13話
何を、言われたのか──。
ウェンディは、侯爵が去って行った後も、部屋の扉を見つめる事しか出来ない。
ウェンディが唖然としたまま固まっていると、怒りに満ちたナミアの声が聞こえてきた。
「お嬢様を……っ、お嬢様をふた周りも離れた男などに、嫁がせる……!? そんな事を旦那様は了承したと言うのですか!?」
酷い、酷すぎる。と、涙を滲ませるナミアに、ウェンディは先程言われた言葉の意味をじわじわと実感し、目元を赤く滲ませた。
「──いやっ、嫌よ……っ」
見た目が幼い、この姿でも喜んで迎える? そんなの、絶対にまともな男じゃない。
そんな男の元に嫁げば、どんな目に遭うかなんて想像にかたくない。
昔は、結婚は自由にしていいといわれていた。
ウェンディには、兄がいる。
侯爵家を継ぐ優れた兄が既に成人して、国外に勉強のために出ているのだ。
だから、侯爵家は跡継ぎに困っていないし、当時のウェンディは「妖精姫」と名高い令嬢だった。
だから、好きな男がいればその男と結婚しても良いし、他に良い男がいればその男と結婚しても良い、と許しを得ていた。
当時、ウェンディはフォスターと相思相愛だった。
だから、ウェンディはフォスターと将来の約束もしたし、フォスターもそれに同意してくれていた。
将来を共にしよう、と誓ってくれていた。
だが、フォスターとの仲が壊滅的に悪くなり、専属護衛契約も破棄した今、家のために結婚をしろ、と言われる事は、ウェンディ自身も覚悟をしていた。
貴族の娘として生まれた以上、家のために政略結婚をするのは娘として当然の義務だ。
だけど──。
「覚悟はしていたわ……っ、だけどっ、だけど……っ」
ふた周りも違う人。
もしかしたら、相手は自分の両親よりも年上かもしれない。
そんな人と、結婚しなければいけないのか──。
「いやっ、いやだ……っ、でも私は……貴族としての責務も果たさなくちゃいけない……っ」
「──ウェンディ……っ」
ウェンディの悲痛な声に、ヴァンもどこか辛そうに顔を歪め、ウェンディに声をかける。
「私はっ、どれだけ我慢すればいいの!? 周りの人に馬鹿にされてもっ、お父様お母様に見捨てられてもっ、専属契約を交わした騎士に見限られてもっ、それでも足りないの……っ」
これでは、生き地獄だ──。
ウェンディがはらはらと涙を零し、悔しさにシーツをぎゅうっと握っていると、シーツを握るウェンディの手に、傷だらけの大きな手がそっと重なった。
大きくて、ウェンディの手なんてすっぽりと覆い隠せてしまう手のひら。
だけど、その手のひらは温かく、優しくウェンディの手を包んでくれている。
確認しなくても、誰の手かなんて分かる。
ウェンディは涙を零しながら自分の手を包む優しい手の持ち主、ヴァンを見上げた。
「──ヴァン、……?」
「ウェンディ、我慢しなくていい。……嫌な事は、嫌だって拒否してもいいと思う」
「で、でもっ、これはお父様からの命令、だわっ」
「例え、侯爵様の命令だとしても……。ウェンディが嫌だって言うなら……そんな奴と結婚したくないって言うなら……ここから、逃げ出したいって言うなら……俺は、ウェンディを助けるよ」
真っ直ぐ、ウェンディの目を見つめて一つ一つ言葉を真剣に伝える。
ヴァンの言葉に嘘は無い。
ウェンディが逃げたいと言うなら。
侯爵家から逃げ出したいって言うなら、いくらでも助けるし、手を取って連れ出したいと、ヴァンはそう考えている。
むしろ、ヴァンはずっと思っていた。
もし、ウェンディが少しでも逃げたいと言えば。助けて、と助けを求めてくれたら。
いつでもウェンディの助けになれるよう、ずっと準備はしてきていた。
国随一の護衛騎士には決して敵わないが、ヴァンの騎士隊の中での地位は高いし、実力だってある。
それに、ヴァンは自分の家族──伯爵家にだって根回し済だ。
(……ウェンディが助けて、と言ってくれさえすれば。そうしたら、いつでもこの家から攫ってやる)
ヴァンの真剣な表情。
それは、覚悟も決めたような表情だ。
ウェンディはヴァンを見つめたまま、迷うように視線が揺れた。
「でも……っ、でも。本当に、そんな事して、大丈夫なの……連れ戻されたり、しない……? 侯爵家に連れ戻されて……、その人と結婚する事になったら……」
「ウェンディの心配は、分かる。ハーツラビュル伯爵家は、ホプリエル侯爵家より爵位は劣るし、正直、フォスター隊長が出て来たら、俺じゃあ太刀打ちできない……」
「じゃあ、やっぱり……っ」
ウェンディの瞳が、じわりと絶望に染まる。
だが、ヴァンは慌てて続けた。
「ウェンディ。ウェンディさえ良ければ、俺と専属護衛騎士契約をしてくれないか? 俺は、絶対にウェンディを裏切らない。君の力に、なりたい──!」
「私が、ヴァンと……?」
「ああ。俺と専属護衛騎士契約を……結んで、くれないか」
