33話 杖
そこには、白木に淡い蒼色の装飾がほどこされた、細く美しい杖があった。
「この杖は、私が若い頃に使っていたものだ。」
ゼルディスは言った。
レヴィとノアは王宮魔術師の寝泊まりする宿舎に来ていた。
ノアは、息を飲んで杖を見つめる。
ゼルディスは頷いた。
ノアは震える手で杖を受け取った。
「……ありがとう……ございます……!」
ノアは深く頭を下げた。
その顔には、これまでにない決意の色が浮かんでいる。
杖を胸に抱くノアの横顔は、いつもよりずっと大人びて見えた。
「……すげえ杖だな。すでにすごい魔術師みたいだ。」
「……ううん、まだまだだよ。でも……うれしいよ、すごく」
ノアはそう言って、胸に抱いた杖をぎゅっと抱きしめる。
その横顔は、もうレヴィがよく知っているあの小さな姿ではなかった。けれど、その笑顔は、変わらず彼の大切なノアだった。
レヴィは、ひとり、ダンジョンへと挑む。
敵は、階層を追うごとに手強くなった。
いつものように剣を握り、足を踏みしめる。
呪いの権能もチリチリとレヴィの焦燥感をせきたてていた。
バッ――!
石壁が破れた。
黒い巨体。爛れた皮膚。十数本の脚を持つ異形の魔物が現れた。
明らかに今までの相手ではない。
深層の強力な魔物か。
息が腐り、牙が溶け、目が三つ、レヴィだけを見ていた。
呪いの剣から瘴気が発せられ、レヴィの体を黒い魔力が包む。
レヴィの視界には幻影が揺れている。
幻影の中の女戦士を見たとき、レヴィの呪いの制御は最高潮に達する。
レヴィは胸への想いで呪いを制御する。
ぶち殺した魔物を見ながらレヴィは思った。
(おかしい。胸の痛みが、消えない。)
ゼルディスから杖を受け取ったノアの顔が浮かぶ。
探し求めた光をみつけたような、その顔を。
その光は、レヴィでは絶対に見つけられいものだ。
剣はただ、レヴィを試していた。
呪いの制御にそれらは必要なかった。
剣はただ、据えられた思いの核に応じて発揮される道具。選ぶべき未来。嫉妬。選べなかった選択。それらはレヴィの核ではない。必要はない。
(選択しろ。ノアの手に取り、共に歩む未来を。)
手の震えがおさまらない事から、レヴィは終わりを感じていた。
呪いが、レヴィの中の核心に触れようとしている。
(……呪いから流れる術はない。)
すでに、呪いに、骨の髄まで浸かってしまっている。
――冒険者ギルド。
誰かが何かを言っている。
喧騒がある。
椅子を引く音。コインが鳴る音。笑い声。
だが、言葉が耳に入ってこない。
「……あれ? ……おい、大丈夫か……?」
声が、遠い。
霞がかった水の中から、誰かに呼ばれているようだった。
(ああ……ダンジョンから……出たのか)
レヴィはゆっくりと顔を上げる。
そこにあったのは見慣れた、木造のカウンター。
冒険者ギルドの、いつもの風景だった。
「レヴィ。大丈夫? 血……すごいけど……素材の換金は……?」
「……ああ。全部、やっといてくれ。孤児院に入れといて」
「どれよ?素材。ちゃっちゃと出す」
思い出したように素材を差し出す。
それを見て受け嬢はひくつく。
「ね、ねえ、あんた……これ、どこまで」
「悪い。椅子を借りていいか?ひどく……眠いんだ」
「あ、うん……そこ使っていいけど。」
「終わったら起こすよ。それでいい?」
「いつも悪い」
レヴィは、椅子に沈み込んだ。
眠るのが怖かった。
もし次に目を開けた時、
自分が“人間”のままかどうか、わからない気がした。
起きた。
夜中だった。
冷たい月光がギルドの窓から差し込む。もう誰もいない。それもそのはずだ。冒険者ギルドは、もうしまっている。
受付嬢は帳簿を片付けながら、ずっと彼の様子を見ていた。
ギルドの人にお願いし、残業の間だけ、レヴィを寝かしておくように頼んでいた。
仕事が終わったので目をやると、レヴィが起きている事に気づいた。
「起きた?」
「ああ……」
そしてレヴィは動き出さない。
「ねえ、レヴィ、……孤児院に帰るんでしょ?」
「いや、いいんだ」
「……いいわけないでしょ。……冒険者ギルドに泊まらせるわけにはいかないんだけど。」
「だよな」
「早く出ていきなさいって言ってるんだけど」
「ああ、すまなかったな」
よろよろと歩き出す。
傷だらけの体で。
「ああ、もうっ!!」
彼女は机に置いていた帳簿を勢いよく閉じると、レヴィの方に歩み寄る。
その足取りは、諦めと決意が絡み合ったように重い。
レヴィの耳元で、はっきりと言った。
「うちに来なさい」
「……?」
「あんたはうちに来る!いい!?わかった!!??」
「お、おう……」
レヴィは目を開ける。
まだ夢の底にいるような、鈍い光の瞳で彼女を見つめた。




