56話 ノアの同行について
ノアは、レヴィの隣にいた。
なんなら、離れるのが怖かったので、昨晩は一緒に寝た。
手を放してしまえば、二度と戻らない気がしていた。
そして朝食がすみ、落ち着いた頃、セレネは言った。
「議題は、ノアちゃんがレヴィ君の旅に同行するかについて。レヴィ君、決められないみたいなのよね。悪いけど、早急に決めてもらうから。」
「そりゃ、ついていきますけど」
ノアは言った。
「悪いけど、ノアちゃん。私の見立てでは、君は足手纏いだ。
レヴィ君の事を思うなら、ついてこない方がいい。死ぬと思うよ……。昨日の再会の後で申し訳ないけど、後回しにしてもしょうがないからね。」
「……俺から話すよ。全部──」
「──どういう事?私が足手纏い?」
今までになく強い意志で言おうとしたレヴィの言葉をかぶせるように、ノアがキレていた。
「やってみなければ──」
「はっきり言う。ノアちゃん。君がレヴィ君を殺す。足手纏いなんだ。」
セレネはばっさりと切った。
レヴィは思った。
(うわ、こいつら、まとめる気ねえ──)
「それがなんなんですか?一緒に行くって決めたんです。もうレヴィを失いたくないんです。」
「お遊びじゃないの。悪いけど認めない。足手纏いはいらない。守る人間が増えると、攻撃の手数が減るの。」
言い合いは続いていた。
言葉がナイフだった。
レヴィは、冷や汗をだらだらと流していた。
「あなた、なんなんですか。さっきから。レヴィのなんなんですか?」
「君よりも近い位置にいるよ。レヴィ君とわたしは。」
「意味がわからない。レヴィ。どういう事?」
「言ってやりなよ。レヴィ君」
セレネは腕を組み、冷たい視線を向ける。
朝の部屋、三人の視線が交錯していた。
レヴィは一瞬迷った。
ひたすらに嫌な予感がしたが、考えは決まっていた。
「俺はノアを失う事が怖いんだ。そして守りたいんだ。絶対に。」
「レヴィ……私も……」
「ほら。レヴィ君もそう言ってる──来るなって。」
「は……?」
静まり返る部屋に、刃のような声が落ちた。
セレネはふっと肩をすくめて、冷たい微笑みを浮かべた。
「あら、聞こえなかったの?レヴィ君、言ったよね。今。君に。来るなって」
ノアの目が大きく見開かれる。
レヴィも、思わず言葉を詰まらせた。
「ち、違う……っ、俺は――」
「どう違うの?怖いって言った。守りたいとも言った。つまり、レヴィ君の中でノアちゃんは、守るものであって、戦う仲間じゃない。それって、十分『来るな』って言ってるのと同じでしょ?」
ノアの肩が小さく震えていた。
でも、目をそらさず、まっすぐレヴィを見ていた。
「お、俺は……つ、つまり、その……」
「……わかった。もういい」
ノアは、レヴィの服の裾からゆっくりと手を離した。
彼女はくるりと背を向け、早足でその場を後にした。
セレネは言った。
「ほら、早く追う。」
街の外れ、風に揺れる木立の下
ノアは小さな丘のふもとの木陰に座っていた。
彼女の服の袖には染みがいくつもできていた。
「……何よ……あのきれいな人と一緒に行くんでしょ。早く行きなさいよ」
レヴィは何も言わず、ノアの隣に座った。
「……」
「恥ずかしい事に俺さ。死のうとしてたんだ。」
「……」
「呪いは少しずつ俺の体を蝕んでいた。そして思っていたよりずっと早く限界を迎えて……魔物になっちまって……そんな事をしたいんじゃなかった。」
「ノアや、みんなを傷つけたくなかった。金も必要で、ダンジョンに潜る必要があった。でも呪いはすでに手遅れなほど、俺を蝕んでいた。」
「やるだけやったっていう、免罪符が欲しかったんだ。できるだけやって、みんなを傷つけずに最後まで足掻いたっていう。そして呪いに呑まれて死ねばいいだろう。そう考えていたんだ。浅はかだったよな。それに無責任だった……」
「お前が生きていると知った時、本当にうれしかった。嬉しかったんだ。大切だからだ。だから、俺だって死んじゃだめだよな。そんな事すら、わかってなかったんだ。」
ノアはいつの間にか顔をあげていた。
「……一個学べたね。」
「ああ」
「でも、私を置いていくと。」
「……ああ」
レヴィは、まっすぐノアを見つめて言った。
「連れてはいけない。」
ノアの表情がすっと消える。
風が止まった気がした。
「戦いの規模がおかしいんだ。迷いがあれば、命取りになる。ノアを守るために、遠ざけるしかない。それが今の俺にできる、唯一の答えだ。」
「わかってる。レヴィが私を守ろうとしてくれてること。でもさ、少しでも一緒に背負わせてくれてもいいじゃん。」
「……ノア……」
「レヴィ。聞かせて。全て終わったら、どうするの?」
「秒で帰る。絶対に秒で帰るんだ。」
ノアは何かを言いかけたが、唇を噛んで言葉を飲み込んだ。
変わってないな、とノアは思った。
いつもそうだった。一人で悩んで、勝手に背負って、誰にも言えずに、変なところで踏ん張って。
——そして、誰にも見せたくない涙を流す。
「なんで俺が、なんでオレなんかが呪いの剣の、その運命なんて背負わないとならないんだよ。ふさけんなよ。こちとら、呪いに振り回されるだけのクソガキだぞ。くそすぎんだろ……絶対秒で帰ってやる……」
「空を支配して、世界の理を決めて、何百年も動いてきたような古代の大都市がさ、こんな、村一つも守れねえクソガキに全部託すんだぞ……正気の沙汰じゃねえよ。終わってるよ、マジで。」
レヴィの胸の奥には、怒り。
呆れ。
拒絶。
そして、何より――悲しみがあった。
幾度となく祈った。
祈るように願った。
だけど、手に残ったのは呪いの剣だけだった。
「選ばれたくなんてなかった。だれかの尻拭いとか、救済とか、知ったこっちゃなかった──でも、選んじまった。それを決めたのは、俺だ。誰でもない、俺なんだ。」
レヴィは、低く言った。
目に涙を浮かべながら、言葉を紡ぐ。
握りしめた拳に、熱い想いが込められていた。
「畜生……。なんで滅んじゃうんだよ。死ぬなよ……バカ野郎……帰りたいよ……あの頃に……畜生……みんながいた……あの頃に……」
「みんな、最後まで笑ってたよね。私も覚えてるよ。レヴィ。人は寄り添いながら生きるんだよ。今も。過去も。そして、未来も。」
祈る。それしかできなかった。
でも、あの時に比べて、ほんの少しだけ出来る事が増えている。
「ずっとレヴィはそうだった。いつだって一人で傷ついて、いつだって一人で決断して……でも、レヴィが泣き虫なのはかわってないから……背中さすってあげるよ。よしよし。」
守りたくても、守れなかった。
悔しくて、情けなくて、だから燃え続ける覚悟だけが胸にある。




