐え切る事が出来ず、そこで意識を手放した。




