19話
ツカツカツカ、と廊下を歩く足音が聞こえる。
その足音は苛立ち、乱れておりその足音が聞こえて、更に自分達がいる部屋に迫って来た事を察したヴァンは、そっと傍らの長剣に手を伸ばした。
「また、使用人か……? それとも……」
「ハ、ハーツラビュル卿……」
「大丈夫だナミア。ウェンディを頼む」
ヴァンは、ウェンディの眠るベッドから離れ、部屋の扉に向き直る。
ヴァンが扉に向き直った直後。
扉がけたたましい音と共に開かれた。
「──ウェンディ!!」
そして、侯爵──ウェンディの父親である男の怒声が室内に響いた。
「……侯爵、ウェンディは高熱を出しております。……なるべく静かに──」
「うるさい! お前はまた性懲りも無くウェンディに会いに来ていたのか!? エルローディアに会いに来るでもなく、ウェンディの部屋に居るとは……っ」
侯爵の体が怒りでぶるぶると震えている。
──何があったんだ?
ヴァンは目を細め、侯爵を見つめる。
すると、侯爵の背後から一人の女性が出てきた。
それは、悲しそうに涙を瞳に溜めたエルローディアで。
泣いたのだろう。目の周りも赤く染まっていて、何も知らぬ人が見れば「痛々しい」と感じてしまう程、意気消沈している様子だった。
だが、ヴァンはエルローディアには興味なさそうな顔をして視線を逸らし、侯爵に顔を向ける。
「侯爵……ウェンディは──」
「……出ていけ」
「……は」
「聞こえなかったのか? ウェンディも、お前も、そこの使用人も……! 我が家から出て行け! この娘が、この気味の悪い出来損ないが居るせいで、エルローディアが傷付き、悲しんでいる! 全て、そこの出来損ないのせいだ!」
「ちょ、ちょっとお待ちを、侯爵! いきなり何を──」
「この出来損ないは、我が家の疫病神だ。最早、これ以上我が侯爵家にいさせる訳にはいかん。エルローディアの邪魔にもなるからな。……ウェンディをホプリエル侯爵家から籍を抜く。放り出せ!!」
「──っ」
ヴァンも、ナミアも信じられないものを見るように侯爵を見た。
ウェンディは、実の娘だ。
それなのに、義理の娘が悲しがるからと実の娘を家から追い出すだけでは飽き足らず、ホプリエル侯爵家の籍からも抜く、とは──。
だが、とヴァンは考える。
(ウェンディにとっては、この方がいいのかもしれない……。辛いだろうが、このままこの家で辛い思いをし続けるなら……家族に大切にしてもらえないのであれば……。俺が、家族の分までウェンディを大切にする)
ヴァンはそう心に誓い、悔しさや悲しさを拳を握って何とか押し込める。
ナミアは声を出す事もなく、さめざめと泣いている。
「……ナミア、ウェンディの身の回りの物を。これくらいは、許していただけますよね、侯爵?」
「それくらいは構わん。すぐ近くで野垂れ死なれては敵わんからな。だが、いいか! 一刻も早くこの邸から出ていけ! 二度とウェンディをこの邸に戻すな!」
「──分かりました」
ヴァンは、身支度を始めるナミアを横目に、ベッドで苦しそうに顔を歪めて眠り続けるウェンディを見つめる。
ウェンディの体調に触らぬよう、慎重にウェンディを抱き上げた。
「侯爵、ウェンディの結婚の話は──」
「そんな役立ずを嫁がせる訳にもいかん。その様子では、子も望めぬだろうしな。それに、それは最早我が家の血族では無い」
「……」
あっさりとウェンディを切り捨てる侯爵に、ヴァンは奥歯を噛み締めたまま、足を進めた。
ヴァンの腕に抱かれたウェンディが、苦しそうに眉を顰めるのが視界に映る。
(ウェンディ、安心してくれ。たとえ、この家を追い出されても、俺の家族が君を迎え入れる……。伯爵邸でゆっくり休んでくれ)
ヴァンは、侯爵の隣を通り過ぎる前にナミアに振り向いて声をかける。
「ナミア、行こう」
「分かり、ました……ハーツラビュル卿……」
泣いているせいで、言葉に詰まるナミアの背を優しく撫でてやる。
ヴァンは、ウェンディを抱き直すとそのまま部屋を出ようと扉に向かった。
扉付近で立ち止まり、成り行きを見ていたフォスターの姿がヴァンの視界に入る。
フォスターは何故か傷付いたような表情を浮かべており、彼の視線はウェンディに向かっている。
ウェンディを、フォスターの視界に入れたくなかったヴァンは、ウェンディを隠すようにしてフォスターの横を通り過ぎた。
廊下を歩いていても。
玄関ホールに向かう時も。
この邸の使用人は、誰一人としてウェンディの見送りには現れなかった。
ヴァンが抱えているのがウェンディだと分かった今回のパーティーの招待客達は、好奇の視線を向ける。
ウェンディが寝間着姿で、ヴァンに抱えられて邸を出て行く姿から、何が起きたか大体の事を悟ったのだろう。
好き勝手想像し、愉しげに噂話をしている。
(好きに話していろ……! ウェンディをこれ以上傷付けさせない……!)
