26話
──妖精。
その言葉を聞いた瞬間、エルローディアの顔は嘲笑に歪んだ。
「──はっ。何が妖精よ。馬鹿馬鹿しい」
あの出来損ないも「妖精姫」と呼ばれている。
妖精と言う言葉から、エルローディアはウェンディの事を思い出し、嘲笑った。
「あの出来損ないが妖精姫と言われるくらいなんだから……大した事は無いわね。……最も、今は馬鹿にする意味で妖精姫なんて呼ばれてるけど」
「エルローディア様……」
護衛の窘めるような声に、エルローディアはギッと護衛を睨み付ける。
「何よ……! 私はホプリエル侯爵家の一人娘よ! 私に生意気な態度取ったらお義父様に言いつけて、クビにしてやるからね!」
「……っ」
黙った護衛に、エルローディアはふんっと鼻を鳴らして人々の視線を集める方へ顔を向けた。
そこには、輝く程の金髪を風にたなびかせ、細身の女性が護衛の男の手を借りて馬車から降りた姿が見える。
その女性が降り立った瞬間、集まった人達の中で特に男性が見蕩れるようにほうっと息を吐いた。
(何よ。まだ顔すら見えてないって言うのに。この女がとんでもなく醜い顔だったらどうするのよ? いえ、きっとそうだわ)
そこで、エルローディアは降りて来た女性をエスコートしている騎士の姿を見て、驚きに目を見開いた。
「──あの、騎士。ヴァン・ハーツラビュル……? あの男、私がいくら誘っても私に見向きもしなかったくせに……。義姉を捨てて、他の女に──いえ、待って……」
エルローディアは、ヴァンに笑いかける女性の横顔を見て、はっとする。
さっきまでは見えなかったが、馬車から降りてこちらに向かって歩いてくるため、顔がはっきりと見えたのだ。
柔らかそうな金の髪。
長い睫毛に縁取られたそこから覗くのは、蒼い瞳。
そして、面影のある顔立ち──。
「え……っ、ウェンディ、お義姉様……?」
ぽつり、と呟いたエルローディアの声は、集まっていた周辺の人の耳にも。
そして、歩いて来ていたウェンディとヴァンの耳にもしっかりと入った。
美しい女性──ウェンディの蒼い瞳が、エルローディアを捉える。
ウェンディに倣い、ヴァンの目もエルローディアを捉え、不快感を顕に細められた。
「──ひっ」
ヴァンの冷たく、怒気の籠った視線にエルローディアの背筋が震えた。
情けない声を漏らし、ウェンディとヴァンが歩いて来るのを見て、エルローディアは思わず逃げ出してしまった。
周囲に集まった者達は、ウェンディを信じられない面持ちで見ている。
あれが妖精姫? だとか、嘘だろ。だとか、話している声が聞こえてくる。
「ウェンディ……、大丈夫か?」
ヴァンに心配そうに話しかけられたウェンディは、にこりと笑みを浮かべ「大丈夫」と答える。
「もう、家の事も……あの家に住んでいた人達の事も気にしていないわ。ヴァン、早く買い物に行きましょう」
「ああ。そうしようか、ウェンディ」
「私ね、あの家から持ち出したかつてプレゼントしてもらった宝石とかを持ってきたの。全部売っちゃえば、ある程度の金額になると思うわ。伯爵家にお世話になるんですもの。自分の物は自分で購入するし、置いて頂くお礼はするわ」
「そっ、そんな他人行儀な……! そのっ、ウェンディは俺が養うし……、気にしなくて全然──」
「ねえ、ヴァン! 伯爵は何がお好きかしら? ヴァンのお兄様は? お酒とか……そういう物をお贈りしたら喜んで下さる?」
ヴァンのごにょごにょとした言葉は、ウェンディに全く届いていない。
楽しそうにウェンディに話しかけられ、ヴァンは困ったような笑みを浮かべつつ「多分喜ぶと思うよ」と答えた。
「良かったわ。それなら、伯爵と、ヴァンのお兄様への贈り物を先ずは買いましょう!」
ぐいぐいと腕を引っ張るウェンディに促され、ヴァンはウェンディに着いて行った。
◇
貴族街にウェンディとヴァンがやって来てから、小一時間。
貴族街にとんでもない美女がいる、と言う噂は瞬く間に広まり、今は普段よりも貴族街に買い物にやってくる貴族達が多く、混雑していた。
「何だか……今日は人が多いわねヴァン。いつもこんなに人って多いの?」
「いや、そんな事は無いよ。今日が特別多いってだけだと思う」
「そうなの……? タイミングが悪かったわね……」
ウェンディは、体の成長が止まってからあまり邸の外に出なくなった。
