32話
◇◆◇
場所は変わり、ウェンディとナミアが乗る馬車の中──。
「お嬢様、ここから暫く馬車を走らせるとヴァン様が仰っていました。お腹は減っておりませんか? 小休憩までは時間がありますので、何かお腹に入れませんか?」
「そうね、確かに少しお腹が減っているかしら。ナミアも一緒に食べましょう?」
「ありがとうございます、お嬢様」
ナミアは持参していた荷物の中から保温ポットとバスケットを取り出し、食事の準備を始める。
保温ポットから温かいスープをお椀に注ぐ。
「お嬢様、まだ熱いので飲まれる際はお気を付けて」
「ありがとう、ナミア。ナミアも私の事は気にせず飲んでね?」
「はい、お嬢様。ありがとうございます」
ナミアが用意してくれたスープに口をつけてほっと一息ついていると、他の食事を用意していたナミアがふと口を開いた。
「そう言えばお嬢様。ハーツラビュル伯爵様は、アヌジュの森に契約魔法に精通した方がおられると?」
「ええ、そうなの。伯爵が仰るには、そうらしいのだけど……。アヌジュの森って、私そんなに詳しくなくて」
「そうです、ね……。私もあまりあちらの地域には明るくありませんね……。森の中に住居を構えているのでしょうか?」
「そうなる、わよね? どんな方なのか分からないけど、お会いしてお話を聞ければいいのだけど……」
ウェンディも、ナミアも。
アヌジュの森に契約魔法に詳しい大賢者が居る、と言われていたのが数百年前の事だとは知らない。
だが、その事実を知らない二人はその人物について想像を膨らませ、会話を楽しんだ。
スープを飲み終わり、軽くお腹に食べ物を入れ終わえたウェンディは、ナミアに小さなバスケットにクラッカーを用意してもらい、御者台に座るヴァンに声をかけた。
「ヴァン、ナミアがクラッカーを用意してくれたんだけど、食べられるかしら?」
「ウェンディ? それは助かる。このまま貰うよ。窓から手渡してもらってもいいか?」
御者台の真後ろの窓から声をかけていたウェンディに向かって、ヴァンが手を伸ばす。
だがウェンディはヴァンの伸ばされた手に小さなバスケットを乗せる事はなく、窓から御者台に移った。
「ウェンディ!? 馬車が走っているのに危ないだろう!?」
突然自分の横に移動してきたウェンディに、ヴァンはギョッとして叫ぶ。
「もし馬車が大きく揺れていたら、ウェンディが振り落とされていたかもしれない……! 頼むから危険な事はしないでくれ」
「ごめんさい、ヴァン。だけど、ヴァンの隣で話したくて」
「──そんな嬉しい事を言われたら怒れないじゃないか……」
「ふふ、ごめんなさい。今後は気を付けるわ、ヴァン」
「ああ、そうしてくれ」
怒った表情のヴァンに、ウェンディは苦笑いを浮かべつつ小さなバスケットを差し出す。
ヴァンは手網から片手を離すと、馬車の速度を少し落としつつクラッカーを手にして口に運ぶ。
「そう言えばね、ヴァン。さっき馬車の中でナミアと話してたんだけど、アヌジュの森がある地域の事をあまり知らないなって思って。ヴァンはこの地域の事って知ってる?」
「アヌジュの森があるのって確か……未開の地だと言われているタール地方だよな?」
「ええ、そうなの」
「タール地方に関する文献は騎士隊でも殆ど見た事が無いな……。今思えば、不思議なくらいあの地域については何の資料も無い……」
「そうなの……?」
「ああ。騎士隊でも、あの地域の詳細地図は見た事が無い……。一般隊員が閲覧不可能な場所に保管されている書庫には……確かあの地域の詳細が記載された地図は、……あったような気がする」
「……何か意図的に隠したいのかしら?」
「だが、あの部分は未開の地だぞ? 何を隠したいって言うんだ?」
二人は暫くうんうんと頭を悩まし、考え続けたが、その答えには辿り着く事はできずに時間だけが過ぎていった。
◇
馬車で移動する事、三日程。
風魔法で馬車の速度を上げていたため、予定より一日程時間を短縮して、アヌジュの森があるタール地方に入った。
タール地方は未開の地のため、今まで通って来た道のように舗装されている訳ではない。
