1話
「エルローディア様……エルローディア様……どうして、俺はあんな出来損ないの妖精姫を……くそっ」
静かな廊下。
誰も通っていない、ホプリエル侯爵家の廊下で。
ふわり、と柔らかな金糸の髪の毛が靡く。
ほっそりとしたしなやかな手は、その声が聞こえて来た部屋の扉に伸ばされたまま、まるで石のように硬直したまま、動かない。
「どうして俺はあんな出来損ないに、誓ってしまったんだ……っ、愚かな過去の自分を呪いたい……っ」
男の悲痛な叫び声が聞こえ、次いで何かが壊れるような音が聞こえた。
「──っ」
大きな音が響き、扉の前に立っていた小柄な少女はびくり、と震えた。
そんな時、ふとその小柄な少女の名前を呼ぶ声が背後から聞こえた。
「──ウェンディ? どうしたんだ、こんなところで突っ立って……」
ウェンディ、と呼ばれた少女はばっと振り向く。
自分を呼んだ男性は、小さなウェンディを頭上から見下ろしていたが、そこに威圧感も全くなく、不思議そうに首を傾げていた。
「ヴァン……? ヴァンこそ、どうしてここに? 今日は、訓練の日じゃないでしょう……?」
「いや、俺はウェンディの専属護衛に用があって……」
ヴァン、と呼ばれた男性はウェンディの表情を見て、顔を顰める。
悲しそうに瞳が揺れている。
ヴァンがウェンディにそっと手を伸ばそうとしたところで──。
先程、声が聞こえた部屋の扉が勢いよく大きな音を立てて開いた。
「聞き耳を立てているとは、随分ですね。ウェンディ様。とても行儀の良い妖精姫様だ」
ハッ、と嘲るような態度に、吐き捨てるように発された言葉。
その男のあまりの態度に、ヴァンが一歩前に出たが、ウェンディはそっと彼の服の裾を掴んで押し留める。
「ごめんなさい、フォスター。お父様が呼んでたから、呼びに来たの……」
「……ふん」
ウェンディの言葉に、フォスター、と呼ばれた男はウェンディをひと睨みした後、そのまま足を進めた。
どんっ、とわざとウェンディの肩にぶつかり歩いて行くフォスター。
ウェンディは突然の事にバランスを崩し、よろけてしまった。
「──フォスター隊長……っ!」
「ヴァン、いいのよ。私は大丈夫だから」
「だが、ウェンディ……っ、隊長のあの態度はあんまりじゃないか! 彼は君の専属護衛だってのに……!」
ウェンディはゆるゆる、と首を横に振って口を閉ざす。
フォスターが部屋から出て来た時、扉が開きっぱなしになっている。
ウェンディは部屋の扉を閉めようとして、ドアの隙間から室内が見えてしまった。
さきほど大きな音がなった原因──。
それが分かり、ウェンディの顔色は真っ青になる。
フォスターのいた部屋には、硝子で作られた薔薇の花が粉々に割れて床に落ちている。
専属護衛騎士が、自分が仕える主人に贈る、忠誠の証の硝子の薔薇の花。
それに、専属護衛騎士は自分の魔力を込め、いつでも主人を傍で護る。そう言った誓いを込めた証。
その薔薇を贈られる事が、そしてその薔薇を受け取る事が専属護衛と主人の確かな絆となる。
四年に一度行われる祭典で、それをウェンディは自分の専属護衛騎士であるフォスターから受け取る予定だったのだ。
だが、それなのに。
ウェンディが贈られるはずだった硝子の薔薇は、見るも無惨な形で床で粉々になってしまっていた。
「ウェンディ……? 顔が真っ青だ。大丈夫か?」
侯爵に医者を呼んでもらおうか? と声をかけてくれるヴァンに、ウェンディは首を横に振って「大丈夫」と声をかけようとした。
だが、その声は廊下の先から聞こえてきたフォスターの嬉しそうな声と、艶やかな女性の声が聞こえてきた事で、発される事はなかった。
「エルローディア様!? こんなところに、どうしました?」
