第5順
騎士の訓練見学から二年が経ちました。
十七歳の夏。つまりは成人会です。
そして、パーティ会場の片隅には――なんかもう驚かなくなってきたアレがありました。前回と合わせて通算三度目ともなると、さすがに馴れてきます。
(箱……?)
(箱だよな……)
(何なのかしらあの箱……?)
(一体なんの箱なのでしょう……?)
(しかし、みなは気にしておらぬようだしな……)
(もしかして、気にしたら負けなのか……?)
(騎士団でたまに見かける箱だな……)
(騎士団の箱姫も今年が成人なのか……)
このざわめきも聞き慣れてきた気がしますね。
まあ騎士関係者や、あの騎士の訓練見学に参加された方は、何となく分かってはいるようですが。
そしてサイフォン殿下が入場してくると、真っ直ぐに箱の元へと歩いていきます。
「箱の姿で構わないから出席するようにとは言ったがな……本当にその姿で出席するとは思わなかった」
とても良い笑顔のサイフォン殿下に、みなさん大分驚かれているようで。
「父も、箱のままで構わないと言ってくれましたので」
「とはいえ、さすがにそのままというのもな……」
しばらく思案し、サイフォン殿下は箱の側に控えている侍女へと声を掛けます。
「カチーナ。このコト……ラテ殿は?」
「恐らく旦那様が隠されているかと」
「なるほど」
うなずくサイフォン殿下の表情はとても楽しそうです。なんというかいじめっ子の笑みというか、いたずら小僧の笑みに近い楽しげな顔ですが。
ただそれだけで、モカ様に通じるものがあったのでしょう。
「……わかりました。わかりましたから……」
騎士の公開訓練の時と同様に、箱の中からモカ様は出てきました。
そして、同じように箱を回収します。
もちろん、訓練ではなくパーティの場ですので、ドレス姿です。
(ドリップス宰相の娘は箱入り娘だと聞いていたが……)
(本当に箱に入っているのか)
(騎士団の箱姫という噂は彼女のコトか?)
(え? あれで騎士なの?)
信じられない気持ちは分かりますけど、あれで下手な騎士よりも強いのですから、恐ろしいものです。
前回以上に、モカ様は敵対したら危険な存在になってますので、私は少し離れた場所で食事を楽しむことにします。
そういえば、前回――少し変わったラベルの方のワインが美味しいと話題になってましたね。
とはいえ、飲み比べてみないと分からないこともあるでしょう。
「そちらのワインの味を試したいので、少量ずつ頂いても?」
「はい」
ワインテーブルのところの給仕に声を掛けて、味見をしてみます。
なるほど、確かに少し変わったラベルのモノの方が美味しいですわね。
「ではこちらのワインを頂けますか」
「かしこまりました」
そうしてワインを注いで貰うことにしました。
手持ち無沙汰に給仕の方を見ていると、ふと何か思い出しそうになり首を傾げます。
はて? 前回では関わり合いになったことはなさそうな方なのに……。
どうしてこんなにも見覚えがあるのでしょうか?
何か印象に残るような出来事に関わった給仕なのでしょうか?
私が前回でのことを思い出していると、ダーリィが声を掛けてきました。
ちょうど給仕がワインボトルを置き、私にグラスを渡してきたタイミングだったので、彼女は不思議そうな顔をします。
「ルツーラ様、そちらのワインなのですか?」
「ええ。飲み比べてみたところ、こちらの方が好みでしたので」
「ですが、ラベルは……」
何やら不満そうなダーリィに私は告げます。
「ラベルがどうあれ、私はこちらの味が好みだと言ったでしょう?
外見の情報も確かに大事ですが、中身の情報が伴わなければ意味がないのですよ。
ダーリィはもう少し、物事の中身に気を遣うべきですわ。今日から私たちは成人として扱われるのですから、なおさらです」
それでもやっぱり反応がイマイチなダーリィにどうしたモノかと思っていると、近くにやってきたピーチブロンドの女性が声を掛けてきました。
「ご友人の忠告、しっかりと受け入れられた方が良いですよ」
「誰ですか?」
「ダーリィ……不満を隠さないその態度、初対面の方に失礼でしてよ」
どうしてこの子はこんな誰彼構わず噛みつくような子になってしまったのでしょう?
前回は、私が幽閉される前まではもうちょっとマシだった気がするのですけど。
「ふふ。構いませんわ。それより、外見だって大事な情報ですよ」
言われて、どうやらこの方は気づいているのだと、分かりました。
「まぁそうですわね。敢えて口にはしませんでしたが」
「外見で物事を判断するわりに、外見を正しく把握できていないのは問題ですよ」
「……何が言いたいんですか?」
目をつり上げ、犬歯を剝くような姿は完全に狂犬のそれなのですけど。
彼女が狂犬だとするなら、飼い主は私でしょうか?
だとしたら、しっかりと躾けざるを得ませんね……。
でもそれって私の仕事なのでしょうか?
