8話 いともたやすく行われるセクハラ3
沈黙。
完全な沈黙。
鳥の声も、風の音も、止んだ気がした。
世界が一瞬で硬直する。
幼馴染は瞬きをして、首をかしげた。
「…………は?」
オーガよりも恐ろしい鬼が降臨した。
直観。危機意識。常識──ありとあらゆる倫理が告げていた。死を。
「いや、違う! 落ち着け!呪いの剣は幻覚を見せる事は前に言ったよな!だから俺が今見てる光景すら幻覚の可能性があってだな!?オークとかオーガは裸だから区別つくけど人間は服着てるから幻覚で区別が──」
「だから脱いでくれって?」
「理論的にはそうなる」
「……」
ぴしぴしと頬の筋肉が引きつる幼馴染。
やがて、にっこりと笑った。
「──ふーん、じゃあ、私が本物って証明できたら、お前脱げよ?」
「は?」
「おあいこじゃん」
「いや、それは理屈が──」
「理屈は立ってる。言っとくけどお前生きて帰れると思うなよ!」
少女はすでに袖に手をかけていた。
少年は顔を真っ赤にして後ずさる。
「待って!? 剣が!剣が震えてる!これはまずい!別の方法を──!」
「見たな?今、チラって見たな!?やっぱりそういう目的じゃないかこの変態!!──死ね」
振り下ろされた拳が、少年の頬を正確に捉えた。
乾いた音が、静かな森に響く。
鈍い痛み。
骨に届く衝撃。
口の中に広がる鉄の味。
そりゃそうだよな。一切の疑念の持たない帰結。幻覚の入る余地の一切ない、ああ、これは──これが現実。
ノアはファイティングポーズをしていた。追撃をする気だ。
頬が腫れた。
涙が出た。
言い訳すら出てこなかった。
──とりあえず、拝んだ。
心から。深く。土下座寸前の角度で。
これは礼だ。信頼に対する、真摯な感謝。
「ほんとに……ほんとにすまんかった……!」
その声は震えていた。羞恥と罪悪感と、そしてある種の畏怖に満ちていた。
──なにしろ
──なにしろノアは、クソみたいな検証にマジで付き合って、ほんとに脱いだのだ。
「幻覚と現実を判別するために服脱いで」
このひと言に、いったんは殴り、ため息をつき、顔を真っ赤にしながらも──
「……はあ。もういいわよ。嘘じゃないんでしょ。納得するなら、付き合うわよ……はあ」
そう言ってくれた。
そしてノアは脱いだ。
人間できすぎてるだろ。
幻覚にしか思えなかった。
衣擦れの音。収まったころ、おそるおそるレヴィはそれを見た。
──名伏し難い何かがそこにはいた。
黒い触手は200本ほどだろうか。
メデューサのように顔面から飛び出している。手は8本。足は5本。巨大な人の目が無数についた翼をもち、その瞳一つ一つが、無数の小さな瞳でこちらを見つめていた。
SAN値がガラガラと崩れる音が聞こえた。
光が乱反射し、輪郭がぼやけ、目の焦点が合わなくなる。
視界がバグったように、ノイズが走る。心の防衛本能が視覚をシャットダウンしたか。
彼女のはずなのに。
彼女の身体なのに。
見てはいけないものように、認識が拒絶されていた。
酸っぱいものがこみあげてくる。
レヴィは吐く事だけはなんとか堪えた。
彼女は既に去っていた。
呆れ果てて、恥ずかしさに顔を真っ赤にして、風のように。
残されたのは少年ひとりと、現実とも幻覚ともつかない“経験”。
「おい、これ……マジかよ……」
どうやら、呪いは裸にまで干渉してきた。
あるいは、見る側の精神を守るために“何か”がかかっていたのかもしれない。
いずれにせよ。
とにかくレヴィは吐いた。
実験は失敗した。
ゲロの匂いにまみれながらレヴィは立ち上がり、歩き出す。
その胸にあるのは感謝。
あんなクソみたいな検証を信じてくれた気持ちに。
そして脱いでくれたノアに。
だからこそ、俺は強くならなきゃいけない。
──そう決意しながら、少年は再び歩き出した
ほんの少し、頬を赤くしながら。