ヴァンはそう強く心に誓い、ホプリエル侯爵邸を後にした。
◇
ウェンディを連れ、ヴァンがハーツラビュル伯爵邸に戻ったのはそれから少し時間が経った後だった。
もうウェンディの侯爵邸を出てしまったので、あれからフォスターとエルローディアが無事契約を結べたかどうかは分からない。
だが、契約が成立したのであれば侯爵がきっと大々的に触れ回るだろう。
もし、フォスターとエルローディアが無事契約を成立したとしても。
ウェンディの耳にはなるべく入れたくない。
ヴァンはそう考えていた。
邸の玄関を開け、足を踏み入れる前に所在無さげに後ろに着いて来ているメイドのナミアを振り返ったヴァンは、明るく話しかけた。
「ナミア、ハーツラビュル伯爵家にようこそ。新しい職場だと思ってくれ。ウェンディの事をよろしく頼むよ」
「──はいっ! どうぞよろしくお願いいたします!」
ヴァンの言葉に、ナミアは嬉しそうに笑う。
そしてぺこり、と頭を下げた。
◇
ウェンディの部屋は、邸の二階に用意された。
未だ眠り続けるウェンディをベッドに下ろしたヴァンは、そっとウェンディの額に手を当てて熱を確認する。
「まだ熱いな……。ナミア、ウェンディを頼む。俺は父上や兄上にウェンディを連れて来た事を報告しに行くよ。後で使用人を寄越すから、邸内を案内してもらってくれ」
「何から何までありがとうございます、ハーツラビュル卿」
「ハーツラビュル卿、はよそよそしいな。ヴァンと名前で呼んでくれ。ナミアも今日からは伯爵家で働く仲間だから」
「お気遣い、ありがとうございます。それでは、ヴァン様と呼ばせていただきますね」
「ああ、それで良い」
こくり、と頷いたヴァンはナミアにウェンディを任せ、自分の父親と兄が待っているだろう部屋へ向かうため、ウェンディの部屋を後にした。
「父上、俺です」
「ああ、入りなさい」
ハーツラビュル伯爵の仕事部屋にやって来たヴァンは、外から声をかけて入室の許可を得ると、室内に入る。
そこにはヴァンが予想していた通り、ヴァンの父親と一番上の兄が待っていた。
「父上、事前にお知らせさせて頂きましたが、訳あってウェンディを侯爵家から連れ出しました。……ウェンディの貴族籍は、侯爵によって数日以内にぬかれてしまうかと思います」
「何? ウェンディ嬢を籍から抜くのか? あの御仁は、何を考えているんだ……」
ヴァンの言葉に、伯爵は納得いかない、と言うような表情を浮かべたが、すぐに思考を切り替える。
「だが、それが本当ならば仕方ない、な。ウェンディ嬢は無事か? それに、お前とウェンディ嬢の専属護衛騎士契約は無事成立したのか?」
「──はい、問題なく成立しました」
ヴァンは自分の父親に自信たっぷりと頷いた。
時間が経過するにつれ、ヴァンはしっかりと自覚していた。
ウェンディとの契約は、胸に広がる温かさや歓喜に、無事成立しているのだと。
力強く頷いたヴァンに、伯爵もほっとしたような顔を見せ、「そうか」とだけ答える。
「父上、ウェンディは少しの間休息が必要らしいです。ウェンディの目が覚めたら、改めてご挨拶を。……俺は、ウェンディが目覚めるまで彼女の傍に居たいと思います」
「ああ、それがいいだろう。恐らく、ウェンディ嬢も契約した専属護衛が傍に居た方が安心する」
ヴァンの言葉に、伯爵は特に反対する事もなく頷いた。
嬉しそうに頬を緩ませたヴァンを揶揄うように、ヴァンの兄が口を開いた。
「ヴァン、お前がずっと守りたいと願っていた女性だもんな。こんな所で油を売ってないで、早く傍に行ってやれ」
「兄上……揶揄うのはよしてくださいよ。……では、俺はここで。失礼します」
「ああ、また夕食の時にでも改めて話そう」
ぺこりと頭を下げていそいそと部屋を退出するヴァンに、伯爵と兄は顔を見合わせて笑い合った。
ウェンディの所に戻ってきたヴァンは、部屋に入るなりナミアがすっかり部屋を整えているのを見て驚いた。
「凄いな、流石だ。ナミア、部屋を整えてくれてありがとう」
「とんでとございません、ヴァン様。お嬢様に気持ちよく過ごして頂きたい一心で……」
「ああ。きっと、ウェンディも目が覚めたら喜ぶと思う。ナミアも、無理はせず休む時はしっかりと休んでくれ」
「ええ、そうさせて頂きますね」
ウェンディが、ヴァンのハーツラビュル伯爵邸に着いて、数時間。
夕食の時間が過ぎてもウェンディが目覚める気配は無かった。
遅くまでウェンディの傍についていたヴァンとナミアだったが、ウェンディが苦しげに魘される事もほとんどなくなった頃、お互い自室に戻った。
ウェンディの発熱も落ち着き、深夜──。
そっそりとしたウェンディの腕が、ナミアが手直ししたばかりの寝間きから覗いている。
そして、布団を被されて隠れている足元も、直したばかりだと言うのに裾が大分短くなっている。
子供っぽく、丸みを帯びていたウェンディの頬が、すっきりとした卵形に──。
すやすや、と気持ち良さそうに眠るウェンディの手足は、今では大分裾から伸びていた。




