13話 迷走の果てに
次の日、彼らは朝早く出発する。
霧の奥に、何かの気配。
獣の息遣い。
幻覚ではない“本物の殺意”。
──首筋に、チリチリと感じる。
──強まっている、何者かの殺意が。
その気配は徐々に濃く、確かなものになっていった。
レヴィはすぐに反応した。
呪いの剣の幻覚作用を、全開にする。
刃から赤黒い光がほとばしり、感覚が研ぎ澄まされていく。
幻覚と現実の境界はより曖昧になるが、それ以上に、殺意を感知する能力が増幅される。
「殺意には殺意で返す」
心の中でそう誓い、レヴィは冷静に殺意の源を探った。
赤く染まる世界の中で、
見えない敵の気配が濃厚になり、次第にその正体が浮かび上がる。
「ね、ねえ。レヴィ、大丈夫?呪いの刻印が。」
レヴィは頷く。
とはいえ欲情する暇はなかったので、今幼馴染の姿は名付し難い何かに見えている。
まあ、流石にさっきまでそこにいたのでわかるのだが。
殺意を逆算する。
幻覚を抜ける。
「ついてきてくれ。」
ノアと子供達は決意を固め、レヴィのすぐ後ろに付く。
薄暗い森の中、
揺らめく幻覚の影を殺意を頼りに進む。
効率的だ。レヴィは胸中で思う。
実際やられると思う。人間を捕食するための、効率的なシステムだ。
幻覚で対象を惑わし
幻覚の迷路に導き
幻覚の果てに犠牲者を捕食する。
呪いの剣とレヴィの刻印に、禍々しい赤黒い光が走る。
「……大丈夫?」
幼馴染のノアが、か細い声をかける。
ノアの白い指が、彼の背をそっと支える。
ノアの魔術は三つ。
結界魔術は、森の瘴気や魔獣の侵入を防ぐための盾。
治癒魔術は、一行が森を進むできる傷や疲れを癒すための光。
炎の攻撃魔法は、進行を阻む魔樹や獣を焼き払う、ノア唯一の刃だ。
「平気だ。……これくらい、慣れてる。」
レヴィは低く返すが、声には震えがあった。
呪いの剣が見せる幻覚を見せてきたので、ノアの胸を思い浮かべ、幻覚を振り払う。
「……深刻な表情で私の胸を見てくるって、なんか間抜けね」
ノアは結界を張り直し、少年の額に手を当てた。
冷たい魔力が流れ込み、一瞬だけ視界が澄む。
「……知ってる。」
「……気にしないで。必要な事だから。私が、あなたを守るんだから」
魔性の森の空気は腐った沼のように重く、視界を奪う深い霧が漂っていた。
レヴィの背後には、怯えた瞳の子供たちが群れている。
進み始めてから何度も訪れた開けた場所には戻っていない。先へ進めている。おそらく。
「ノア、結界は……大丈夫か?」
レヴィは剣を肩に担ぎながら振り返った。
「……限界が近い。これ以上広く展開するなら、治癒の魔力も使えなくなる……」
ノアの顔は青ざめ、指先が震えていた。
結界魔術は、霧の中から這い寄る無数の魔物の気配を必死に弾いている。
治癒魔術も、子供たちが森の棘や瘴気で負った小さな傷を癒すために使っていた。
炎の魔法に至っては、まだ一度も使えていない。
「……くそ。……いるな。」
レヴィは、呪いの剣を握った。
刃の根元から、黒い靄のような影が溢れ、彼の瞳がわずかに染まる。
森の奥に、獣のような歪んだ影が複数蠢いている。
牙をむき、爪を立て、こちらを喰らおうとする殺意が重く流れてくる。
「……多い。少しすれば攻撃をしかけてくる」
レヴィは剣を握り直すと、深い息を吐いた。
剣の芯から、黒い靄が溢れ出す。それは空気を腐らせ、肌を焼くような気配を伴って広がった。
「……これで、しばらくは寄って来ないはずだ。」
レヴィの声が低く響く。
呪いの剣が放つ障気——それは強烈な負の力を帯び、周囲の魔物に「死」を想起させる。
弱い魔物や理性のない獣は、この気配に恐怖し、近づけない。
「う、うわああ……っ!」
結界の中で、子供たちは泣き叫んだ。
肌が粟立ち、吐き気が込み上げる。
ノアも膝をつき、必死に結界を強める。
「レヴィやめて……子供達が……お願い、これ以上はっ!」
ノアの叫びが、かすれた声で響く。
だがレヴィは剣を収めなかった。
この森では、甘さは即死に直結する。
子供たちを生かすには、彼自身が「魔よりも魔性」であらねばならなかった。
「……今は、これが最善だ。」
レヴィはそう言い切り、障気をさらに放った。
黒い霧が渦巻き、あたりに潜んでいた魔物たちの殺意が遠ざかっていく。
森の奥から、怯えた魔獣の悲鳴が上がる。
子供たちは泣き崩れ、ノアは歯を食いしばる。
だがレヴィだけは、冷たい目で周囲を見回していた。
「……必ず戻れ。絶対に……戻ってきて。」
ノアは小さく首を振り、震える手で少年の服を握った。声が震えていた。
「必ず戻る。約束だ。」
レヴィは頷き、泣いている子供たちの方へ向き直ると、ノアに視線を送った。
ノアは震える声で呪文を唱え、子供たちを包む小さな結界を張り直す。
「わかった……でも、絶対に戻ってきて。
“また”帰ってこなかったら……もう、私、誰も信じられなくなるから」
「……ああ」
レヴィは、ノアの頭に軽く手を置いた。
髪の感触が、手に残る。
「すぐ終わらせて、戻る」
そう言って、背を向けた。
――そして、レヴィは森へ向かった。
振り返らずに告げると、黒い霧の中へ溶け込むように駆けていった。
ノアは小さく頷くしかなかった。
刃が黒い霧を裂き、森の奥に向かって疾走する。
彼の後ろ姿に、ノアの涙がぽとりと落ちた。ノアが唇を噛んだ。




