漆話 リパル・リュミエール
「今はここを突破することだけを考えろ! 奥に見える女、あれが恐らく敵の総大将クラリスだ!」
俺は乱戦の中鼓舞で全員を震わせた。敵の防御線にも当たらず、順当に兵を進めたは良いものの、問題はこれから。敵総大将クラリスの名は列国に知れ渡っているが、今回の総大将とは思わなかった。
旗を見れば直ぐに分かったが、あまりにも広大すぎる戦場、行軍中の情報漏洩を避けるための旗おろし。これのせいで俺たち光龍軍は敵将の名さえも掴めていなかった。
「フッ、自ら死地に飛び込むとは愚の骨頂。これがあの名家レオンハルト家の人間の力か。少々その実力、見誤っていたようだ。殺れ。我が精兵団よ」
「新手に備えろ! 第一隊を後ろに下げて第四から第六を前に出せ!」
「リシュアン様! 後方より報告! 後方に三十に渡る包囲陣の形成中! 総数‥‥六万!」
「なっ、四万!?」
つまり、一層につき二万。通って来た道の太さ、長さを考えると一層八列の軍。しかし、そこに集まる予備隊を考えると、軽く見積もっても三十の列を超える必要がある。
「ガルド! 救援要請の鏑矢を撃て!」
「承知!」
ギリリと構えたガルドの鏑矢はピィィ、という音を立てて茂みの向こうへ消えて行った。
「全員、撤退の準備をしながら乱戦を継続! 第二隊は退路の確保と物見を! 急げ!」
「しかしリシュアン様! 今第二隊がいる場所はもっとも外せない正面右側。そこが敗れれば、内部から崩壊致しますぞ!」
「いい! 俺が出る! 十騎ついて来い!」
俺は正面右側へ走り出した。左には第六隊、五隊、四隊と並ぶ。
「出たぞ! リシュアンだ! 取り囲んで殺せ! 親衛、精鋭、精兵を全て流し込め! ここで奴の頸を取れ! 私も出る!」
「来るぞ! 敵総大将クラリスだ! これは又とない好機! ここで奴の頸を取ってずらかるぞ!」
俺は馬を走らせる。目の前に立ちはだかる敵の剣は受け流し、最後の一騎を切り伏せ、その勢いを使い、目の前に迫るクラリスに切りかかる。クラリスは動かなかった。取った。そう思った。
しかし、俺の剣は二本の薙刀に阻まれた。
「よく間に合った。我が右腕バルドル・グレンツ、そして左腕エレナ・リュミエール。さあ、手綱はもう放した。全開で戦え」
「「御意」」
二人の薙刀が両肩口から迫る。俺は左手で剣をもう一本引き抜き、両方の薙刀を止める。
「リシュアン、お前に逃げ場はないぞ。氷晶の”殺し屋”の二人に阻まれ、生き残った者はいない。今のうちに降服しろ。配下の命は助けよう」
「そんなもの、従えるか!」
一層、二人の薙刀に込められる力が強くなった。まだクラリスは後ろに下がっていない。なら!
俺は一縷の望みにかけて、防御を捨て、クラリスに突撃したように見せかけた。
後ろにいた男、バルドルと呼ばれた男が振り返り、俺の背中に一刀入れようとする。
振り向く。大振りでガラ空きの頸に剣を突き立て、切り上げる。血飛沫とともに舞い上がる頸。
「バルドル様ぁ! 貴様よくもぉ!」
突っ込んでくる敵兵を薙ぎ払うと、クラリスを睨め付けた。
「どうする? 一騎打ちでカタを付けるか?」
「いや、ここはご撤退願おう。ちょうど両者共に精兵同士のぶつけ合いで被害は甚大。悪い提案ではないでしょ?」
「‥‥分かった。殺さなくて良いのか? 俺はお前と違い、変わりの利かない軍総司令だ」
「ここで、お前を殺せば、私も片腕‥‥今度は本物を失いそうだ」
「そうか。では、包囲陣を下げて貰おうかな」
「分かった。また何所か出会うぞ」
「私も」
「全軍退却。こっちに来ているであろう、東部軍に合流。速やかに本陣周辺まで撤退を開始しろ」
♦♦♦
「あのように返して良かったのですか?」
「いいじゃないか。楽しいのはこれからだ。包囲陣を形作っていた各軍に連絡。狭路での戦いを開始。殲滅しろと」
「まさか、クラリス様‥‥」
「返したのは本陣周辺で殺して他に広まるのを防ぐよりも、敵の近くであえて殺させて、畏怖、恐怖での撤退に誘い込むと?」
「よく分かっているな。まさにその通りだ。エレナ」
「ありがとうございます」
「では、私は落石の計の指揮をして参ります」
「いや、いい。何せあそこには、彼が張っているからな」
「まさか、お兄様を‥‥」
「その通り。リパル・リュミエールが居る。狭路の戦いは彼に任せるのが適任だろう。長年東部の山々で戦い続けている彼は特にな」




