39話 レヴィ討伐戦2
ノアは道を急いだ。
足元の葉は黒ずみ、枝は異様にねじれ、森全体が生気を吸い取るかのように重く垂れ込めていた。
日中だというのに、夜のように光を遮っていた。
「……くっ!」
討伐者の一人が前に進めず膝をついていた。
「誰だ……そこにいるのは……」
「……やめろ……これは……現実じゃない……」
視界に見えるはずの道がねじれ、顔なじみの仲間の姿が幽かに歪んで笑っていた。
黒い森に足を踏み入れた冒険者たち。
足元から伸びた黒い靄が、瞬く間に絡みつき、冒険者達の喉へ、瞳へ、心臓へと食い込んでいた。
ノアは片膝をつき、呻き声をあげる冒険者の額に手をかざすと、淡い光が発して。苦悶に歪む冒険者の顔が、少し和らいだ。
「大丈夫ですか?」
「あ…ああ、すまない。助かったよ。」
「まだ深くは侵されてなかったので。ですけど……立てますか?」
「ああ、わかってる。戻るよ……」
さらに深く飲まれれば、戻れなくなる。
街からほど近い森が、進むものを幻覚へと誘い、森を踏む者の心を直接苛む、悪夢へと変質してしまっている。
黒く漂う瘴気は、森の奥から流れてきていた。
ノアは冒険者を送り出しつつ、奥へと視線を向けた。
似ていた。
ノアとレヴィの故郷を食い尽くした、魔瘴の森に。
──これ、レヴィの記憶だ。
ノアは気づた。
足元の森、ねじれた木々、黒ずむ葉――すべてが、呪いの産物であるはずなのに、どこか懐かしい匂いがした。
以前くぐり抜けた魔瘴の森と似ている。だが、それ以上に。
幻覚が形作る森の奥に、見覚えのある風景が浮かび上がる。
瓦礫の中に残る石造りの家々、細い道、そして小川のせせらぎ。
(私達の……滅びたはずの村――レヴィと私が育った……)
心の奥が、強くざわめいた。
痛みも、怒りも、愛も、すべてが呪いに溶け込み、森の形となって現れていた。
異形と幻影の奥には、確かにレヴィの記憶が、礎となって存在していた。
その呪いは、近づく者の命を奪うほどに、恐ろしい力を持っていた。
(レヴィの記憶をもとにした、幻影……レヴィ……こんな悪夢の中にいたんだ……ずっと……。)
ノアは歩を止め、深く息をつく。懐かしさと哀しみが胸にあった。
「……レヴィ……待ってて。私、行くから。あなたの元に」
ノアは進んだ。
その全ては、見覚えのある姿だった。
異形になってしまったとはいえ、それは隣の家のおじさんの顔に似ていた。
レヴィの両親。
子供達。
──ばあちゃん……
レヴィとノアが過ごした日々の欠片──笑った顔、泣いた顔、怒った顔。
レヴィが触れた世界、レヴィが恐れたもの、レヴィが守ろうとしたもの。
そこには全てがあった。幻覚でフィルターがかかっていても、それが意味がないほど、ノアには伝わってくるものがあった。
「……わかるよ。レヴィ。わかる。私もそうだったから。わからない方がおかしいんだ。」
ノアの胸に、静かな確信が芽生える。
呪いに歪められた森、攻撃してくる幻影たち、失われた命の影。
レヴィの記憶をたどるようにして、ノアは、幻覚に翻弄されながら、少しずつ進んだ。
そして、場面は突然、別の空間へと移り変わっていた。
蒸気が立ち上る中、女性が水を浴びている。おそらく仕草からして、シャワー。
湯気の向こうに見えるその姿は美しく、しなやかで、どこかノアの知るギルド受付嬢を想起させた。
ノアの心臓が一瞬、跳ねた。
(おーい。くそレヴィ。見せていいものと、悪いものあるでしょ!?!?)
頭の中で思考が追いつかない。冷静に考えれば、状況は明らかだ。
(浮気じゃん。ガッツリ浮気してんじゃん!!バカーー!!!!)
顔が赤くなる。息が詰まる。胸の奥で、怒りと混乱と焦りがぐちゃぐちゃに絡み合う。
「……どうすれば……どうすれば!!……ていうか見ていいの!?!?」
呪いの森での決死行とは全く別の意味で、ノアの心は翻弄されていた。
──なんで寝ちゃうのよー。なんでよー。
煙の向こうの女性が、軽く苛立ちを含んだ声を上げていた。
ノアは思わず、ガッツポーズを作る。
(セーフ。ギリセーフ。)
「あ、なるほど、寝てたんだ……レヴィ」
浮気の瞬間かと焦った胸が、ぎゅっと緩む。
どうやら事には至らなかったようだ。
森での恐怖も、幻覚の脅威も、今の胸のざわめきも、一瞬だけ遠のいた。
ノアは深く息を吸った。
「どぉりゃあっっ!!!!」
念入りに、本当に念入りに魔術で、その幻影を滅茶苦茶に破壊し尽くし、さらに完膚なきまでにぶっ潰した。
そして、再び決意を胸に刻む。
「ふう。よし……行く。今度こそ、本当に行く!」
呪いの森、その幻覚――すべてを振り切り、ノアはレヴィのもとへと足を進めた。




