6話 いとも容易く行われるセクハラ
瓦礫の村。崩れた屋根の影。途切れつつある村の結界。
オーガのもたらした傷跡はあまりに大きい。立ち直れないほどに。
レヴィは小高い丘から、村の姿を一望していた。
中央には結界の要である聖なる樹。そこからのびるように村の中央通り。
住宅──おそらくほとんど住人はいまい。
倒壊した建物や、畑、柵を補修する村人──あまりに人数が少ない。
村の活動する時間帯だし気候も悪いわけではない。そこからの光景からですら、数えるほどしかない。
子供も数人。
昔はもっといた。
みんな死ぬか、こうなる前に村から出て行ってしまっていた。
彼らは正しい。
村の滅びを見守るという、このやるせない寂しさや悲しみを、馬鹿みたいに感じずに済むのだから。
ふとレヴィの脳裏に、ばあちゃんの顔が浮かんだ。
(畜生)
思い出すと聞こえてきた、その声すらうるさかった。そしてわずらわしかった。もう聞こえない。もう笑わない。風の音だけが聞こえる。
ばあちゃんは村の要だった。
小さな墓の中に収まってしまった。
ばあちゃんがいなくなれば村は死ぬ。
そもそも結界術はばあちゃんしか使えない。
ばあちゃんは死んだ。だからばあちゃんが愛した村も消える。
魔障と化した森に食い尽くされるように。
まるで最初から、そこに何もなかったように。
「……ねぇ、あんた。泣いてんの?」
背後から、聞き慣れた声がした。
ゆるく結ったポニーテール。
土埃にまみれたスカートと、やや傷んだシャツ。
だけど、確かに“昔のまま”の笑顔がそこにあった。
──幼馴染の少女・ノア。
ばあちゃんの孫だ。
涙の後を見られたようだ。
急いでレヴィは袖で頬を拭った、
「……泣いてねぇよ」
「ふーん?じゃあ何その目。
ばあちゃん死んで、村ボロボロで、でも未来も守れそうになくて……むっちゃ泣きたい顔でしょ?」
「うるせぇ……。そっちもだろ」
「ふふん。誰が。ばあちゃんの孫だよ。強いんだよ私」
そう言ってノアは笑った。何事もなかったように。
(葬式の時はあれだけ泣いてのにな。)
泣き止まないんじゃないかと思った。
「怒られたんだ。よく」
「知ってる。私もたくさん悪戯した。」
「教わりたいことも、伝えたいこともいっぱいあったんだ。」
「うん。」
「ずっと、村にいると思ってた。みんながいなくなっても、最後まで。」
「うん。私もそう思ってた。」
「──ずっと一緒にいてくれたんだ……いつも……」
数えるように失ったものを確認する。
あるはずだったものを数え上げる。
空を手を伸ばすように。その空が遠い。
ノアはふと言った。
「ねえ、あんたさ……全部抱えすぎじゃない?」
「そうでもないだろ」
「知ってるよ。結界から出て魔物を駆除してるの」
「……そうしないと、みんな死ぬだろ」
「その怪しげな剣で」
レヴィは答えられない。
呪いの剣の力に依存してたのは自覚していたからだ。
子供の力で魔物と戦うには森の魔物は凶悪過ぎた。
呪いの剣は怖さも震えも追い出してくれた。そして魔物を切り裂く力をもたらした。
そして乳もくれた。
「死なせないために生きてるあんたが、死にかけてたら意味ないじゃん」
ノアの目はまっすぐだった。
昔、木登り競争で必ず先に手を伸ばしてきた時のように。
一緒に畑で泥まみれになった時のように。
「私はさ、あんたが生きててくれればいいんだよ」
そう言って、ノアはぐいっとレヴィを抱きしめた。
「ばあちゃんの分まで、私がそばにいる。泣きたいときは泣いていい。剣振りたいなら、振りゃいい。
でも、ひとりで全部やるな。私も……戦えるよ」
強がって笑うその姿は、間違いなくばあちゃんの孫だった。
ノアの胸が押し当てられていた。
それは確かに、柔らかかった。
温かくて、優しくて。
震える心を包み込むようだった。
──そこには戦いの覚悟があった。
──そこには悲しみと後悔と祈りが詰まっていた。
──そこにはひとりの少女が、少年を守ろうとする意志が宿っていた。
確かに物理的には、確かに“そこ”にある。
でも。
(……これは、乳ではない。)
すげえ大事なものだ。それはわかる。
しかし──
少年の目が鋭くなる。
「これは、乳じゃないんだ。」
少年の中で、何かがはっきりと告げた。
「ねえ?」
ノアが不安そうに顔を見上げてくる。
「 いま変なこと言わなかった?」
レヴィは軽く首を振ると、呟いた。
「ノア、お前は俺の求めてる乳じゃないんだ。」
「は!?はあ!?」
「お前の乳は、まだ“エロ”に染まってない。なるほど、だからこそ――尊いのか。」
ノアの顔が真っ赤になる。
地面に叩きつけられるように、レヴィの頭に拳が落ちた。
ごんっ!!
「死ね!!一回死んでこい!!ばあちゃんの墓の前で謝ってこい!!!」
「や、やめろノア!ちょっと待て!勘違いするな!これは深淵の探求なんだ!乳とは何かっていう!!」
「いま何言った!?尊い!?え、乳!?え、えろ……っ!?お前今私の胸見て何を!?はああああああああ!!?バカァァァァ!!!!!」
ノアは怒り狂って去った。
ばあちゃんの困った顔が、目に浮かぶようだった。
プンスカと去るノアを見送るレヴィの顔は、暗く沈んでいた。
やべえ……マジでやべえ。
レヴィは目を押さえていた。
それは、空気を読まない発言を悔いているわけではなかった。
「顔が、わからんくなってる。」
オーガとの戦いから、呪いの剣の権能が強まっていた。
ばあちゃんが死んだあの日から、村人の顔がうまく判別できないほどに、それは、レヴィの五感にも強く影響をもたらしていた。
(呪いと共に幻覚の強度が強まっているのか?くそ。まじで顔がわかんねえ。)
現実と幻覚の境界が曖昧になりつつあった。
日常生活が送れなくなるほどに。
レヴィは震えるように自分の手を思わず見た。
まだ人の手をしていた。
それが現実だと、信じきれない。
(このクソ剣があ。まじでふざけんなよ。)
思わずレヴィはため息をつく。
変わらず人の目を引く赤帯びた黒い刃をしている。
今日はまだノアを切らずに済んだ。……本当に?
これは、まずい。