「フォスター、お義父様が呼んでいるわ。何をしていたの?」
「遅れて申し訳ございません。報せを受けたのが遅く……侯爵をお待たせしてしまいましたね……」
「あら……お義姉様が伝えに行ったと思ったのだけど……」
エルローディアはそこで言葉を切り、ちらりとウェンディ達がいる遠くの廊下に視線を向ける。
「ああ……。彼女、小さいものねぇ、何もかもが。愚鈍だからあなたへの報告一つまともに出来なくて……。はぁ、嫌になっちゃう」
「エルローディア様、ウェンディ様は放っておいて行きましょう。侯爵様をお待たせしてしまっていますから」
「ええ、そうね。──ああ、お義姉様! ヴァンに背負ってもらって早くおいでなさいな。またお義父様に怒られるわよ!」
クスクス、とまるで馬鹿にするようなエルローディア。
自分の主人を馬鹿にされていると言うのに、一つも言い返そうとせず、それどころかその言葉に同調するように笑っているフォスター。
フォスターはウェンディなど最初からいなかったかのようにエルローディアに手を差し出し、エスコートをしている。
そのまま二人は後ろを振り返る事なく、ウェンディを廊下に置き去りにして去って行ってしまった。
「ウェンディ、どうして君は怒らないんだ。フォスター隊長は君の専属護衛騎士で、エルローディア様は君の義妹だろう!? あんな侮辱を許しては──」
「でも、どうしたらいいの? 私は出来損ないなのよ……。お父様にも、お母様にもそう言われ……、周りの皆だって、そう言ってる……。私が出来損ないなのは、事実だもの。どう、反論しろって言うの……?」
「ウェンディ……っ」
苦痛に満ちたヴァンの声に、ウェンディははっとしてすぐに顔を上げた。
「ごめんなさい、ヴァン。あなたは私を心配してくれているのに。こんな酷い事を言ってごめんね。フォスターは暫く時間が空かないと思うから、ヴァンも仕事に戻って?」
「フォスター隊長や、エルローディア様に酷い事を言われたら俺を呼んで。すぐに来るから」
「ありがとう、ヴァン。そうするわ」
悲しげに笑うウェンディ。
その表情を見て、呼んではくれないと分かっていても、ヴァンは後ろ髪を引かれるように何度も何度も後ろを振り返りつつ、戻って行った。
◇
ウェンディ・ホプリエル。
ホプリエル侯爵家の長女で、今年十八歳になる。
まるで金糸のような輝く金髪で、ふわふわと風に揺れて靡く髪の毛はとても柔らかそうで、かつては見るもの全てを魅了した。
パッチリとしたアーモンド型の大きな瞳は、青空を写し取ったかのように澄んでいて、かつてはその瞳に自分を映して欲しい、と世の男達は熱望した。
可愛らしい、妖精のような見た目に、魔力も高く、魔法の素質もあったウェンディは、かつては国中の貴族達から「妖精姫」と呼ばれ、憧れや焦がれの対象になっていた。
それなのに──。
十二歳ほどの頃から見た目は変わらず幼いまま。体も子供のような、凹凸のない真っ平らな幼児体型。
身長も伸びず、止まったまま。
そして、かつては魔法に関しては天才的だ、と言われていたウェンディの魔力も、魔法も、かつての十分の一にも満たないほど、落ちてしまっていた。
今では精々周囲を明るく照らす簡単な魔法や、小さな火を起こすくらいしか魔法が発動しない。
膨大な魔力を必要とする攻撃魔法なんて以ての外で、そんなものを発動しようとすれば、ウェンディの体は悲鳴を上げて死に至るだろう。
魔力の総量と、魔法の素質。
時間をかけて研鑽すれば、とても偉大な魔法士になれるのでは、と期待されていた「妖精姫」は皆の期待を裏切り、今では影で「出来損ないの妖精姫」と侮辱され、嘲笑の対象になっていたのだった。




