46話 導き
「この大精霊の予想を裏切るとは、なかなかの偉業だよ」
凛とした女性の声だった。
「暴走した強大なる森の主、シヴェルを降した、剣士がまさかその様とはね。」
シルフィリアは肩をすくめた。
「でもまあ、ようやく人間になれたね。剣士くん。」
シルフィリアは相変わらずの美しい姿をしている。
神々しい銀の光が瞬いては消える。魔力の明滅。実際に魔力が可視と不可視を行き来している。
裸と見紛うほどに露出度は高い。
レヴィは狼狽えを隠すように深呼吸する。
(落ち着け。シルフィリア様にエロは禁句だ。殺されるぞ。)
シルフィリアは、風に揺れる透けるような薄衣を纏い、神の彫刻ともとれる肢体を惜しげもなくさらす。
その姿はまるで風そのものが形を成したかのように軽やか。
レヴィは思わず手で顔を押さえた。
(無理……絶対無理……)
手で視界を遮る。
(まじで自分の、美しさを自覚しろや。どうしろってんだ。)
レヴィは落ち着かなかった。
相変らずエロ過ぎる。
飾りのついた、下着以外、どう認識すればいいんだろう。
「何?剣士君、めまい?」
「違います。今、俺は世界の深淵と向き合っているんです。」
「ああ、いつものね。この変態」
「……すんません。正直に言えば、目のやり場が」
シルフィリアはため息をついた。
「直視がきついなら、そこの階段座って。私も隣に行くから」
レヴィは思った。
(セーフ。なんとかセーフ。とはいえ、このラインがギリギリだろうな。思考、多分全部バレてる。)
観念して、座る。
狼もレヴィの横に座った。
心無しか、目が冷たい。
「よっと。」
シルフィリアはレヴィの隣に座った。
そして思った。
(なんだかいい匂いがするんだが。)
隣に座るシルフィリアに全く落ち着かない。
近い。単純にエロい。ほぼ裸。
手の触れる距離にいるというのがやばい。
シルフィリアは微笑みながら言った。
「さてボロボロだねえ、剣士くん。」
「ええ、まあ。」
「ゆっくり話したいところだけど、今回は特別に君を導くために顕現した。ゆっくり話すのは、また別の機会だ。」
「導きですか……?」
「まずはこの手をつかんでもらえるかい?いや、無理か。私を直視できない、軟弱者だものね。」
「……掴むくらいできますけど。」
「顔に出てるよ。剣士くん。じゃあどうぞ」
「は、はあ。」
(掴むからなんだってんだ?)
差し出された手を掴むと。白銀の風が巻きあがった。
レヴィは、足が地を離れたことに気づいた。
次の瞬間には、風の大精霊シルフィリアに抱き上げられるようにして、空に舞い上がりはじめた。
「ちょ……待ってください、シルフィリア様! どこへ行く気なんですか!!」
「空だよ!!私の領分は、空だ!!」
狼は唖然として、宙に舞って飛翔していく2人を見送った。
レヴィは高速で空へ駆け上っていた。
景色が流れていく。
「顔が、顔が風で痛いです!!シルフィリア様!!」
声は烈風にかき消された。
風の中でレヴィの視界には、手を引いて飛ぶ、シルフィリアと空が映った。
やがてその速度は徐々に緩やかになる。
レヴィは肩で息をしていた。
シルフィリアは言った。
「浮遊魔術をかけてある。私から離れなければ、落ちることはないよ。手を離すから。」
「……はあ……はあ……」
レヴィは眼下に広がる魔瘴の森を見た。高すぎて、森の外や、遠い山脈まで目視できる。
風が冷たい。
上空の風は、思いのほか強く、その風はレヴィの体を洗っている。
シルフィリアはレヴィは厳しく見つめる。
「まずは状況から明らかにしよう。君はノアちゃんを切り裂いた。その手で」
「はい……」
「シルフィリア様……」
「なんだい?」
「俺は、自分を許せない。殺しても、殺したりない。」
シルフィリアは、レヴィを見据える。
今までにない冷たい目をしていた。
「私の機嫌を損ねる気なら、落とすよ?」
レヴィは思った。
落とされても、良かった。
胸の中では感情が、嵐のように暴れていた。
ノアの事を思う。
ノアを切り裂いた感触を。
地に伏し、血の海に沈むまでの光景を。
シルフィリアの向こうに、森の向こうに、遠く街が見えた。
ノアがあそこにいた。
いたのだ。
(会いたい。謝りたいんだ……だけど、それはもうできないんだ。)
1人だけで抱えようとして、バカみたいに右往左往して、最悪の形で呪いに飲まれてしまった。
そんな事をしたいんじゃなかった。
呪いに呑まれて、死ぬつもりだった。
だがそれは、剣の囁きに耳を貸して呪いにのまれるか、自分の意思で呪いに呑まれるかの差でしかなかった。
呪いに呑まれたレヴィは、幻覚を振り払う事ができず、ノアを、切り裂いた。
胸からこみ上げるものがある。視界が涙で歪む。後悔の想いが胸に去来し、支配する。
「馬鹿だ。俺は……。」
ふと、漏れる声。
空を飛ぶ音に紛れて消えればよかったが、シルフィリアはその声を拾う。
「それがわかっただけ、えらいよ。剣士くん。」
「俺は空回ってしまった。ノアのことが何より大事だった。守りたかった。それを俺が、切り裂いてしまった。」
「君の苦労は誰にでもできる事じゃない。君は頑張ったよ。私はそう思ってる。」
少し困ったようにシルフィリアは笑った。
うつむいて泣くレヴィをシルフィリアはそっと抱きしめた。
「……ありがとう……ございます。シルフィリア様──」
「君は走り続けてきた。時には周りを見る事をしてもいい。」
「はい……」
「ノアちゃん。……生きてるからね。」
――時が、止まった。




