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六拾肆話 師範

「離脱だ! 城まで戻る!」

 投石機を破壊して回った頃。斜陽が差し始めた頃、俺は場内への撤退を告げた。


「どうだ‥‥」

「ほとんどの投石兵器は破壊され、残りは破城槌ですね。しかし、破城槌は城門破壊に突出しており、石壁の破壊は困難です。しかも内城の城門の堅固さは外壁の比になりません。ならば後は単純な歩兵戦。城壁上での戦いです」

「‥‥分かった。が、一つ聞かせてくれ。俺達はいつまでこの城で耐え続ければいい?」

「それは‥‥。バルバトス将軍しか知りえない事ね」

「分かった。ならば俺はバルバトス将軍の下へ向かう」


「と、いうことなのだが、何日耐えればよい? バルバトス殿」

「具体的な日数は今は未だ出せない。だが、俺の計算が正しいのであれば籠城開始から三十日。つまりは後十五日。厳しいな‥‥」

「大将が弱気になってどうする」

「それも一理ある。だがな、ある程度の緊張と弱音は、気負うものを少なくする効果がある。それに、ある程度の弱音があるという事は、それだけ先々の事を考えられる将という事だ」

 城壁の胸壁に頬杖を突いた俺は、少し彼を見上げる形になった。闇夜に照らされたその顔は一層深刻なものとなっていた。

「だいたい、この城から兵を連れて行った葬獄は何をしようとしているんだ‥‥」

「‥‥。それは‥‥奴らにしか分からん事だ」

「そうだな‥‥。お前の言葉を聞きに来た俺もバカだった」

「俺も、貴様にこの情報を伝えてよかったのか、未だに少し悩むほどだ」

「弱気になっても仕方がねぇ。明日もいつも通り戦うだけだ。死ぬなよ。爺」

「爺と言われるほど老いてはおらんわ。今年で四十六だ」

「俺の二倍近いじゃねぇか」


 ♦♦♦


「そろそろ奴らの兵糧も尽きる頃かと」

「開戦から二十五日。兵糧もそうだが、士気や兵力もじきに底を突くだろう」

 セリウス城北壁周辺。氷晶軍総本陣。

「この中にあの憎き光龍の総司令が居るという事か。しかもあのゲルムとやらも居るのか。我が子の仇、とらせてもらうぞ!」


 セリウス攻城戦二十五日目。開戦。


 開戦より数時間。城壁上で歓声が上がった。

 理由は単純。オルフェンが内壁上に上がったからだ。

「それで、ゲルムとかいう将は何所だ?」

 黄金の兵を周りに付け、城壁上に上がった姿は猛々しく、異様な空気感に包まれる。

 その異様さは対面の外壁の上に立つ俺・ヒメルの視点でも明らかだった。

 東都王のような独特な威圧はない。しかし、圧し潰すような重圧。

「俺だ」

 何所から現れたのか、東都王にも並ぶ巨躯の男がオルフェンの前に立った。

 戦槌を構え、重厚な鎧を纏う。肩からは動物の毛皮をかけ、オルフェンに立ちはだかる。

 オルフェンはゆっくりと剣を引き抜いた。それは長剣の中でも最大級の大きさを誇るツーハンドソード。そのツーハンドソードの中でも長い部類に入る。二メートル半近くある代物だ。

「シッ‥‥」

 先に動いたのはゲルム。王の待ち‥‥いや、焦らしに耐えられなくなったか。

 しかし、それは愚者の選択だぞ。

 オルフェンが得意とするのは受け。ましてや、その大振りの一撃は、オルフェンに「受けてカウンターをください」と言っているのとほぼ同意味。

「悪手を撃ったな」

 小さく独り言。

「いや、そうじゃ無かろうて」

 後ろから老人の声がした。聞き間違える筈がない。この声は————

「師範。来ておられたのですか‥‥」

「いやいや。弟子から呼ばれたんじゃい」

「弟子とは‥‥。オルフェン様ですか?」

「その勘の良さは褒めてやろう。その通りじゃ」

 師範。アルトゥス・ヴァレンティア。齢は七十九を数え、古くは央都王、北都王の軍略指南役を務めた老将。近年は前線には出ず、王都軍師官を務める。又、国立軍師学校の教師を兼任している。おれもその学校の出身だ。

