捌話 迷いの大森林
「よろしかったですか? 敵将の首を取らずして帰還とは」
「いや、あのまま戦っていたら俺たちは全滅といかずとも、半数を失っていただろう。俺もタダじゃ済まなかっただろうしな。そういえば、迎えに来ている東部軍は今どこに?」
「先程入った報告から鑑みるに、峡谷手前あたりかと」
‥‥そうか! 峡谷! 峡谷に張っている伏兵がいるからこそ、自らの危険を冒させずに俺たちを返させた。
「今すぐ東部軍に崖上の伏兵の討伐をさせろ!」
「しかし、そこには‥‥! まさか!」
「ああ、そのまさかだ。峡谷を封鎖していた軍の動向を俺たちは掴めていなかった。きっと峡谷上から落石や伏兵を仕掛けてくるだろう。俺たちはここから右翼にそれる! ついて来い!」
「なっ、う、右翼ですか!?」
「ああ、右翼に走り急襲をかける。中央の戦場が横に間延びするなら、停滞は必至。なら、右翼からこの戦場を動かす」
右翼と中央戦場を隔てる巨大樹海。通称〈迷いの大森林〉。同じような風景が続くこの森は、古くから防衛の要衝であり、土地勘の無い敵軍にはかなり難しい。逆に地図や土地勘を持ち合わせる防衛側。これは明らかに後者に軍配が上がる。
ここを選んだ最大の要因は俺の騎兵の質と速度、そして相手の追跡を撒くためだ。
追手がいたとしても、俺の騎兵の樹海進軍能力、速さはこの森林内で敵の騎兵を撒くのに十分すぎる程だ。
「右翼に伝令を。これより我が軍じは右翼後方より急襲をかける。その気に乗じ、前線を再び押し上げろ、と」
♦♦♦
「報告! リシュアン騎馬隊消息途絶えました!」
「何!? 峡谷に入って殲滅したのではないのか⁉」
「‥‥峡谷の様子は?」
「ハッ。峡谷にはリシュアンを迎えに来ていた中央軍が攻撃を行い、崖上の伏兵が乱戦に巻き込まれていると!」
消息を絶ったのが妙だ。最善の手はその中央軍に合流し、本陣に戻り、全軍指揮での立て直し。しかし、本陣にも入らず、私たちの前線の裏で消えるのが分からない。
「奴らを追った騎馬隊はどうなった?」
「左の樹海に入ったところまでは、見張りの部隊が補足しているのですが、その後の動向は分からないままです」
「左の森林は確か‥‥。クラリス様、至急捜索隊の準備を致します」
「いや、見捨てる」
「しっ、しかし!」
「次に後を追う部隊も帰ってはこない。恐らくその森は〈迷いの大森林〉。見捨てるのが定石だ」
「狼煙を上げ続けろ。それで戻って来なければ、それまでだ」
「ハハッ!」
♦♦♦
「リシュアン総司令は山脈でのゲリラ戦での開戦に踏み切りました。セリウス城主は刺客により絶命。リシュアン総司令も深手を負ったとの報告もあります」
「‥‥分かった。内政面はどうだ?」
俺、アレン・リシュホードは定例朝廷文武合同会議に挑んでいた。左側の二番目が空席の中行われた会議は順調に進んでいた。
「はい、今年の兵糧麦は豊作のようで、例年の三倍以上と。やはり最大の要因は去年の末に西部平原の一部を奪還したことでしょうか」
内政担当の左宰相セルジュ・セルドが発現した。
「財の面では、去年までの低迷から脱却。好景気となり、税としての商人・町人からの取り立ても多くなっております。現在、中央一帯への恩賞用の配分、北部の手当てなどに去年までの蔵を開いております」
「『西部は農耕に専念させても、税金は東部や中央からの取り立てで賄える』。リシュアン総司令の言葉通りです」
「反乱貴族の遺児風情が」
「言うでない。王の御前であるぞ」
「も、申し訳ございません」
「よい。しかしだな、総司令が全てを行っているという解釈は間違いだ。最終決定権は俺や両宰相が持つ。総司令は王、宰相、その次の存在だ。このことを各自、心に留めて置く様に」
アイツを庇った積もりじゃない。俺はただ、本当のことを口にしただけだ。
「それでは、今日の会議は終了とする。何か個別で言う事があれば、国王執務室に十時までに来ること。解散」
死ぬなよ。リシュアン。
♦♦♦
「生き残りやがって。クソが」
「まさか、あなた様の毒でも死なぬとは」
「いや、持たせた刺客が悪かったのだ。アレのせいではない」
「全くです。何なのでしょうか? あの国家お雇い暗殺団は。仕事も出来てないじゃ無いですか」
「その通りだ」
我の黒のローブが風に靡く。眼下に見える騎馬隊に舌打ちする。憎い。光龍の全てが。
「次はもっと良い暗殺団を雇おう。我の研究を無駄にしない為にも」
「ええ、次は金をもっと出しましょう。そこは私の財で解決いたします」
「流石だな。ヴァルティア家は」
「恐悦至極にて」
我は返事をしないまま振り返り歩き出した。
そして誓ったのだ。あのリシュアン・レオンハルトは必ず我の毒で殺すと。




