29話 魔術師3
レヴィは思った。
落ち着かない。
喧噪、酒の匂い、香水の甘ったるさ。
耳に届く笑い声と、時折混ざる嬌声。
視界の端に揺れる、半ば露出した乳。
「……」
テーブルに置かれた杯。
注がれているが、ほとんど口をつけていない。
向かいでは、王宮魔術師が上機嫌に笑いながら着飾った女性の腰に手を回している。
女性は柔らかく笑って、魔術師の頭をぽんぽんと撫でる。
「こうして、俺たちは時折羽を伸ばしている」
ゼルディスは周囲を見やる。レヴィも確認すると、魔術師連中が店内にはいた。
女性は笑って言った。
「ねえ、ゼルディス。鼻の下も伸びているじゃない。変態!」
「ふ……」
「ふ、じゃないわよ。このむっつりおじさん」
レヴィは顔が引きつった。
「今夜はとことん羽を伸ばして、明日からまた呪いと戦えばいい。みんなやってることだよ。」
レヴィは小さく吐息をついた。
「……あんた、まっ昼間から、こんなガキをいかがわしい所に連れ出して、最低だな」
「ありがとう、よく言われるよ。本音を語り合うには手っ取り早いからな。年齢は関係ない。それに君は戦士だ。ガキではない。」
(あんたが来たかっただけでは?本音云々ではなく、興味があるかないかだけな気がするが。)
ゼルディスは女の扱いに慣れている様子だった。そこそこ通っているのだろう。
「お前の顔を見るとこの街に来てよかったって思う」
「ふふ、そうなの?」
「みんなお前に夢中だ」
「うれしいな。本当にそうかもね。剣士くんの視線も、ずっとこっち見てるしね」
レヴィは反射的に目を逸らす。
そして静かに、自分の胸中を確認する。
──落ち着かない。
「……浮いてるな、俺」
思わず零れた独白に、横の酌をする姉さんが小首を傾げる。
「え、なに? 可愛い声出して、どうしたの〜?」
「……放っとけ……なぜ、ここに連れてきた」
レヴィは低く問いかけた。
お姉さんが注いだ酒の香りが、かすかに鼻をくすぐる。
それを払いのけるように、視線を魔術師に向ける。
魔術師はにやりと笑った。
頬は赤い。すでに酒が回っているのか、声はいつもよりわずかに弛んでいた。
「まずは、話を聞いてもらおうと思った」
「話……」
「レヴィ、お前、すぐにどこかに行くだろ。鍛錬場とか森とか、あるいは消えるように姿を消す。普通にしてりゃ、俺の言葉なんて届かない」
レヴィは黙る。
心当たりがないわけではない。むしろ、すべて図星だった。
「その点ここは最適だ。ここには逃げ道はない。剣も握れない。目の前には、俺と奇麗な淑女しかない。……最強の牢屋みたいなもんだよ」
「……くだらねえ」
「悪いが調べさせてもらった。君が誰にも頼らず、誰も頼らせず、ただ剣と呪いに向き合ってる事を」
レヴィの指先がわずかに動いた。
その仕草を見て、魔術師はさらに続ける。
「君は死に場所を探してるように見える。……違うか?」
「……………」
「今日は、ただ聞いてくれればいい。俺は君の心に踏み込むつもりはない。でも、一杯くらい一緒に飲むこともできないようじゃ──」
言いかけたところで、魔術師は盃を置く。
そして、まっすぐレヴィを見た。
「呪いを制御するなどもってのほかだ。」
「……すごい筋肉ねぇ」
唐突に、横から声が割り込んだ。
お酌をしていたお姉さんが、レヴィの腕にそっと手を添えている。
「ちょっと触ってもいい?」
レヴィはぎょっとして肩を震わせた。
いつもなら剣の柄に伸ばすはずの手が、今は机の縁を強く握るしかない。
「や、やめろ」
「え〜? いいじゃない、これ、すごく硬い……!」
お姉さんはいたずらっぽく笑いながら、少年の上腕を優しく揉む。
指先が、鍛え抜かれた筋の凹凸を確かめるように這う。
「すごい……剣士さん? それとも騎士さん? まるで鋼みたい。……こんなに太くて……興奮する……」
「……っ」
レヴィは思った。
(オブラート先生!仕事して!!)
レヴィの耳が赤く染まっていく。
「ふふ、可愛い〜! ねぇ、こんなに硬いのに、こんなに繊細なんだ……あ、これもしかして私誘ってる?……いいけど」
「し、知らねえ。」
(すんません。やばいっす。何この痴女。)
そして、お姉さんは大笑いした。
魔術師も、それを見て大声で笑い、酒をあおる。
レヴィは悟った。完全にからかわれていた。
「やっぱり来てよかっただろ! たまには魔物じゃなくて奇麗な淑女に揉まれるのも悪くない!!」
「……」




