22話 旅路の果てにみるもの
「■■■■─────!?!?!?!?」
シヴェルが、巨体を震わせてのたうち回る。
その触手がもつれ、空を裂き、森の地面を引き裂きながら――
確かに、苦しんでいた。
レヴィは、自分の放った一撃を思い返す。
あの黒い閃光に自分は、乳への思いをのせていた。
「……嘘だろ……」
あれは、あまりにも個人的で、
あまりにもどうかしてて、
戦いにおいて意味があるとはとても思えないような――
「……いや、卑下することは……ないのか?」
レヴィは剣を見つめながら、気づいてしまった。
それは、自分にとっての真実だった。
「俺は、ずっと目をそらしてたのかもしれない……。呪いってのは、ただの力じゃない。想いの歪み、執着の行き場――そして、それでも抱き続ける“願い”なんだ……」
俺は乳だけど。
俺の真実は乳なんだけど。
「シヴェル……お前も、何かを想って、ここまで来たんだろ?」
シヴェルの苦悶の咆哮が森を揺らす。
触手が引き裂かれ、腐敗が霧散し、
黒き呪いの奔流が、一瞬、レヴィの剣に呼応して煌めいた――!
シルフィリアが言う。
「眠りなさいシヴェル──ううん。ルゼフ。あなたは十分すぎるほど戦った。もう休んでいい。私の風に抱かれて眠れ──」
苦しみもがくシヴェルの巨大な姿に、ひと際大きい光が降り注いだ。
シヴェルはそれでも立っていた。
死にかけの姿で。
足を震わせながら。
何かに手を伸ばすように。
――何かに焦がれるように。
シルフィリアは悲しみを帯びた目でその姿を受け止める。
「レヴィ」
「……うっす」
「終わらせてあげて。君の見つけた、君だけの真実で。狂気の中で見つけた純粋さで。私には、みつけられなかったその想いで。」
そして――
黒き閃光が、風と共に降り注いだ。
シヴェルの胸に、レヴィの真実が突き刺さる。
黒と緑の魔力がぶつかりあい、閃光が森を包む。
それは呪いの断絶でも、救済でもなく――
ただ一人の、どうしようもない剣士が世界に放った、
乳への想いを乗せた一撃だった。
森が、静まり返っていた。
シヴェルは巨体は倒れていた。
おそらくは。大部分がシルフィリア様の攻撃のおかげだろう。
だが、それでも。
ほんのわずか。ほんのわずかに――
レヴィの真実が、シヴェルに突き刺さっていたのだろう。
あの巨獣は、確かに“同質”の呪いに反応し、ほんの一瞬だけ、立ち止まった。
「……あの子には届いたわ。あなたの“願い”が。」
レヴィはその場に膝をつき、荒い呼吸のまま呟いた。
「……おそらくは……大部分、大部分が、シルフィリア様の攻撃のおかげだろう」
「それはそうね」
「あの、もうちょっとこう『いい連携だったね』とか言ってくれても……」
「事実を述べただけ。本当に若干、ほんの些細な功績」
上空に漂う精霊の女王は、風の玉座のような浮遊の上で、しれっと涼しい顔をしていた。
シヴェルの巨躯がゆっくりと崩れはじめる。
無数の黒い触手は散り散りになり、苔むした木の皮膚は剥がれ落ちた。
やがて、崩れた残骸の中から、かつての人間の姿が現れた。
ひとりの男が――静かに微笑んでいる。
その瞳には、悲しみと優しさが混じり合い、深い後悔も垣間見えた。
レヴィは呆然と見つめる。
「誰だ、あれ……?」
「あなたの前の呪いの剣の所持者。バカな人間よ。すべてを抱え、耐えきれずに異形と化した。度し難い呪いの申し子。本当に馬鹿……」
「でも……最後には微笑んで消えていった……あいつも、どこか救われたんじゃねえかな」
「そう願いたいわね。」
シルフィリアは視線を遠くに向け、風が優しく吹いた。
森の主――シヴェルの物語は終わりを告げ、静寂が訪れた。
「なあ、シルフィリア様」
「なに?」
「この森にさ、もう俺の知ってる村はないし、きっと300年前の事なんて何も残ってないほど森は変わっちまったけど、それでも」
レヴィは崩れた地面に視線を落としながら、ぽつりと呟く。
「それでもあいつは……シヴェルは、森を、魔障の森に変えるほど彷徨ったんだろうな。後悔しながら、執着しながら」
「彼は――真実を偽った。だから呪いに飲まれた。けれど君の真実は……変態だから、できれば貫かないで欲しい。」
「……ああ……うん……」
「すごく見てて胸糞悪くなるから!」
「あの、さっきから、なぜか途中から俺へのディスりになるのなんなんですかね?」
「つーん。」
レヴィの真実は、呪いの剣に宿る“乳への異常な執着”だ。
シルフィリアとしては、それが今、世界の理すら穿つ力に昇華されつつあるのが口惜しかった。
「君の真実は否定しない。」
シルフィリアは言う。裏腹に露骨に逸れた目が明確に言っていた。
私は理解したくないタイプの真実だから、距離をとってね
「うん……ちょっと引いてんの分かるからやめてもらえますかね?」
「理解しなさい!その罪深さを!!」
「でも勝ったよ」
「勝てればいいってもんじゃないのよ、この変態め……はあ、まあいいけど。」
ため息をついてシルフィリアは空を見上げる。
「……バカだけど真っ直ぐなのは認める。バカだけど。バカだから、真っ直ぐなのかもだけど。」
「ちょっと黙っててくれませんかね!?」
レヴィは消えていく男の姿を見つめながら、静かな思いに沈んだ。
魔障の森を作り出した彼に恨みがないとは言わない。
けれど、もし許されるなら――
静寂を。
レヴィの胸に、複雑な感情が渦巻く。
それは、自分自身の未来と重なるものだった。
「もしかしたら……あいつは、俺の“未来”かもしれない。」
剣を握る手が、ほんの少しだけ緩んだ。
森の静寂が、彼の心にそっと寄り添う。
その先に何が待つのかは、まだ誰にも分からない。
だが、レヴィの旅は、確かに続いているのだろう。
「ルゼフ。……お疲れ様。」
転移の間際、誰にも聞こえない、風の音に紛れるほどの小さな声で、
シルフィリアはそっと、消えていった男に言葉を送った。
「愚かだけど……優しかったわ。あなた。」
風が舞い、彼の残滓をやさしくさらっていく。
一瞬だけ、そこに立つ影が微笑んだ気がした。
だが、それはもう戻ることのない幻だった。
転移の魔法が発動し、レヴィとシルフィリアは消えた。




