第3話 引きこもりの光合成と、毒ガスによる世界征服
太陽を食べようとした、あの緑色の変人。
そいつは成功した。
正確に言えば、一発で成功したわけではない。
数億回に及ぶ試行錯誤の中で、無数の「変人」たちが太陽光に焼かれて干物になり、ある者は体内の魔素反応が暴走して自爆花火になり、またある者は光エネルギーの吸収には成功したものの、副産物の処理に失敗して自家中毒で死んでいった。
だが、進化というやつは失敗を恐れない。
そいつは理不尽なギャンブラーだ。手元に無限のチップ――つまり膨大な数の微生物の命がある限り、何度負けようとも、たった一回勝ちさえすればいいのだから。
そして今回、そいつは大勝ちした。
成功した個体の体内で、魔素によって無理やりねじ曲げられたタンパク質の鎖が、奇跡的に極小の「エネルギー変換ポンプ」を形成したのだ。
本来ならただの熱と痛みをもたらすだけの太陽光粒子が、そのポンプに衝突した瞬間、破壊するのではなく、まるで水車を回す水流のように、ポンプを回転させた。
魔素がそれを後押しし、回転運動を実在する化学エネルギーへと変換する。
脳すらない単細胞生物の体内で、蒸気機関の発明に匹敵する産業革命が起きた瞬間だった。
その小さな怪物は震えた。
それは恐怖ではない。初めて高級料理を味わった時の、極度の戦慄だった。
こいつは気づいてしまった。
ただ太陽を浴びて、水を飲み、空気中に漂う二酸化炭素というゴミを混ぜるだけで、無限にエネルギーが手に入ることに。
もう臭い死体のスープを奪い合って他の菌と喧嘩する必要もない。熱水噴出孔の場所取りで押し合う必要もない。
ただ寝ているだけで、飯が勝手に口に飛び込んでくるのだ。
「これこそが人生だ」
もし意識があったなら、そう呟いていただろう。そして、海の中でまだ泥臭い労働をしている太古元菌たちを見下して鼻で笑ったに違いない。
かくして、そいつは狂ったように分裂を始めた。
一が二になり、二が四になり、四が八になる……。
家族計画などという概念が存在しないこの世界で、その子孫たちは指数関数的な速度で増殖し、かつて暗紫色だった浅瀬を、生命力に溢れた、しかしどこか寒気のするような翠緑に染め上げていった。
彼らに名前を与えよう。――『始光菌』と。
だが、あらゆる産業革命が公害をもたらすように、始光菌によるこの「緑の革命」にも代償があった。
彼らはエネルギーの自由を手に入れたが、その過程で排出した「排気ガス」が、旧世界にとっての悪夢となったのだ。
そのガスを、我々は後に「酸素」と呼ぶことになる。
しかし、魔素に満ちたこの世界において、それはただの酸素ではない。
始光菌体内の魔素ポンプで処理されたその酸素は、微弱だが極めて活発な魔法特性を帯びていた。
帯電し、過剰なまでに活性化した酸素。
後世において『霊気』と呼ばれる物質の誕生である。
始光菌たちにとっては、それはただの排泄物だ。出しっ放しにして知らんぷりである。
だが、無酸素環境で数億年も快適に暮らしてきた太古元菌の兄貴分たちにとって、それは史上最悪の化学兵器だった。
災厄はすぐには訪れなかった。
当初、海はスポンジが水を吸うように霊気を吸収し、鉄イオンと結合させて赤い錆として海底に沈殿させ、静かにその毒素を処理していた。
だが、それは空気の入り続ける風船のようなものだ。いつかは破裂する。
最後の鉄イオンが酸化しきった時、「緩衝材」という名の保護膜が破れた。
霊気が、この惑星で暴れ始めた。
それは音のない、硝煙なき虐殺だった。
かつて海を支配し、絨毯のように厚く広がっていた太古元菌のコロニーは、この高エネルギーガスに触れた瞬間、化学レベルでの「燃焼」を始めた。
細胞壁は酸化剤によって引き裂かれ、内部の繊細な無酸素代謝システムは霊気によって無慈悲に破壊される。
彼らにとって、呼吸するたびに入ってくるのは生存に必要な空気ではなく、純粋な炎だった。
かつて濁り、粘つき、腐敗臭に満ちていた海が、透明になっていく。
それは死の透明度だ。
分厚い紫色の絨毯は溶解し、消滅し、億年単位で日の目を見なかった海底の岩肌が露わになる。
太古元菌たちも抵抗しようとした。
深海の泥の中へ、霊気に汚染されていない最後の暗闇へと逃げ込もうとした。
だが、ほぼ無限の太陽エネルギー駆動で攻め込んでくる新興勢力の前では、旧時代の覇者など無力に等しかった。
これは進化史上、最も有名な「下克上」だ。
日向ぼっこしか能のないチビたちが、大気中に「排ガス」をバラ撒くことで、強大な巨人たちを毒殺したのである。
数千万年後。
大粛清がようやく終わった時、世界の様相は一変していた。
空はもはや濁ったオレンジ色ではない。深く、どこか憂鬱さを帯びた紺碧へと変わっていた。
海は底まで透き通り、吐き気を催すような紫の油膜は消え去り、代わりに碧い海中を漂う無数の緑の光点が支配していた。
だが最も劇的な変化は、夜に訪れた。
大気が『霊気』という高エネルギー酸素で満たされたため、夜になり太陽風が上層大気に衝突すると、惑星全体を覆う肉眼で見えるほどの幽かな発光現象が起きたのだ。
それはオーロラではない。
薄いベールのように惑星全体を優しく包み込む、乳白色の光の輪。
月がなくとも、その輝きだけで静かな海面を照らすほどだった。
世界から、闇が消えた。
この新しく、光に支配された時代において、勝者である始光菌たちは自分たちが作り上げた「ガス室」――つまり酸素に満ちた大気の下で、腹一杯食べて光り輝くという優雅な生活を謳歌していた。
これを『輝光時代』と呼ぶ。
ただ、その希望と光に満ちた名前の裏には、旧時代の全ての死骸が埋まっている。
そしてその死骸たちは、静かに海底に横たわりながら、この冷たく、澄んでいて、有毒な新世界に対する……ある種の反逆を孕んでいるのかもしれない。
何せ、永遠に勝ち続けられる奴などいないのだから。たとえ太陽を食らう者であっても。
酸素(霊気)の誕生により、世界が美しく、そして残酷に生まれ変わりました。
我々にとっては必要な酸素も、彼らにとっては猛毒の排ガスだったわけです。
次回、ついに氷河期、そして多細胞生物への進化が始まります。
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