「ダーリィ。ラベルを見比べてみてください。片方にあって、片方に無い。大事なモノに気づくはずですよ」
「え?」
不思議そうな顔をするダーリィに、ピーチブロンドの女性が諭すように言いました。
「王家御用達の印ですよ。貴女がラベルに不満を抱いた方には刻印されていますが、もう片方のラベルには刻印されていないのです」
前回は、それをモカ様が指摘した結果、みんな「知ってた」という顔でこちらのラベルのモノを選びはじめましたわね。
もちろん、この方を始め――全員が気づいていなかったワケではないのでしょうけど。
「……ですが」
「ダーリィ」
この女性に対してこれ以上、無知な噛みつき方をして欲しくない私は、名前を呼んで彼女を制します。
今日は成人会。
これより大人として扱われる以上、今までより迂闊な行いを減らさなければなりません。
それを思うなら、ここで一度厳しく言っておくしかありませんね。
「ダーリィ。貴女が私を慕い、私の為にアレコレしようと気を遣ってくださっているのは理解しています。
ですが、それが的外れであったり、失策であった場合――貴女だけの恥や瑕で留まらず、私や私の周囲の者の恥や瑕になるというコトを理解しての行いなのですか?」
「…………」
私の言葉に何を思ったのかはわかりません。
ただ、やはり悔しそうに下唇を噛んでいるので、反省とかはしてないのでしょう。
それでも、この場で叱ったという事実は大事です。
「成人会という今日を皮切りに、両親や親類からのサポートが減り、行動や言動など様々なモノが自己責任となります。それを自覚した振る舞いは出来ますか?」
「で、でも……わたしは、ルツーラ様の為に……」
「押しつけがましい親切は不要です。自分の気持ちを満たすための気遣いも不要です。
ダーリィ。一人の淑女としての振る舞いを見つめ直しなさい。それが出来なければ、待っているのは貴族界からの村八分でしてよ」
今のままではダーリィの為にもなりません。
私にその気はなくとも、この夢においては、同世代前後の若い女性たちは私を中心に集まってきているところがあります。
それはある種の派閥であり、これが派閥であるならば、私の立ち位置は派閥の主のようなもの。
ならばしっかりと責務を果たさねばなりません。
たとえ私にその気がなくとも、周囲から若い女性たちの集まる派閥の領袖という扱いをされてしまっている以上は、その役割を果たさねば後ろ指を差されてしまうのが、貴族社会というものですしね。
「少し私から離れて、頭を冷やしていらっしゃいな」
「……はい。失礼します」
そうして下がっていくダーリィを見ながら、私は小さく嘆息しました。
それから、女性に対して謝罪をします。
「お見苦しいところを申し訳ありませんわ」
「お気になさらず。彼女の為を思えばそれも仕方ありませんから」
「ご理解頂けて何よりです」
この方が、目くじらを立てるタイプでなくて助かりました。
「ああ――そうでした。申し遅れておりましたわ。私、ルツーラ・キシカ・メンツァールと申します。お気を遣って頂きありがとうございました」
「コンティーナ・カーネ・ターキッシュです。どうやら余計なお世話だったようですね」
この方が、コンティーナ嬢。
前回においては、フラスコ殿下が婚約破棄をしてまでお付き合いすることになる女性。
とはいえ、現状ではそれもないようなので、変なことを口走らないように気をつけましょう。
「実はメンツァール伯爵令嬢とは、前々よりお話をしたかったのです。
よろしければ、今度二人でゆっくりとお話しする機会を作って頂けませんか?」
「ルツーラで構いませんわ。ターキッシュ伯爵令嬢。そして、二人でお茶をするというのでしたら歓迎ですわ」
どうして彼女が私と話をしたいと思っていたのかは分かりませんが――破滅に収斂するだろう運命にどこまで抗えるか試してみたいところですし。
前回では結ばなかった縁を結んでいくというのも悪くないでしょう。
「こちらこそコンティーナで構いません。快諾して頂けてありがたいです。では後日、お誘いのお手紙を送らせて頂きますね」
「ええ。楽しみにしております」
そうして、何事もなく別れれば良かったのですが――すれ違いざまに、コンティーナ嬢が小さく囁きました。
「お互いの破滅が回避できる有意義なお茶会になるといいですね」
「……ッ!?」
私が驚いて目を見開いている間に、コンティーナ嬢はこの場からあっさりと離れていきました。
大声を出して追いかけるのもはしたないですし、気にはなりますが我慢しましょう。
「はぁ……」
なんだか色々と疲れてしまいましたね。
乾いた喉を湿すように、手元のワインを呷ります。
大してグラスに残っていなかったので物足りませんね。おかわりしましょうか。
そう思ってもう一度、先ほどの給仕におかわりをお願いしようと思ったとき、モカ様の侍女がワインを貰っていました。
グラスが二つ。サイフォン殿下の分もあるのでしょう。
……あら? 前回の時、このタイミングで何か事件みたいのありませんでしたっけ?
うーん……。
ともあれ、ワインのおかわりを頼みましょう。
「おかわりを頂けませんか?」
「え? あ、はい……いや、ですが……」
「?」
妙に給仕がソワソワしていますね。
どうしたのでしょう? 胸中で首を傾げた時――
あ。
――唐突に閃いたというか、思い出しました。
毒殺未遂ッ!!
そうです! 毒殺未遂がありました!
確かあの事件、モカ様の箱にワインを乗せたら毒に気づいたという流れでした。
でも、こちらのモカ様は箱に入っておりません。
もしかしたら、毒に気づかない可能性もあるのでは?
そうなってしまえば問題大ありです。
毒殺成功はちょっと歴史が変わりすぎてしまうので、さりげなく阻止とかしたい……というか、阻止するべきですわよね!?