零話 レオンハルト家
戦争は既に九百年続いている。統一帝国アルディアが滅び早千年。血で血を洗う凄惨さを極める戦いに人々は疲れ切っていた。
それに追い打ちをかける様に、度重なる食糧難、日照り、火山の大噴火、パンデミック。
その過酷な環境にさらされたアストラリア大陸に生き残ったのは五つの大国。
兵の士気や人材に恵まれ、中央には巨大湖があり、安定の国と詠われる〈光龍国〉。南の海を支配し、最強の水軍を率いる〈帝政翆玲国〉。北の大地を統べる連合国家〈氷晶連合〉。東部の火山地帯と東部全域を支配する〈炎獄王国〉。西部平原の覇者で特殊な文化を持つ〈葉桜王国〉。
第五人間暦四百八十六年。リシュアン・レオンハルトは光龍国軍総司令官に就任した。
軍総司令官はその国の軍の行動統括、軍政の最終決定権を持つ官職の一つ。王、左右宰相の次に位は高い。
「報告です! 北部灰嶺山脈セリウスより報告! 国境付近に集結する氷晶軍三十万の姿を確認したと!」
王宮伝令兵の声が軍議の間に響き渡った。この部屋に居るのは俺、リシュアン・レオンハルト。元武官で右宰相の官職に就くグラウス・グルドマン。老練な軍政担当大臣バルド・レオンハルト。王都軍師官クレイド・ヴォルティール。
「右宰相は北軍の警戒度を第一級厳戒態勢に。クレイド軍師官は、北部侵攻時の防衛線を構築して」
「‥‥了解した」
二人はバタバタと部屋を出て行った。床に見えるアストラリア大陸全域の地図。俺はそこに三十の新しい駒を置いた。
「バルド叔父、兵糧政策と水軍運河増設法案を左宰相と共に上奏しておいてください」
叔父・バルドの承知の返事を聞くと俺は棚に向かって歩き出した。紙の記録紙を手に取った。年月は第五人間暦四百七十六年四月。
それはその年の四月に勃発した灰嶺山脈大戦の全てを記しているもので、今回はほぼ同数の戦いとなると予想している。だからこそ、読み漁る。
それから四時間くらいが経っただろうか。
俺はやっと一冊読み切った。これを何冊も繰り返す。そうやって戦略を作り出すのだ。
ギギッと重い木戸が開く音がした。誰が来たとかはどうでもいい。今は防衛が最優先だ。
「リシュアン君‥‥邪魔したかな‥‥?」
外交官アリシア・ヴァルティア。大商家の娘であり、交渉の天才。
「‥‥もう王級内でも騒ぎになってたのか」
「そりゃ、そうだよ。第一級厳戒態勢にしたんだから王宮だって大騒ぎ」
「そうか、分かった。右宰相に中央一帯に徴兵令を出す準備を頼んでおいてくれ」
「いいけどさ‥‥、私一応あんたの婚約者だよね? もう少しさ、その素っ気なさ何とかしないの?」
「いや‥‥その‥‥」
「何? 王の政略結婚だから? 身分の差ってやつがあるから?」
「政略結婚だからってわけじゃないよ。普通に好きだよ? アリシア。でも‥‥まずは俺が、生まれ変わる必要がある‥‥」
「それってどういう‥‥?」
「話してなかったな。俺がどういう人間か」
四百七十六年。俺の父は反乱を起こした。俺の父は上級貴族であり、外国出身の貴族や下級貴族が力を持つ官位制度を壊しにかかったんだ。それも、他国を動かしてまで。
俺はその時七歳。まだ状況が分からなかった俺は、言われるがまま辺境地の村に預けられた。
これは俺が後になって知った話なんだ。俺は村に行く旅路で鎮圧軍に何度も殺されかけた。その衝撃か何なのか、俺は‥‥記憶を失った。
村に預けられ、俺は普通に過ごしていた。数年前まで、俺はこのまま、あの村で死ぬのだろうと思っていた。
ためしに軍略大会に出てみたのが全ての始まりだった。俺はそこで優勝してしまった。そのせいで、王都にまで来て聞きたくもない俺の過去を知ってしまったんだ。
「そんな‥‥! でも、リシュアン君は何も悪い訳じゃない!」
「でも、仕方がないんだよ。レオンハルト家と聞いただけで、周りの人は俺を避け、罵り、遠ざけようとする。だから、俺がこの官職に就いているのをよく思わない人もいるんだよ。また反乱があるのでは、父の未練を果たそうとするのではないか、とね。だからだよ。悪名高きレオンハルト家に、あの大商家のヴァルティア家の娘が嫁ぐなんて‥‥と。君が周りからそうやって言われるのを見たくないんだよ」
「だっ、だからって‥‥!」
「ゴメン‥‥。こんなこと話して。俺はちょっと会議があるからこれで‥‥」
俺は振り向いて別の扉に向かっていった。
ドアノブに手をかけた時‥‥。
「わっ、私は、どっ、どんなリシュアン君でも、すっ、好きだよ!」
なんだろう。目のふちが厚い。きっと‥‥気のせいだ。
俺は袖で目の辺りをぬぐった。そして、
「ありがとう」
俺は振り向かずにアリシアに言った。