ヴァンに言われた言葉が、じわじわとウェンディの胸に温かく染み渡る。
「でも……私なんかと契約を結んでも、ヴァンには何も得が無いわ……。周りの人達から馬鹿にされるかもしれない。ただのお荷物を押し付けられるだけかもしれないのよ?」
「ウェンディ、自分をお荷物だなんて言わないでくれ。昔から、俺にとってウェンディは素敵な女の子だよ。人としても尊敬してるし、ウェンディの心の強さに憧れてる」
「あっ、ありがとう……ヴァン」
そんな風に思ってくれていたなんて、とウェンディはじわりと熱が頬に集まるのを感じた。
「私も、ヴァンにそう思ってもらえるのは、嬉しい……。子供の頃から大好きな友達だもの。ヴァン以上に信頼している人はいないわ。ヴァンが私と専属契約をしたいって言ってくれたの、凄く嬉しい」
「──じゃあ、ウェンディ」
ベッドの上にいるウェンディの手を、ヴァンが強く握る。
体勢も前のめりになり、ヴァンの瞳は期待に満ちていた。
だが、嬉しそうなヴァンに、ウェンディはそっと視線を外しつつ、申し訳なさそうに告げた。
「けど、大人になると……専属護衛騎士契約の成立は難しくなるって、昔本で読んだ事があるわ……。それに、我が家の魔法契約書はお父様が保管と管理をしているから……」
契約魔法が、どんな仕組みで術式が構築されているのかは分からない。
だが、ウェンディは確かに昔、まだ子供の頃に見た記憶があった。
邸の書斎で、偶然手に取った古い本に書かれていた、魔法契約の成立の難しさ。
理由は分からないが、子供の頃に専属護衛契約が成立可能性が高く、大人になるにつれ、契約の成立率が著しく下降する。
その研究結果のようなものを、見た覚えがウェンディにはあったのだ。
ヴァンは、全くの初耳だったのだろう。
ウェンディの言葉に驚いたように目を見開いていた。
「そう、なのか……? 確かに……魔法契約の仕組みがどうなっているのか不明だが、そんな記録が残って……?」
「ええ。子供の頃にちらっと見ただけだから、その本がどれだかも、もう忘れちゃったけど……。凄く印象に残ってたから……確かだと思う」
しゅん、と肩を落として俯くウェンディに、ヴァンはそれでも明るくウェンディに笑いかける。
「もし、俺がウェンディの専属護衛騎士になれなくても、さっき言った言葉に嘘は無いよ。ウェンディがこの家から逃げたいって言うなら、俺はいくらでも協力する。それに……魔法契約書は、俺の父上が……用意してくれている」
「──えっ!? そ、そうなの? ヴァンのご家族まで……っ」
「ああ。ウェンディの事を、父上も母上も心配してるんだ。表立って動く事は出来ないけど、陰ながらでも、精一杯力になりたい、と言ってくれている」
「──っ、あり、がとうっ、ありがとうヴァン……っ!」
「ああ。お礼はいらないよ、ウェンディ」
咽び泣きし出すウェンディを、ヴァンは躊躇いつつ、慰めるようにウェンディの背中をそっとさする。
早く元気になってくれるように。
ウェンディがいつも笑顔で過ごす事ができるように。
ヴァンは優しい目でウェンディを見つめ、背中を撫で続けた。
◇
ヴァンとの約束は、二日後。
二日後に、ヴァンが伯爵が用意してくれた魔法契約書を持って、やって来てくれる予定だ。
契約の見届け人として、ウェンディのメイドナミアが名乗りを上げてくれた。
そして、もし無事にウェンディとヴァンが専属護衛契約を結べたら。
ヴァンは、自分の主人であるウェンディを守る大義名分が手に入る。
主人が嫌がる相手に、嫁になどいかせられない、と侯爵であるウェンディの父に直談判出来る権利を得るのだ。
それだけ、この国では「専属護衛騎士」は特別視されている。
どうしてそんなに特別視をされているのか──。
そして、専属護衛騎士の魔法契約がどうなっているのか──。
それを深く考えた事は、無い。
この国で住まう人達は「専属護衛騎士」の存在が当たり前だ。
当たり前に貴族達の中に溶け込み、誰も魔法契約の術式になど疑問を抱いた事など無かった。
ウェンディは、ヴァンと別れた後、ベッドに横になりながら自分の手のひらを見つめる。
「……専属護衛騎士と、主人の間にある契約って、本当に何なんだろう……」
魔法契約が破棄された時、ウェンディの中で何かが確実に弾けた。
それが、一度ならず二度も。
「……この魔法契約って、凄く興味深いわよね……。体調が良くなったら、調べてみようかしら」
ウェンディは、自分の手のひらを見つめていたが、ふと首を傾げた。
「あれ……、裾が短くなってる……」
ここ数年、ウェンディの身に纏う服の調整など、必要が無かった。
成長をしないウェンディ。
だから、いつも服はぴったりで。
寸足らずや、布が余ったりなど経験した事が無かった。
ウェンディは不思議に思ったが、急激に襲い来る眠気に打ち勝つ事は出来ず、そのままふっと眠りに落ちた。




