陸話 残された者の仕事
「では、皆、武運を祈ります」
俺は第三防衛線の本陣に居た。昨日、氷晶の軍が渡河したと報告があり、来てみれば眼下に広がる軍の波。
「リシュアン殿もご武運願っております」
「ありがとう、エドガー将軍。東部軍を一手に中央正面の抑えを頼みます」
「なになに、軽いことです。山岳・火山戦主体の東部軍ですぞ。此度のような山岳戦は願ってもおりませんでした」
「そうか‥‥。両翼はイオ殿とミナだが備えは?」
「ええ、かなり完璧に近づいているかと。右翼は入り組んだ地形が多く、山脈の砦化も進んでおります。三日、三日急襲・伏兵・奇襲で耐えれば勝算大かと」
「さ、左翼も問題ありません!」
「では各将‥‥配置につけ!」
足早に本陣小屋を出た将校たちはそれぞれの方向に走って行った。今回の俺の役目は遊撃・奇襲・補充。そして全軍統率。全軍統率といっても俺は最初の方は前者の役割が大半だろう。
「ガルド、〈葬獄〉の出撃準備」
「承知!」
ガルド・ヴェインハート。俺の直下兵団葬獄の総指揮権を持つ男であり、俺の副官も兼任している。
「リシュアン様、兵糧線確保から戻りました」
「よく帰った。アイリス。俺はしばらく〈葬獄〉とここを離れる故、報告を逐次早馬で回せ」
「承知いたしました」
「〈葬獄〉出撃準備完了いたしました! いつでも出れます!」
「よし! 葬獄出撃だ!」
俺は馬に跨り〈葬獄〉を率いて動き出した。〈葬獄〉の総数は千五百。戦闘員は千。戦闘員全員を率いて出た俺の目指す場所はただ一つ。
「両翼に命令を。敵をひきつけ、第一防衛線最終点まで後退。中央には左にずれるよう、命令を飛ばせ」
両翼が敵の大隊をひきつけ、本陣横まで下がればその敵を引き戻すのには大きく時を要する。中央軍が左にずれれば、挟撃を受けるは必至。しかし、左にずれることで挟撃位置をずらし、俺の通る道を作る。
「まさか、リシュアン様‥‥、この陣は‥‥」
「ああ、〈火鉞の陣〉だ」
〈火鉞の陣〉とは森林、山岳などの障害物の多い地形で本領を発揮する一撃必殺の陣。失敗すれば本陣陥落、退路封鎖からの全滅という憂き目にあうが、成功すれば敵将の頸や本陣を取ることができる陣形。
両翼からの援軍を阻止し、索敵範囲外から駆け抜けるこの陣。通常は圧倒的な武力差や隠密に長けた者が扱うこの陣。しかし俺は、隠密能力も個の武もイマイチ。そこで扱う精兵部隊〈葬獄〉。
出自や爵位を関係なしに、各方面の全軍より掻き集めた精兵部隊。そこに俺の知恵を付けさせ、実質大陸最強とまで謳われる俺の直下部隊の行軍速度は物凄く、既に中間地を抜け、敵本陣に迫っていた。
♦♦♦
「やっと始まりましたね」
「ええ、ここまでやって来るのもかなり疲れました」
「しかし、ここまで来れば追い返すこともできないっスしね。アリシア外交官」
「じゃ、そこの本陣に詰め寄って参戦させて貰おうかな。そのためにも来て頂いたしね。シリウス近衛兵長直下の近衛隊にも」
「出撃要請出すのに苦労したんですからね。感謝してくださいよー」
「ハイハイ。分かった分かった。凄ーい」
「めっちゃ棒読みじゃないスか?」
「いいのいいの」
そう言って彼女は本陣の小屋に入っていった。
「リシュア‥‥居ない」
「そうっスね。リシュアン総司令は全軍指揮権を持つ大将だからここに居てもいい筈なんすけど‥‥」
「あなた達‥‥何者ですか⁉」
後ろから女性の声がした。何度か聞いたことのある声だ。確か、リシュアンの参謀‥‥の、
「アイリス作戦参謀殿」
「あ、シリウス殿で御座いましたか。これは失礼致しまして。お隣はアリシア外交官様ですか」
「ええ、総司令は今何所に?」
「『アリシアが戦場に来たら追い返せ』とリシュアン様に言われておりますので、お帰り願います。シリウス殿もお引き取り願います」
「なっ、しかしですが‥‥」
アリシアの手が俺の言葉を遮った。
「残念でしたね。私は戦場に来たのではなく、総司令の陣中見舞いに来ただけ。顔を合わせたら帰ります」
「そうですか‥‥。リシュアン様がご帰還なさればお目通りできるよう話しておきます」
「ありがとう」
「では、自分はリシュアン総司令の援軍に行って参ります」
「えっ⁉ シリウス殿もご参戦なさられるのですか?」
「一応、精鋭近衛兵がここに居るんだ。使わない訳にもいかないからな」
「しかし、リシュアン様は現在消息が分かっておらず‥‥」
「何?」
「ハイ。先ほど〈葬獄〉を率いて北の方角へ出陣したことしか分かりません。恐らく連絡は放っているのですが、殆どが狩られているのかと」
「じゃ、本陣は総大将の居場所が掴めていないということか?」
「その通りです。申し訳ございません。しかし、確実に分かることが一つ」
「それは一体?」
「リシュアン様は無謀なことはせぬお方。さすれば、自らの命を晒しても得る方が大きい戦果を取りに行かれたのでしょう。ならば、信じて待つのが残された者の仕事です」
「‥‥分かった」
俺はアイリス作戦参謀官の言葉に押され言い返すことができなかった。