舗装されていない道は馬車の足を緩めて進み、舗装されていて、なだらかな道は馬車の速度を上げる。
そんな事を繰り返し、アヌジュの森まであともう少し、と言う所まで来た時──。
ウェンディとヴァンは御者台で話をしていたのだが、背後から聞こえて来た叫び声に反応し、馬車を止めた。
人間の叫び声が辺りに響き、バサバサと鳥が飛び立つ。
「お、お嬢様……今の声って……」
御者台真後ろの窓を開け、不安気な顔でナミアがウェンディに話しかける。
ウェンディは真剣な表情で背後を凝視し、隣に座るヴァンは自身の腰に刺した長剣の柄に手を添えていた。
ナミアに、ウェンディは答える。
「ええ……。今の叫び声はフォスターとエルローディアの声みたいね……。私たちをつけていたのね」
「ウェンディ。今の叫び声……賊か、獣に襲われたのかもしれない」
「ええ、そうみたい。……流石に見捨てる訳には行かないわね。少し戻りましょう」
ウェンディの言葉に頷いたヴァンは、近場で馬車の方向転換が出来る場所を見つけるとそこで方向転換し、馬車の速度を上げて叫び声が聞こえた方向へ向かった。
◇◆◇
「くそっ! あっちに行け!」
「いやっ、数が多過ぎるわフォスター! 早くどうにかしてちょうだいよ!」
ウェンディ達を追っていたフォスターとエルローディア。
エルローディアは途中で馬車からフォスターの乗る馬に乗り換えていた。
馬車の速度を魔法で上げていたウェンディ達に追い付くには、エルローディアも同じように風魔法で対応しなければならない。
だが、エルローディアにはウェンディが発動した風魔法のような強い魔法は使えない。
そのため、見失ってしまう事を避けるためにフォスターの馬に移ったのだが──。
「最悪だわ! こんな事なら、馬車からフォスターの馬に移らなければ良かった! 早く蹴散らしてよフォスター!」
「そう言われても……! やつら、ちょこまかとっ、動きが早くて、魔法が命中しない!!」
フォスターとエルローディアの乗る馬を、複数の狼が囲み、襲っていたのだ。
フォスターも、エルローディアも攻撃魔法を狼に放つが、動きが素早く魔法が当たらない。
複数の狼に囲まれ、吠えられ、攻撃をされ続けている状況に、フォスターの馬も先程から怯えている。
フォスターは馬を宥める事に気を取られ、先程から狼への攻撃はエルローディアのみになってしまっている。
エルローディア一人では、全ての狼に対処などできず、限界はすぐに訪れた。
狼の数は全部で七匹。
その内の一匹が、フォスターやエルローディアの視界から外れた隙に、狼が馬の足に噛み付いた。
瞬間──。
馬は大きな嘶きを上げ、立ち上がってしまう。
「──うわっ」
「きゃああ!!」
フォスターとエルローディア二人は、相当な高さから落馬して、地面に倒れ込む。
地面に倒れ込んだ拍子に、フォスターは強かに胸を打ち付け、咳き込んだ。
エルローディアは運良く馬のお尻側から落馬し、そこまで高低差が無かったため、フォスターほど、体に痛みを伴う事は無かった。
落下した衝撃で、一瞬息に詰まったエルローディアだったが、自分達に近付く狼に気付き、ひゅっと息を飲んだ。
「フォ、フォスター! あなた、この国随一の騎士だと豪語していたじゃない……っ、早く戦って、こいつらを皆殺しにしなさいよ!」
「──はっ、ぅぐっ」
ゆっくりと警戒しつつ近付いてくる狼に、エルローディアは顔を真っ青にする。
自分達が乗ってきた馬は、さきほど狼に噛まれてしまったせいで逃げ出しており、今はもう視界のどこにも馬の姿は見当たらない。
「ほ、炎よっ!」
エルローディアは恐怖に泣き出してしまいそうになりつつ、攻撃魔法を放つ。
だが、エルローディアの手から放たれた炎の攻撃魔法は、動きの素早い狼には簡単に避けられてしまい、当たらない。
狼は、自分達に害を成すフォスターとエルローディアを排除しようと、じりじり詰めていた距離を一斉に動き出し、飛びかかってきた。
「──きゃああ!」
「──氷の檻よ、捕らえろ!」
狼七匹がフォスターとエルローディアに飛びかかった瞬間。
ウェンディの澄んだ声がその場に響いた。




