42話 もう一人の自分
その声は、呪いそのものでもあり、レヴィの奥底に眠っていた破壊衝動でもあった。
闇の底で、ただ二人の自分が向かい合う。
「お前は俺だ。呪いを拒んで、切ることも、奪うこともできなかった“弱い”俺だ」
影はゆっくりと歩み寄り、レヴィの肩に手を置く。
「ずっと無視してくれたよな。でもな許すよ……ようやく受け入れてくれたからな。なあレヴィ。俺がいれば、全部壊せる。守れなかったものも、もう悩まずに済む」
レヴィは拳を握りしめる。
恐怖と怒り、そして深い哀しみが混じり、心臓が痛むほど脈打つ。
「俺は……」
その声は震えていた。
闇の中、2人の自分が向かい合う。
一方は呪いと破壊の象徴、もう一方は守ることを選んだ意志。
選択を、問われていた。
ノアを切ってしまうこと。
呪いの剣を扱う中で、その生活の中で、むしろ、最初にレヴィの頭をよぎったのは、それに対する危惧だ。
──呪いが暴走してノアを殺す前に、自分が死ねばいい。
「見事な計算だ。我ながら誇らしいよ。レヴィ。おまえの見込みは正しい。呪いの剣に早々に呑まれ、お前は死のうとした。ノアを殺す前に、自分が死のうとしたんだ。」
その言葉が刺さる。レヴィは、胸の中で、冷たいものが広がるのを感じた。
「よく考えただろう? 計算もした。覚悟もした。だがそれは紙の上の論理だ。現実は違う――お前が想像した通りには、誰もならない。いや、むしろ望んでいたのだろう?生き汚いおまえのことだ。心のどこかで、この光景を想像しなかったとは言わせない。」
そのレヴィは満足そうに微笑む。
──謝れ
──俺に委ねろ
──お前がやらなかったこと、俺がやる
刃より鋭く、心の奥を抉る。
レヴィの胸の奥に溜め込んでいたものを、切れ味の鋭いスプーンで抉り取るように。
「うるせえ……」
「笑えるぜ、お前。ノアを守るといいながら、全部をメチャクチャにして、未来を呪いに差し出して、救った気になって、全部を呪いのせいにして、そして呪いに飲まれて、ノアを切って!」
「うるせえ!!!!」
誘われるように出たその叫びは、深淵を震わせ、影の波紋を散らした。
自分でもびっくりするほどの、喉が裂けるような声だった。
胸をも引き裂くような怒りと悔しさに、拳が震えた。
「俺が呪いに屈して、積み上げたものをぶっ潰したのは、わかってんだ、そんな事は!!!!俺が不甲斐ない事なんか、誰よりも1番俺がわかってんだよ!!!!」
怒りと悔しさの奥で、血が滲むような罪悪感が噛み締められていた。半分声は、嗚咽に代わっている。
「守るために、呪いを制御なんてできなかった!!何度も試した!!どこまで行っても、自分のためでしか剣を振るえないんだ!!!!できないんだよ!!!!できなかったんだ!!!!それが俺なんだ!!そんなことはわかってんだよ!!!!」
黒い影の“もうひとり”が黙ってレヴィを見ていた。
その瞳には、怒りも憎しみもなく、ただ真実を映す鏡のような冷たい光だけがあった。
レヴィはさらに、一番、口にしてはいけない言葉を口にした。
「誰かのためになんて、戦えない。いい加減認めてやるよ!!それが俺なんだ!!俺はクソ野郎だ。俺は村の為にも、ばあちゃんの為にも、ノアの為にも戦えない、結局俺は、そんなクソ野郎なんだよ!!!!守るためになんて、力を振るえてたまるかってんだ!!!!」
もうひとりの自分が、初めて表情を歪めた。
それは嘲笑ではなく、理解に近いものだった。
「乳しか、俺にはそれしかなかった。それしか、なかったんだ……選んじまったんだ……」
その瞬間、深淵の奥に亀裂が走った。
黒く濁った波が、音を立てて揺れ始める。
ひび割れはじめる闇の深淵に、レヴィの声が静かに響く。
「それを胸に、戦うしかないんだ。死にかけていたって、両親が死んだって、1人だって、それが俺の真実なんだ……。どれだけ苦しくたって、どれだけ打ちのめされても、それに手をのばすしかないんだ……。それが俺の、俺だけの無限の憧憬なんだから。」
影のもうひとりの自分が、一瞬だけ動きを止めた。
冷たい表情の奥に、微かな好奇が垣間見える。
レヴィの瞳には、恐怖も絶望もなく、ただ己の欲望と執着だけが映っていた。
守れなかったものも、傷つけたものも、すべてが呪いと自分の力の代償だとして。
全てを犠牲にしても、命すら失っても、それでも、揺るがぬものがあるとして。
「それが……ぱいおつなんだ……畜生……それが……俺の……」
それがレヴィにとっての真実。胸に抱く純粋な衝動だけが、レヴィを突き動かす。
空気が、張り詰めていた。
呪いに蝕まれた森が、風を失ったかのように沈黙している。
レヴィは深淵の中で、やっと理解していた。
問題は剣ではない。
呪いに飲まれたレヴィ自身が生み出している呪いこそが原因であり、剣の呪いは、あくまで「受け皿」に過ぎない。
剣が原因なのではない。剣はレヴィの中に渦巻く膨大な呪いを、剣という形に流し込むためだけの器にすぎないのだ。
――剣の呪いで、自分の呪いを制御する。
それが、呪いに呑まれたものが取る事ができる唯一の選択であり、できる全てであり、唯一の救いだった。
レヴィは静かに息を吸い、剣を胸元に当てた。
呪いの剣が淡く脈動し、彼の内側の呪いに反応する。
レヴィを覆う闇が、レヴィの体から引きずり出され、刃へと吸い込まれていく。
まるで無数の黒い手が、剣へと導かれるように。
ノアを守れなかった悲しみ、無力さ、そしてレヴィの本音――すべてを見つめたまま。
その重さや痛み全てを、呪いの剣の中に収めるように、レヴィは人としての姿を取り戻していく。
爛れていた皮膚は、いつの間にか元の色を取り戻し、裂けていた筋肉も、静かに再生していく。
レヴィは、自分の手を見つめた。
先ほどまで異形の影に覆われていたはずのその姿が、確かに“人の形”をしていた。
そして、剣。
呪いは今や、レヴィの意思に膝を折り、その刃に収まっていた。従属するように。剣が静かに脈動を繰り返す。
(……従ってるのか。遅えよ。まじで。)
レヴィは確かに、自分の体を取り戻していた。
呪いを押さえつけるのではなく、抱きしめるように受け入れた結果、剣は従った。
レヴィの剣を持つその手は、まだ震えていた。
ノアの血が止まらない。
ノアが、死ぬ