自ら望んで、では無い。
成長しない気味の悪い娘を、侯爵と侯爵夫人が外に出したがらなかったのだ。
その代わり、エルローディアはウェンディの代わりに良く街に遊びに行っていた。
侯爵夫妻は、エルローディアを本当の娘のように可愛がり、色々な所に連れて行っていた。
いつもウェンディは自室の部屋の窓から両親がエルローディアと一緒に外出するのをどこか寂しげに見ていた。
けど、それも最初の頃だけ。
それ以降、ヴァンが家にやって来てくれる事が増え、ウェンディは寂しいと思う暇もなく、ヴァンと邸内で遊んだし、庭を駆け回る事もあった。
ウェンディが寂しい、と感じないように。
ヴァンはウェンディをいつも慮ってくれたのだ。
(私……本当に馬鹿ね。ヴァンはいつも傍にいてくれていたのに)
ちらり、とヴァンを見上げる。
ヴァンはウェンディの視線を感じて、すぐに「どうした?」と声をかけてくれる。
ウェンディは笑顔で「何でもない」と答えると、ヴァンの手を引いて貴族街の一角にある店へ入った。
「ヴァン。伯爵はこのお酒お好きかしら? ヴァンのお兄様は、これどう?」
「ああ、いいと思う。ウェンディが心を込めて選んでくれたなら、父上も兄上も喜んでくれるよ」
「ふふっ、本当? それだったら嬉しいな。あっ、ナミアのお土産も買ってもいい?」
「もちろんだ。どんな土産を買うんだ?」
「ナミアはね、刺繍が好きなの。だから、針と刺繍糸をプレゼントしたいわ」
「それなら……店はあっちだな」
伯爵とヴァンの兄へブランデーとワインを購入したウェンディは、手配をし終え、今度はナミアのお土産を買いに店を変える。
貴族街は、先程から人がどんどん増えており、ウェンディとヴァンの姿を遠巻きに見ている。
ウェンディはまるで見世物になったみたいだわ、と微かに不快感を覚えたが、今まで感じていたような嘲笑や、侮蔑混じりの視線では無い事だけが救いだ。
それでも、不躾に注がれる視線の多さに辟易としていると、ウェンディとヴァンが歩いている背後から声がかけられた。
「ハーツラビュル卿……! ハーツラビュル卿!! お休みのところ、申し訳ございません!」
バタバタ、と慌ただしい足音を立て、近付いてくる一人の男性。
その男性は、ヴァンが所属している騎士隊の隊服を着ている。
「そんなに慌てて、どうした……?」
「すみません……っ、そのっ、隊長と連絡が取れず……! 我々ではどうしても抑えきれず……っ!」
「何があった。詳しく話せ!」
「──手、手を貸してください! 捕縛した犯人の能力が高く……! 我々では対応できないのですっ!」
「くそっ、フォスター隊長は仕事を放り投げてうちに来たのか!? 何を考えているんだ、あの人は!」
よく見てみれば、ヴァンに助けを求めに来た隊員も所々怪我をしている。
痛々しい姿に、ウェンディはその隊員に駆け寄った。
「ヴァン、手助けに行った方がいいわ! あなたも、凄い怪我ばかりしてる、大丈夫!?」
「──へっ、ぅあっ、だ、大丈夫ですっ!」
まさかウェンディに話しかけられるとは思わなかったのだろう。
突然美女が自分のために膝をつき、怪我の心配をしてくれている姿に、隊員は顔を真っ赤に染めて狼狽えた。
「ウェンディ、隊員達は訓練してるから大丈夫だ。場所まで案内してくれ」
「わっ、分かりましたハーツラビュル卿! ありがとうございます!」
ヴァンのゾッとするほど冷たい視線に、隊員は赤く染っていた顔が一瞬で真っ青になる。
慌てて立ち上がると、暴れている犯人がいる、と言う場所までヴァンとウェンディを連れて向かうため、走り出した。
◇
その一部始終を物陰からこっそりと見つめていたフォスターは、怪我で痛む体を引きずりながら、ウェンディ達の後を着いて行く。
「──はっ。暴れる犯人を、あいつ如きがどうやって制圧すると言うんだ……。さっきのは、まぐれだ……たまたま、俺の調子が悪かっただけ……。あいつ如きに犯人をどうにかする事はできない。……俺でなければ、手も足も出ない。……ヴァンが倒れた時に、俺がウェンディの前に現われて、彼女を助ければ……きっとウェンディも感動するはず……!」
ははは、と笑い声を上げつつ、フォスターは足を引きずりながら犯人が捕らえられているだろう隊舎へと向かって足を動かした。




