31話 魔術師5
「馳走になったな。気が向いたら覚えておいておくよ。じゃあな。ゼルディスさん」
「話せて良かった。レヴィ。また飲もう」
「すんません。次は普通のご飯にして欲しいや。落ち着かねーや」
「翻弄されっぱなしだったな。いずれ慣れる。ぞ」
「勘弁してくれって。仲間に怒られちまう。」
レヴィは、そう言い残して、静かに店の扉を開けた。
ゼルディスはレヴィをじっと見送った。
「ゼルディス。振られちゃったわね。おっぱいで頑張れるなんて、可愛い子だったわね。……ゼルディス?」
「あの少年、嘘を言っていたように思うか?」
「おっぱい好きなのは事実でしょうね。ちらちら見てたし。ネクラかなあ。」
「そうか……」
ゼルディスはその言葉を聞くと、呪い剣の事を思い出していた。
全身を激しい震えが襲う。
レヴィの隙を見て、かすかに剣に触れていた。
本当に微かに。
ほんのわずかにしか。
ゼルディスは体が震えが止まらなかった。
その瞳には言葉にならない恐怖が宿っている。
「ゼ、ゼルディス!?大丈夫!?!?」
おっぱいを見ると元気になる。
ゼルディスは、呪いの剣を持ちながら、それを言ってのけたレヴィの目を思い出す。
淀んだ、だけど何かを見続けた瞳をしていた。
何度も心が折れ、失望し、絶望を味わってきたような瞳を。
(あんな青年にもなりきれない、子供が……どれだけの……それに、おっぱいで呪いを制御するだと?)
呪詛を煮詰めに煮詰めたような、あんな呪いをおっぱいで?
レヴィはダンジョンを進んでいた。
ぶちまけられたような赤いシミを見て、ひくつく。赤いシミは、原型を留めていないほど切り裂かれた魔物の死骸だ。
呪いの剣の権能が強まっていた。恐ろしいほどに。
以前との違いは選択と、嫉妬と、置いてかれるもどかしさだろうか。
レヴィはため息をついた。
呪いの声がうるさい。
幻覚は、レヴィの周囲を異形へと変えている。周りに欲情できる対象がない以上、切るしかない。
切れば幻覚は落ち着く。
そしてその斬撃は、びっくりするような威力が出ていた。
「おめでとう。ランクアップね。」
冒険者ギルドに来たレヴィを、ギルド嬢はそう言って出迎えた。
レヴィの反応はない。
「あ。あれ?嬉しくないの?」
「……祝ってくれてるとこ悪いんだが、ランクアップってなんだっけ?」
ギルド嬢は唖然とする。
「ね、ねえレヴィ君。私説明したよね。たくさん依頼をこなして、功績が貯まると、ランクアップできるって」
「そもそも依頼なんて、めんどくて受けてねーし」
「いや、確かに持ち込みが多いけど。え?冒険者がランクに興味ないなんてある??……もぐり?……もぐりなの???」
「言ってろ」
「魔弾の射手。ネームドね。賞金が出るよ。相当に。よく勝てたね。」
レヴィは意味深に頷いた。
「……ネームドってなんだっけ?」
「ねえ、レヴィ君わざとやってるよね!!!!ねえ!!」
腕を見ていた。
刻印が広がっている。
レヴィは気づいた。
選ぶべき未来。
もしそんなものがあるとすれば多分、
この先を生きる事ができる奴らが手にするものだ。
「なあ。」
「何よ。」
「あんたさ、選ぶべき未来って考えた事ある?」
「いい加減、ノアちゃんを捨てて、私を選ぶ気になったと。偉いぞ。」
「捨てられねえだろ。ずっとやってきたんだ。街に来る前から。みんな死んでも……一緒に。」
受付嬢は、なんとはなしにレヴィの目を見て言った。
「それがあれば、色んなことが解決するよ。未来も満たせる。」
「なんだよそれ。そんな便利なもんあんのか?」
「お金。」
「……」
台無しだった。
(遠くない未来に俺は死ぬ。あるいは死なない。)
剣を置く。考えた事などなかった。
レヴィにとって、剣とは、呪いとは、戦う力そのものだった。
金は?
まだ必要だ。
みんなの未来を守るために。
ノアの未来のために。
本質的な問いは別にあった。そうじゃない。
自分は必要なのか?果たして。
守りたいものの中に、自分はいるのか?
「金か。それもいいな。あんたのそういうところ、好きだよ。」
「惚れた?」
「言ってろ。」
ノア達の未来を守れるなら、自分などいなくても良かった。
トレードオフは、呪いの得意技だし、呪いを制御する為の基本原則でもある。
成果を得るための選択は、選ばれないものを生むという事。
それの対象が、自分である事はありうる。
計算は、答えに辿り着くのだから。
孤児院の庭先。
淡い陽光が差し込む中、ノアはレヴィに笑顔を向けた。
その笑顔は、まるで世界が輝いているかのようだった。
「ねえ、聞いて!」
ノアの声は弾んでいる。
「孤児院を魔術師たちが引き取ってくれることになったの」
レヴィはその言葉を聞きながら、胸の奥がざわついた。
「もしかしたら、お金のことは心配しなくてもよくなるかもしれない」
彼女は明るく続ける。
「魔術師たちが、みんなの面倒を見てくれるんだって!」
レヴィは黙って頷いた。
その言葉は嬉しくもあり、どこか胸の奥で重く響いた。
「……よかったな」
ノアは微笑んだ。
だがレヴィの心は、どこかで崩れていく音を聞いていた。
ガラガラと、静かに。
手で胸を押さえる。
胸が痛い。ひどく。
役割が、減っていく。