「勘の良さ『は』だけではないでしょう。師範も昔申されていたではありませんか。俺が卒業生の中では最も良い成績だと」

「卒業生の中ではのぉ。北都や央都の方が良かった」

「そうですか‥‥。っ、一騎打ちが進んでますね」

「あんな無意味な男の酔狂に付き合う軍師は少ないぞ」

「無意味ではありませんよ。師範。一騎打ちは将が将を打ち取る好機。雌雄を決し、そこに魂をぶつけ合うから、兵が奮い立ち、戦が面白くなります」

「しかし、その奮い立った兵は防御を疎かにし。直ぐに死ぬ。この六十年。嫌というほど見て来たぞ。そのような光景を」

 ゴガッ、ドギャという、人と人の戦いではありえないような音が聞こえるのを横目に、問答を続ける。確かに師範が言うように、奮い立った兵は直ぐに死ぬことが多い。しかし、魂をぶつけ合い、心を震わせることで、人としての潜在能力というものが、体の奥底から湧出てくるのではないのか。俺は師範とは違い、戦場の経験は少ない。

 しかし、師範のような古い戦場を沢山見てきた人間ではない。新しい戦い。新世代と呼ばれる時代を見て来たのだ。四神、五龍、六天神、三虎の十八神将の世代ではない。

 四神の一人とも数えられた師範も老いたものだ。

「老いとは全く恐ろしい」

「十八神将の上位四名の四神の儂が、こうも老いたことがか?」

「いえ、古い戦に囚われるべきではない、という意味が込められているだけです」

「古い戦?」

「ええ、師範が現役だった時代。三十年前は兵はただの駒に過ぎず、心なく敵中に飛び込ませる事に何ら抵抗はありませんでした。それは数百年周期で訪れる、兵の死を何とも思わない暗い時代。この戦乱の時代。そんなことに一喜一憂するべきではない。それは(まこと)の正論」

 風が吹き、内壁の方を見れば、未だに壮絶な一騎打ちが続いている。

 地面の石畳が割れる音さえも聞こえてくる。

 しかし俺は平然と話を続ける。

「しかし、心なく突っ込ませれば兵は死に、国民の心は国から離れると説く学者がその時代は生まれやすい。この九百年の歴史を見ればそれは明らかです。兵にも民にも心があると説くのも正論。時にはどちらかが弾圧され、台頭し、入れ替わる。それは自然な歴史の流れ。三十年前は軍の心なき支配者が統べていた時代でした。しかし、今は違います。心があると説く学者たちの意見が通る。だから、心があれば士気を高めたほうが良い。そこで、将自ら武器を振るい、多少の危険を冒してでも、兵の士気を上げ、敵を殺す。それが一騎打ちです」

「ほう‥‥。ならば問う。何故、心があると説く学者が重宝される時代なのか?」

「簡単です。今の王は五国中二国が十代の王。それの下に就くものも比較的若い。私も言ってしまえばそうです。さすれば、慈悲、可哀そう。そういった感情が涌くの普通のこと。だからです」

「流石は我が弟子じゃ」

 振り返り、城壁を下りようとする師範。

「どこへ行かれるおつもりで!?」

「貴様の言う、兵の心とやらを見に行く」

「危険です。師範は軍師上がりの四神。ならば個の武は‥‥」

「馬鹿を申せぃ。知略だけであの時代を生き残れると思うか」

「た、確かに」

「しかと、この目に焼き付けて来てやる。貴様の言う事が本当であれば、北都や央都に並べるやもしれんな。ハッハッハ」

 笑いながら消える師範の後姿は、数年前よりももっと小さく見えた。

「最後の一人もそろそろか」

 呟いた俺も階段を降り、本陣への帰路に着いた。

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